『火輪の翼』|千葉ともこ|文藝春秋
最近、ニュースで戦争のことが報道されない日がなく、人の欲深さと愚かさに悲しくやるせない気持ちになります。
一日も早く戦争が終わって平和な日々がきてほしいと願わずにいられません。戦争は始めるよりも終わらせることが難しいとも言われていて、祈ることしかできない無力感にも襲われます。
『火輪の翼』(文藝春秋)は、中国・唐代に起きた安史の乱(755~763年)を描いた歴史時代小説です。
辺境を守る武将安禄山(あんろくざん)が起こした安史の乱は、世界史上、最大の死者数を出した戦乱ともいわれています。
一説には、当時の唐の人口の3分の2にあたる3600万人が亡くなったとも。
著者は、2020年に『震雷の人』で第27回松本清張賞を受賞してデビューし、2022年に第2作の『戴天』で第11回日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞し、本書が3作目です。
この3作はいずれも安史の乱を取り上げていて、安史の乱三部作と呼ばれています。
わが首を代償に、この大乱を終わらせる
玄宗皇帝が政治を疎かにし国が乱れていた唐の時代、民を救うため安禄山と史思明が挙兵し、安史の乱が勃発する。だが戦いは泥沼化し、国は疲弊する。絶大な人気を誇った力者の娘・呉笑星、史家の長男・史朝義、安家の次男・安慶緒は、命を賭して戦を終わらせようと誓うが――。
(『火輪の翼』カバー帯の説明文より)
十六歳の呉笑星(ごしょうせい)は、唐土で知らぬ者はいないという人気を博した角抵(かくてい、相撲)の力者(レスラー)の娘。父主鳥王は安禄山挙兵の直後に急死し、兄弟子たちは討伐のための義勇兵に応募し、呉笑星は父を贔屓にしていた養鶏商人に預けられていました。
「ほんとうにいじきたない女だよ。図体ばかりでかくて、とんだむだ飯食いだ」
――食べさせてくれないくせに。
腹の虫が鳴り、呉笑星は心のなかで悪態をつく。
「ちゃんと言いつけを守れば食事だって出してやるんだ。たかが長芋を手に入れるのがそれほど難しいかね」(『火輪の翼』P.14より)
養鶏商人の妻は無理難題を押しつけて、罰として呉笑星の食事を抜きました。許されるのは飲み水だけで、一日五食を取っていた呉笑星にとって、丸二日の絶食は耐えがたく、厨から麦餅を持ち出したところを見つかって、折檻を受けたのでした。
ずば抜けた角抵の素質があり、父のようなレスラーになるという夢を持っていた呉笑星。
ところが、養われていた屋敷では、金物に触れると手が被れるという体質で家事ができず、体ばかり大きくて何の役にも立たない、厄介者に過ぎません。
「こんな戦を起こして、許さないんだから」
長芋を求めて屋敷を出て、孟津(副都・洛陽の近くの都市)の中心街に出た呉笑星は、そこで、食べ物を盗んで、孤児たちの面倒を見ている十三歳の少年福と出会いました。
母と別れて、孤児たちと一緒に暮らしていた福は、呉笑星の父・朱鳥王に憧れて、角抵で稼いで子どもたちを養いたいとも夢を語りました。
「謝ってほしんじゃない。こんな戦、はやく終わらせてって言ってるの」
呉笑星を見つめる瞳のきわが震える。
史家の長男坊は、おのれに言い聞かせるかのように応えた。
「約束する」
それから口を引き結び、一瞬瞼を閉じてから呉笑星を見つめた。
「約束するよ。一日でもはやくこの戦を終わらせる」(『火輪の翼』P.60より)
危難に遭った呉笑星の前に現れた、幼馴染みで、叛乱軍の主柱の一人史思明の長男史朝義(しちょうぎ)。
久しぶりの再会に、なぜ挙兵したのかという問いに、史朝義は「切り捨てられてきた者たちの居どころを作るため」と応えました。
物語は、戦乱の時代を背景に、呉笑星と史朝義の二人を中心に、福などの呉笑星を取り巻く人びとと史家の家族が描かれていきます。
また、史朝義の幼馴染みとして、叛乱の首魁安禄山の次男・安慶緒(あんけいしょ)も登場します。
安家の若様、安慶緒は、『震雷の人』にも登場していますが、今回はその描かれ方にも注目です。
表向きは奸臣を除いて天子を助けんがためと言い、目指すところはわれらの楽土を作ろうと戦を起こした父たちと、戦乱を終結させようとする息子たち。
両者の思想の違いは何に由来するものなのでしょうか。
叛乱を起こした側からの視点で描かれた安史の乱は、胸を熱くさせる歴史エンターテインメントであり、良質の少女小説のテイストもあり、一気読み必至の会心作です。
読み終えたとき、山田章博さんの装画をあらためて見て、すべてを俯瞰するような構図の見事さに衝撃を覚えました。
中国最大の戦乱「安史の乱」はいかにして終わったのでしょうか?
本書のテーマは、戦争がある時代を生きる私たちに、一つの姿を見せてくれました。
本を読む、歴史に学ぶ、そして行動する、今、大切なことのように思いました。
なお、著者の三作は安史の乱三部作と呼んでいますが、登場人物や設定など相互に関連がある続き物ではないので、どれから読んでも大丈夫です。もちろん、本書から読むこともおすすめです。
火輪の翼
千葉ともこ
文藝春秋
2024年3月10日第1刷発行
装画:山田章博
装丁:野中深雪
●目次
序章
第一部 暁星
籠鳥の夢
燕巣の乱
佳宵の翼
第二部 朝凪
残紅の夢
大雛の乱
火輪の翼
終章
本文382ページ
書き下ろし。
■今回紹介した本