『ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客』|金子成人|双葉文庫
隣近所との日常的なやり取りがない都市生活では、江戸の長屋のような濃厚なコミュニケーションはなかなか体験できません。今、長屋小説が人気なのは、小説の中だけは、人との情に触れたくなるからかもしれません。
金子成人(かねこなりと)さんの文庫書き下ろし時代小説、『ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客』(双葉文庫)は、お気に入りの江戸長屋小説シリーズの一つ。
女手一つで3人の子供を育てる質舗『岩木屋』の番頭お勝を中心に、根津権現門前町の裏店『ごんげん長屋』の住人たちが繰り広げる、人情長屋小説シリーズの第八弾です。
一話完結の連作形式で、長屋やお勝の勤め先である質舗など根津周辺で起こった出来事や騒動が綴られていきます。
根津権現社にほど近い谷中三崎町の寺で、行き倒れの若い女が見つかった。女は激しい折檻を受けていたらしく、医師である白岩道円の屋敷に運び込まれたという。目明しの作造から、女がうわ言で、娘のお琴への詫びを口にしていたとの話を聞いたお勝は、女に事情を質すべく、道円の屋敷に足を運ぶのだが――。これぞ人情物の決定版。時代劇の超大物脚本家が贈る、大人気シリーズ第八弾!
(『ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客』カバー裏の内容紹介より)
文政二年(1819)十一月。
与之吉とお志麻の貸本屋夫婦が『ごんげん長屋』から神田のほうに屋移りをして、長屋は少し寂しくなりました。
「店子が出たということは、『ごんげん長屋』は空き家がふたつになったということですね」
帳場のお勝は、慶三からそんな問いかけをされた。
「そうなんだよ。大家の伝兵衛さんは、貸家ありの貼り紙を表に貼り出しているけど、慶三さんどうだろ、誰かこれというお人に心当たりはないかねぇ」
「この前まで近所に空き家を探してるのがいたんですけどねぇ。十日前、下谷同朋町に引っ越しました」
(『ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客』P.14より)
お勝も質舗の手代慶三に、空き家に入る人の心当たりがないかと話を振りました。
さて、今回は、空き家が話のモチーフの一つになっています。
第三話「不遇の蟲」では、お勝は料理屋『喜多村』の隠居惣右衛門の知り合いで、『小兵衛店』の家主の小兵衛から、頭を悩ませている店子の一人について相談を受けました。
その店子は、長三郎という名の七十に手の届くくらいの老人で、一人暮らしです。
住人に対して、癇癪持ちのように容赦のない文句や怒りを投げかけて、大家が宥めても聞かないうえに、頭ごなしの物言いをされて大家が言い負かされるという。
お勝が質舗『岩木屋』の番頭として、理不尽な客に恐れることなく対処し、町のならず者を相手に一歩も引かない胆力の持ち主だという噂を聞いて、そんな厄介な相手に対し、お勝がどう向き合うのか聞いてみたいとも。
お勝は、「その厄介なお人の様子を見てみないと、なんとも言いようがございませんが」といって、まずは長三郎の様子を見ることにしました。
お勝が『小兵衛店』を見に行くと、「誰が子を泣かしているんだ」と老爺の怒鳴り声が。さらに、長屋住人の錺職人や講釈師、三味線の師匠にも音がうるさいと怒鳴り声を上げ、振り売りも文句を言われることを恐れて『小兵衛店』には近づかないと言います。
そして遂に、昨晩、長三郎と住人たちが諍いを起こし、止めに入った大家が怪我をして医師の白岩道円の屋敷に運ばれるという騒動が起き、長三郎は立ち退くことになりました。
すぐには空き家は見つからないので、他の空き家が見つかるまでの間、『ごんげん長屋』に住むことに……。
「まぁ、あれだ。人の腹の中には虫がいるからね」
煙管の灰を叩き落とした藤七が口を開くと、
「え。腹の中に虫がいるんですか」
お琴が眼を丸くした。
「いるんだよ。腹の虫が治まらないとかよく言うじゃないか。赤子が夜中に泣き出すのは、疳の虫のせいだとかさ。人は、いろんな虫を抱えてるんだよ。塞ぎの虫とか癇癪の虫、周りから嫌われるって奴は、腹の中に妙な虫を抱えてると、おれは思うがねぇ」
(『ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客』P.14より)
長三郎の来し方が明かされ、なぜ、腹中に「不遇の虫」を飼うことになってしまったのかが綴られていきます。
一幕の舞台物のように、人の機微に触れた趣き深い話になっています。
表題作「初春の客」では、谷中三崎町の竜谷寺で行き倒れの女が見つかり、お勝のもとに、白岩道円の屋敷に運ばれたという知らせが入りました。女は身なりから夜鷹らしいが、折檻を受けたような痕があり、女たちを抱えている者から逃げ出したようだと。
その女がうわ言で、「おことちゃん、ごめん」って言い、お勝の娘、お琴と同じ名前だったことから、目明しの作造が教えてくれました。
お勝が仕事帰りに道円の屋敷に寄って、女から話を聞いてみると……。
行き倒れの女を見つけた娘、お栄は、奉公先の漬物問屋の主一家が夜逃げをしてしまい住む所がなく、次の奉公先として紹介された石屋を探していました。その日は女のことが心配で、そのまま道円の屋敷に泊まっていました。悲惨な状況にもどこまでも明るく話すお栄の事情を聞いたお勝は、お栄を『ごんげん長屋』に連れて帰りました。
本書では、他にお勝は子供たちを連れて亀井町の幼馴染みで剣術道場の一人娘、近藤沙月のもとに一家で泊りがけで出かける一日を描いた「ひとり寝」、『岩木屋』で損料貸しで貸し出された道具類の修繕を受け持ち、下谷同朋町で『よろずお直し』の看板を掲げる要助の過去が明らかになる「お直し屋始末」など、連作四話を収録しています。
十一月の半ばから新年まで、江戸の冬の情景が綴られ、何気ない日々の営みの中で、四季を大切にする江戸の人たちが描き出されています。
長屋の人情、親子の情、夫婦の愛、人の情けの温かさが堪能できる、おすすめの時代小説です。
ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客
金子成人
双葉社 双葉文庫
2024年3月16日第1刷発行
カバーデザイン:寒水久美子
カバーイラストレーション:瀬知エリカ
●目次
第一話 ひとり寝
第二話 お直し屋始末
第三話 不遇の蟲
第四話 初春の客
本文267ページ
文庫書き下ろし
■Amazon.co.jp
『ごんげん長屋つれづれ帖(一) かみなりお勝』(金子成人・双葉文庫)
『ごんげん長屋つれづれ帖(七) ゆめのはなし』(金子成人・双葉文庫)
『ごんげん長屋つれづれ帖(八) 初春の客』(金子成人・双葉文庫)