『鶴は戦火の空を舞った』|岩井三四二|集英社文庫
岩井三四二(いわいみよじ)さんの『鶴は戦火の空を舞った』(集英社文庫)は、『「タ」は夜明けの空を飛んだ』に続く、近代を舞台にした歴史時代小説です。
著者は、2003年に『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、2004年に『村を助くは誰ぞ』で第28回歴史文学賞、2008年に『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞など、室町末期から戦国時代にかけての中世の農村社会を描いた歴史小説で文学賞を受賞し、その後も三英傑(信長・秀吉・家康)をはじめ、戦国武将を取り上げた作品で人気を博す実力派の歴史小説家。
今村翔吾さんが『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)で提唱した歴史小説家を世代別に分けてみたでいうと、第4世代と第5世代の谷間の世代と言えそうです。
2022年、歴史作家として確固たる地位を築いた著者が『「タ」は夜明けの空を飛んだ』で、明治という近代をテーマに挑んだことで刮目していました。
戦闘機が実戦に投入された第一世界大戦当時、日本軍で招集された操縦訓練生の一人、錦織英彦は持ち前の体力と視力で操縦センスを発揮。しかし上司に好かれず任務から外されてしまう。しがらみを捨て、自由に飛びたいと思った英彦は、フランスでピロット(戦闘機乗り)になった先人のことを知り、渡仏。アス(エース)を目指す新たな挑戦が始まった――。近代を舞台にした、歴史時代小説の新地平。
(『鶴は戦火の空を舞った』カバー裏の紹介文より)
ライト兄弟が人類で初めて動力つきの飛行機で空を飛んだ明治三十六年(1903)から10年後の明治四十五年(1912)。
その日、所沢の飛行場で、陸軍初の操縦訓練生の工兵中尉錦織英彦は、徳川好敏大尉の操縦するアンリ・ファルマン機に同乗し、生まれて初めて空を飛びました。
一年半前に飛行機が初めて日本に入ってきて以来、飛行機に乗って空を飛んだ者は、陸海軍と民間を合わせても五十名にも及ばない時代、その希少な一人に加わったのです。
当時の飛行機はまだまだ未完成の技術で、飛ぶことはできても突然に強風にあおられて姿勢を崩すだけで墜落するような代物で、操縦桿がきかなくなったり、発動機が故障するのも日常茶飯事で墜落してしまう、ひどく危険な乗り物でした。
英彦が操縦訓練を志願した理由は、「飛行機という新しい技術が将来、きっと軍の役に立つから」というのは建前で、地を這うような工兵の軍務が面白くないことが大きな理由でした。そして、飛行訓練をするうちに「冒険をしたい、刺激が欲しい」という強い動機に駆られていきます。悪しき道楽にハマっていきます。
ひとりで大空を自在に飛び回れたら、どんなに爽快だろうか。しかも敵地上空を飛ぶなど、刺激的だ。きっと毎日が冒険で、退屈せずにすむだろう。そう思ったのがまことの志望動機だった。軍内で飛行機の操縦将校が募集されると聞き、一も二もなく応募したのだった。
(『鶴は戦火の空を舞った』P.27より)
運動能力の高さに加えて、抜群の視力を備え、負けん気の強い英彦は、飛行機乗りの中で頭角を現していきます。
大正三年(1914)に起こった第一次世界大戦では、ドイツの中国における軍事拠点青島要塞を偵察する任務につきました。
ところが、中国での戦いが鎮静すると、偵察を主任務とする飛行隊の中で、今後は爆撃と銃撃を主とするべきと幹部たちに主張して煙たがられ、任務から外されて、遂には飛行隊から追い出されてしまいました。
ヨーロッパではいまだに戦争が続いていましたが、アジアは静かになり、今後しばらくは、戦争が起きて飛行隊に呼びもどされるとは思えません。
赤羽の工兵大隊に戻った英彦は、工兵将校として一生を送るのか、将来を想像してみました。一般のサラリーマンや商売人に比べれば、十分に刺激的なしごとだが、「退屈過ぎる。とても耐えられん」と。
そんなときに、英彦はかつて飛行隊で操縦を教わった滋野男爵がフランスに渡り、軍隊で飛行機乗りとなったことを思い出しました。
「あきらめられるわきゃあねえ。何としても飛びたい。いや、飛んでやる!」
もしあきらめてしまったら、いま胸にくすぶっている熾火が燃えがあり、いずれこの身は焦がれて死ぬだろう。自分はじっとしていられない性格だ、とわかっていた。どうしても冒険をもとめてしまうのだ。(『鶴は戦火の空を舞った』P.137より)
英彦は、さまざまな障害を乗り越えて、フランスへ渡って、滋野男爵とおなじように陸軍に志願し、飛行隊に入る道を選ぶのでした。
フランス陸軍に入隊し、飛行学校に入って飛行免許の取得を目指します。免許取得後は、ピロット(飛行機乗り)として、同僚たちと切磋琢磨して操縦技術を磨いていきます。やがて……。
戦闘機同士の手に汗握る空中戦とともに、アス(エース、爆撃王)を目指す英彦のピロットとしての成長が描かれていき、疾走感がある、気持ちよい冒険小説となっています。
滋野清武男爵のほか、武田少尉やクーディエ中尉など、飛行隊の同僚たちやフランスで出会う看護婦のフサエなどが生き生きと描かれているのも魅力の一つ。
主人公の錦織英彦は、著者が創出した人物ですが、調べてみると、ヨーロッパを主戦場にした第一次世界大戦の頃、フランス陸軍に滋野男爵をはじめとする8人の日本人がピロット(飛行機乗り)がいたということを知り、驚きました。
飛行機の画像を見ながら、ライト兄弟からわずか十数年後という短期間に、まさに日進月歩というように、次々に新型モデルが投入される戦闘機の進歩のスピードにも驚嘆しました。
第一次世界大戦を描いた小説がほとんどない中で、ワクワクする素敵な物語とともに、埋もれた歴史を掘り起こしています。
著者は近代という新たな舞台を切り拓き、歴史小説の新たな地平を創出しました。
本書は、文庫書き下ろしという発行スタイルながら、第13回日本歴史時代作家協会賞作品にノミネートされた歴史小説です。
賞の行方はわかりませんが、ノミネートに値する作品だと思いました。
鶴は戦火の空を舞った
岩井三四二
集英社 集英社文庫
2024年5月30日第1刷
カバーデザイン:目崎羽衣(テラエンジン)
装画提供:(c)Francois Flameng / heritage Images
●目次
第一章 死と隣り合わせの任務
第二章 青島空中戦
第三章 フランスの青い空
第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ
第五章 悪しき道楽
第六章 軍服と白衣
第七章 飛行機乗りの本望
解説 伊東潤
本文430ページ
文庫書き下ろし
■今回取り上げた本