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夫の仇を討つため、義父と二人、江戸深川で暮らす武家女

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『春のとなり』|高瀬乃一|角川春樹事務所

春のとなり高瀬乃一(たかせのいち)さんは、2020年に「をりをり よみ耽り」第100回オール讀物新人賞を受賞し、2022年に受賞作を含む『貸本屋おせん』でデビュー。2023年、同作で第12回日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞し、注目の新進作家のひとり。

本書は、『無間の鐘』に続く、デビュー3作目です。
江戸中期の出版界を描いた連作小説のデビュー作から、一転、第2作では人の欲を叶えるという不思議な鐘がもたらす悲喜劇を描いています。

そして、作家としての真価が問われる第3作。
今回は題材を変えて、夫の仇を討つために、江戸に出てきた武家の女・奈緒を主人公に描く武家小説であり、長屋が櫛比する江戸・深川を舞台にした市井人情小説の趣きもある作品です。

奈緒は、夫の仇を討つため、義父の文二郎と信州から江戸へやってきた。
ふたりは暮らしを立てようと、深川で薬屋を営むが、医者である文二郎の元には、貧しく医者代の払えない病人やけが人が次々と駆け込んでくるようになっていた。
そんなある日、深川の芸者・捨て丸が、惚れ薬を作ってほしいといってくる。
捨て丸の相手は、なんと有名な本草学者であった……。

奈緒たちは、藩の秘め事に巻き込まれながらも、市井の人々のたくさましさと優しさに触れ、日々の暮らしを愛するようになるが――

(『春のとなり』カバー帯の紹介文より)

長浜文二郎は、信州米坂藩城下の武家町に居を構える医者。藩主を診療をすることもある藩医でしたが、既に息子の宗十郎に家督を譲り隠居の身でした。
宗十郎の妻・奈緒は二年前に死産をしましたが、夫婦仲は悪くなく幸せに暮らしていました。

ところが、ある夜、宗十郎が朝鮮人参を横領したことが発覚することを恐れて自裁し、文二郎もその夜のできごとにより、失明してしまいました。

奈緒は、夫の無実を晴らして、その仇を討つために盲目の義父と二人で出奔し、江戸へ移り住み、深川堀川町に薬の売弘所兼住居を構えました。

いつのまにか文二郎が医者の心得もあり、腕もいいという話が広まり、お金がなくて医者にかかれない者たちがやってきました。

「それで思い出したんだよ。長屋の差配が、堀川町に腕のいいお医者がいるって話していたのをさ」
「うちは医者ではございません。薬でございます」
 毎度のことながら、治療を求めて訪ねてきた客には、奈緒が断りをいれている。だが、ここでしか診てもらえないんだと泣きつかれたら、追い返すわけにもいかなかった。

(『春のとなり』 P.15より)

その日、冬木町に暮らす川並鳶の友蔵は、木場の材木の下敷きになった拍子に、手にした鉈で右足の脛を裂いてしまい、血が止まらず、薬の売弘所へ運び込まれました。

目が不自由ながらも、医術の豊富な知識と確かな見立てができる文二郎は、奈緒に自分の代わりに針と糸で傷口を縫合するように指図しました。

これまでも自分は文二郎の「目」と割りきって、薬研を立てたり、薬を調合したりしている奈緒でしたが、縫合は初めてで……。

「このあたりに、薬屋があるってきいたんだけど」
「うちでございます。なにかご入用ですか?」
「惚れ薬は作れるかい?」
「え?」

(『春のとなり』 P.22より)

治療を終えて、夕餉の支度のため路地に足を向けた奈緒は、二十四歳の自分より二、三歳若い女に声を掛けられました。

捨て丸と名乗った女は、櫓下の茶屋「多幾山」の抱え芸者で、好きになった人は、高松のほうの出で、山に入って石を掘り、海沿いでは貝を探し、家では難しい本を読んでいる、ちょっと風変わりな武家だと……。

藩内の抗争の影響で、武家が出奔して浪人になって江戸で暮らすという、時代小説の黄金パターンを踏みながらも、医療時代小説や人情市井小説の魅力も併せ持っていて、時代小説の面白さが堪能できます。

奈緒の気持ちの変化をとらえた心情描写が見事で、夫の死の真相が明らかになっていく過程でサスペンスも高まっていき、引き込まれます。

捨て丸の恋人として、若き日の平賀源内が登場するのも、時代小説ファンには楽しみなところです。歴史上の著名人の使い方が巧いです。

 来年に閏四月に、湯島で「東都薬品会」を開く予定である。いまは全国から出展物を集めているところだ。すでに五回目の開催。源内は三回目から主宰する立場である。

(『春のとなり』 P.138より)

著者はどのように源内を描くのでしょうか?

薬品会の出展物は薬品に限らず、珍しい内外の珍奇な産物で、本草学者として地位を確固たるものにしたい、源内にとっては重要なイベントです。

ちなみに、第五回「東都薬品会」は宝暦十二年に開催されているので、物語に描かれているのは、宝暦十一年ということになります。

ストーリーテラーとしても期待している、著者の新たな引き出しの一つを堪能させていただきました。次の作品もますます楽しみになりました。

春のとなり

高瀬乃一
角川春樹事務所
2024年5月8日第一刷発行

装画:上村松園「晩秋」(1943年 大阪市立美術館蔵)
装幀:鈴木久美

●目次
第一話 雪割草
第二話 願いの意図
第三話 冬木道
第四話 雪鳥
最終話 春の雪

本文237ページ

本書は「ランティエ」2023年11月号から2024年3月号まで連載した「名残の雪」のタイトルを変更し、加筆・訂正したもの

■今回紹介した本



高瀬乃一|時代小説ガイド
高瀬乃一|たかせのいち|時代小説・作家 1973年、愛知県生まれ。名古屋女子大学短期大学部を卒業。 2020年、「をりをりよみ耽り」(『貸本屋おせん』に収録)で第100回オール讀物新人賞を受賞し、2022年に『貸本屋おせん』でデビュー。 2...