『裁判官 三淵嘉子の生涯』|伊多波碧|潮文庫
2024年春からの放送される朝の連続テレビ小説「虎に翼」で、伊藤沙莉さんが演じる主人公猪爪寅子のモデルとなり、スポットライトを浴びる、女性で初の弁護士で、裁判所所長となった三淵嘉子(みぶちよしこ)。
伊多波碧(いたばみどり)さんの文庫書き下ろし小説、『裁判官 三淵嘉子の生涯』(潮文庫)は、三淵嘉子の生涯を描いた長編小説です。
三淵(旧姓武藤)嘉子は明治大学法学部を卒業し、日本初の女性弁護士となるが、戦争ですべてを失うと、新たな思いを胸に差別のない司法を実践すべく裁判官になることを決意する。34歳で裁判官に就任後、アメリカで家庭裁判所を視察。帰国後は各地の家庭裁判所で社会的弱者に目を向け、精力的に活動した。――逞しくしなやかに生きた女性法曹の先駆者の生涯を描く。
(本書カバー裏の紹介文より)
武藤嘉子は大正三年(1914)十一月に父の赴任地シンガポールで生まれました。父が東京支店へ異動になり、帰国が叶ったのを機に、麻布笄町に借りた武家屋敷で、良妻賢母こそ女の目指す道と信じている母信子と四人の弟たちと一緒に、一家七人仲良く暮らしていました。
昭和六年(1931)年十月。
東京女子高等師範学校附属高等女学校(通称お茶の水高女)に通っている嘉子は、先月、父に弁護士法が改正の動きがあり、女も弁護士になれる時代が来ると知らされて、東京で唯一女子で入学できる明治大学女子部入学の手続きを済ませてしまいました。
「すぐに入学手続きを取り消していただきなさい。法律の勉強なんて絶対に許しませんからね。お嫁にいけなくなりますよ」
(『裁判官 三淵嘉子の生涯』 P.10より)
ところが、法事で故郷丸亀に帰っていた信子が戻り、嘉子が明治大学女子部に入ると知り、絶句し、以来ひと月にわたって反対し続けていました。
法律を勉強するような娘は怖がられて、嫁の貰い手がなくなるというのです。
嘉子にしてみれば、法改正の機運に乗らないの方がもったいないことで、縁談の数が減ってもどうということはなく、いざとなれば結婚相手も自分でみつければいいと。
反発心を抱えて登校するも、意外にも女学校の友達は信子と同じ反応を示しました。
お茶の水高女では、在学中に縁組みがまとまり、卒業したらすぐにお嫁にいく。釣り合いの取れた相手のもとへ嫁ぎ、子を産む。周囲に祝福される順当な道で、信子が嘉子に望む将来像でもありました。
家に帰ると、信子が待ち構えていましたが、「入学手続きは取り消しません」と信子が口を開く前に宣言しました。
「学校の先生かお医者さんじゃ駄目なの?」
「弁護士がいいの。司法科試験を受けたい」
「どうしてなの。わかるように話してみなさい」
「すごく難関だから」
嘉子の答えを聞いて、信子が呆れ顔になった。
「帝大法学部を出た方でも半数は落ちると、パパに聞きました。それだけ大変な試験なら、わたしも挑戦してみたい。国内有数の秀才たちと競って試験を突破したいの。日本で最初の女弁護士になりたい」
(『裁判官 三淵嘉子の生涯』 P.43より)
頑固な母と、「社会が矛盾を許しても、簡単に諦めないことだ」と励ます博識の父に育てられ、嘉子は男性社会の法曹界へ飛び込んでいき、時代を切り拓いていきます。
わずか百年足らず前のことなのに、当時、女性が弁護士になったり、裁判官になったりすることがこれほど困難だったとは。改めて先人たちのご苦労に頭が下がります。
女性初の法曹人としての険しき道とそこでの奮闘ぶりが描かれています。
淡い恋と受験勉強、仕事と家庭の両立、夫と子どもとの関係、そして、家族を襲う戦禍、波瀾に富んだ生涯は読みどころ満載で、まさに朝ドラを見ているように物語の世界が目の前に広がっていきます。
朝ドラでは、嘉子をモデルとした、猪爪寅子が法という翼を手に入れ、女性初の弁護士、裁判官として活躍していきます。こちらも楽しみです。
朝ドラのヒロインのモデルを描いた小説では、「あさが来た」の原案本、古川智映子さんの『小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯』が思い出されます。
裁判官 三淵嘉子の生涯
伊多波碧
潮出版社・潮文庫
2024年3月20日初版発行
装画:田尻真弓
カバーデザイン:重原隆
●目次
第一章 武藤家の食卓
第二章 日本初の女性弁護士誕生
第三章 嘉子の新婚生活
第四章 三淵乾太郎との出会い
第五章 家庭裁判所の母
本文267ページ
文庫書き下ろし。
■今回紹介した本