『奔る合戦屋 上・下』|北沢秋|河出文庫
北沢秋(きたざわしゅう)さんの歴史時代小説、『奔る合戦屋(はしるかっせんや) 上・下』(河出文庫)が河出書房新社より、スタイリッシュな装幀で装いも新たに復刊されました。
縁あって、今回、解説を担当させていただきました。
本書は解説など必要でないほど面白く、痛快というだけでなく読み終えた後、深い余韻が残る作品です。
『哄う合戦屋』で痛快無比の活躍をする、合戦屋こと、天才軍師の石堂一徹の若き日を描いた作品です。『哄う合戦屋』では三十半ばの壮年となっていましたが、本書では、時代を一気に十五年以上さかのぼり、十九歳の若武者として登場します。
いかにして合戦屋はつくられたのでしょうか。
時は天文二年(一五三三)。村上義清に仕えていた若き日の石堂一徹は、並外れた武芸と戦術により家中で台頭していく。素晴らしき伴侶・朝日と愛娘にも恵まれ、すべてが順風満帆なように思われた。一方、甲斐を統一した武田勢の佐久侵攻がはじまり、村上家との直接対決が現実のものになりつつあった……孤高の合戦屋・石堂一徹はいかにして誕生したのか!?
(『奔る合戦屋 上』カバー裏の紹介文より)
天文二年(一五三三)、十九歳の石堂一徹は、北信濃から東信濃の一部を支配する大豪族の村上義清に仕えていました。
六尺二寸の巨躯を生かしての武芸は村上家随一との定評があり、さらにいくさの駆け引きのうまさでも群を抜いた存在でした。
義清に反旗を翻した東信濃の佐久郡にある有坂城を、わずか半日のいくさで落とすという大功をあげた一徹について、義清は次席家老の石堂龍紀に「次男ながら、一徹に家督を譲ってやれ」と言い渡しました。
石堂家は、算用の才を買われて、村上家の財政をつかさどる勘定奉行をつとめていました。長男の輝久も武芸では次男の一徹には遠く及ばないものの、算用の才では龍紀の業務を引き継ぐに十分なものを備えていました。
石堂屋敷を、佐久郡の小領主で一徹の与力でもある江元源乃進が訪ねて、一徹の嫁取りの話がもたらされました。
「武家の娘としてどこへ出しても恥ずかしくない躾を受けていて、家事万端に長け、人柄がよく器量にも不足がないというのに、もうすぐ十八歳になるまでどうして縁談が纏まらなかったのでありましょうか」
「それでござるよ。世間並みの物差しで計れば、朝日にはたった一つの欠点があるのでござる」
源乃進はそう言ってから、黙って興味深げに聞いている一徹に顔を向けて僅かに笑みを含んだ。
「それは、身の丈がいささか大きいことでありまする」(『奔る合戦屋 上』P.53より)
「五尺(約百五十二センチ)の女は大女」といわれた時代に、源乃進が勧める朝日は源乃進より背が高く、五尺六寸(約百七十センチ)といったところだと。
六尺二寸の一徹は、村上家中でも際立った巨躯の持ち主で、並の身の丈の娘ではとても釣り合いが取れないとところ、五尺六寸の朝日は並んでも見劣りがしない娘でした。
「私はこの体だ、人の三倍は食べる。しかし戦場では人の五倍働いて、誰にも文句は言わせぬ。よく食べてよく働く、それが石堂の家風だ」
「うれしゅうございます。それでは私も人の二倍食べて三倍働けば、よろしいのでございますね」(『奔る合戦屋 上』P.62より)
実際に会ってみた二人はたちまち意気投合し、一徹は朝日のおおらかな振る舞いに心が弾む思いを抑えきれず、この娘ならば自分が石堂家の家督を継いでも楽々と家中を切り盛りしてくれると確信し、朝日の嫁入りが決まりました。
このやり取りを読んでいて、関係がないことと思いながらも、ドジャース大谷選手の結婚を連想しました。
一徹の天才的な軍略や武勇伝の描写ばかりでなく、朝日やその後二人の間に生まれる娘との生活、一徹のもとに集う十人の若者たちと武芸の稽古など、日々の暮らしも丹念に描かれていきます。
ドキドキし興奮する戦いの合間に描かれる一徹の日常が楽しくて心を奪われます。
『史記』を愛読し、「今の俺の望みは、縦横に策略を巡らして殿を信濃の国主にのし上げることだ。俺が求める恩賞とは、地位でも領地でもなく、稀代の名軍師という千年の後の評価なのだ」と考える一徹と、武勇に頼む所があり目先の戦いに一喜一憂する義清とがやがて衝突するのは必然でありました。
そして、一徹の献策は次第に疎まれていくことに……。
周囲の国々が有力な戦国大名によって統一されていく中で、当時の信濃国は、南信濃に諏訪氏、中信濃に小笠原氏、北信濃に村上氏が、各地に割拠する小さな豪族を包括して、ゆるやかに治めていました。
そんな信濃に甲斐の武田氏が侵攻していくのが、物語に描かれた時代です。
一徹の戦いを通して信濃国の戦国の歴史がしっかりと描き出されているのが面白く物語に引き込まれていきます。
そして、ここで描かれる合戦屋一徹の姿は、既視感があるようにも思われました。そう、『哄う合戦屋』に相通じる部分が確かにありました。
なぜ、著者は時系列ではなく、第2作で合戦屋のはじまりの物語を描いたのでしょうか?
その答えは次に刊行される完結編の『翔る合戦屋』にあります。
2024年7月に刊行される次巻も読まずにはいられません。
奔る合戦屋 上・下
北沢秋
河出書房新社 河出文庫
2024年5月20日初版発行
カバーデザイン:大倉真一郎
カバーイラスト:yoco
●目次
上巻
第一章 天文二年 夏
第二章 天文三年 春
第三章 天文三年 夏
第四章 天文四年 初夏
第五章 天文五年 秋
本文257ページ
下巻
第六章 天文七年 晩春
第七章 天文八年 秋
第八章 天文九年 初夏
第九章 天文十年 初夏
最終章 天文十年 夏
解説 理流
本文280ページ
2012年3月、双葉文庫で刊行された『奔る合戦屋 上・下』を加筆修正のうえ、再文庫化したもの
編集協力:株式会社アップルシード・エージェンシー
巻頭地図:ワタナベケンイチ
■今回取り上げた本