『岩鼠の城 定廻り同心新九郎、時を超える』|山本巧次|光文社文庫
山本巧次さんの『岩鼠の城 定廻り同心新九郎、時を超える』(光文社文庫)は、江戸の定廻り同心瀬波新九郎が過去の戦国時代にタイムスリップして、殺人事件に遭遇して解決するという、時代SFシリーズの第2弾です。
前作『鷹の城』では、新九郎は、天下布武で突き進む織田信長の時代にタイムスリップしましたが、今回は豊臣秀吉の時代です。
織田信長の天下取り目前の天正六年にタイムスリップして散々な目に遭った江戸南町奉行所の同心・瀬波新九郎。ようやく江戸に戻り探索に精を出していただが、またも、時空を超えることに! 今度の「行き先」は、豊臣秀吉の時代。そしてまた密室殺人が起き、新九郎は命を狙われるのだが……。「八丁堀のおゆう」著者の傑作シリーズ第二弾が、なんと文庫書き下ろしで登場!
(『岩鼠の城 定廻り同心新九郎、時を超える』カバー裏の紹介文より)
定廻り同心瀬波新九郎は、根津宮永町に住む常磐津の師匠が自宅で首を絞められて殺された事件を追っていました
。現場から奉行所へ戻る途中、不忍池の畔に出て池沿いの通りを南に歩いていると、池の土手で遊んでいた子供たちの一人が、池に落ちました。助けようと身を乗り出した新九郎の足元が突然崩れ、頭から池に落ち込みました……。
不忍池に落ちたはずの新九郎は、何と伏見の光運寺で目覚めました。
そばには住職の良霍(りょうかく)と名乗る僧侶が。
タイムスリップ先の状況がわからない新九郎は、まずは記憶をなくしたふりをして、寺で厄介になることに。
「情けないことながら、今日が何年の何日かも思い出せませず」
おお、さもあろうと良霍は頷いた。
「今日は文禄四年(一五九五)の葉月の五日じゃ。思い出されたかな」
「ああ、葉月の五日。はい、思い出しました」
新九郎は顔色を変えないよう、必死で堪えた。文禄四年だと。確かに覚えのある年だ。いったい何年前で、何が起きた年だったか……。(『岩鼠の城 定廻り同心新九郎、時を超える』 P.26より)
良霍によると、三日前に、三条河原で先の関白豊臣秀次の子と妻妾侍女のことごとくが首を刎ねられたばかりだと。
関白秀次の謀反に連座し、鶴岡式部が改易になる。それは古文書にはっきり書かれていた。式部の運命は、新九郎の先祖と密接に絡み合っている。この改易に際し、先祖とその周りの人々が危機に陥るということは、十分に考えられる。もしや自分に時を遡らせたいずれかの神だか何だかは、その危機を救え、と言うつもりなのだろうか。
(『岩鼠の城 定廻り同心新九郎、時を超える』 P.33より)
二日後、良霍の知り合いの伝手で、新九郎は旧知の奈津と会うことができました。
奈津は、青野城主鶴岡式部の娘で、豊臣家の遠縁の男に嫁いでいましたが、式部が前関白の謀反に関わった疑いがかけられて、嫁ぎ先から離縁されていました。
尼寺に滞在していた奈津は、そのときある問題を抱えていました。
太閤殿下の御側衆の田渕道謙が殺され、式部の家臣の湯上谷左馬介に嫌疑がかけられ牢獄に捕らえられていると。
道謙は、式部が関白の謀反に関わっていると奉行石田治部少輔らに告げた者の一人でした。
新九郎は、翌日、鶴岡式部の詮議の一環として奈津のもとにやってくる石田三成らに合うことになりました。
そして、左馬介を釈放するために、三成から探索のお墨付きと十五日間の猶予をもらい、真の下手人を見つけ出すことになりました……。
新九郎は、いかなる探索方法と推理で、事件の真相に迫り、真犯人を見つけ出すことができるのでしょうか?
下手人の詮議が未成熟の戦国時代に、捕物のプロの新九郎の聞き込みと推理が冴えます。
戦国時代を舞台に、捕物小説が堪能できます。
本書で面白いのは、戦国を代表する論理的な思考の持ち主である、石田三成と新九郎が殺人事件をめぐって意見を戦わせるところにもあります。
タイムスリップ型の時代SFでは、歴史を変えることはできませんが、主人公が記録に残らない形で何らかの働きをして、わたしたちの知っている「歴史」に戻すことがあります。本書でも、新九郎に時を遡らせたのは、歴史が書き換わる「危機」を救えということなのかもしれません。
その危機に何らかの対応できない限り、新九郎も元の時代(江戸)へ戻れないということなります。逆に言えば、事件を解決できれば江戸に戻ることもできるということ。
時代SFの真理に、「なるほど」と膝を打ちたくなりました。
岩鼠の城 定廻り同心新九郎、時を超える
山本巧次
光文社 光文社文庫
2023年10月20日初版1刷発行
カバーデザイン:Fieldwork(田中和枝)
カバーイラスト:スカイエマ
●目次
序 三条河原
鼠色の城
幕 指月伏見城
本文305ページ
文庫書き下ろし
■今回紹介した本