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アイヌの文化に命を捧げた、知里幸恵の鮮烈な生涯

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『ユーカラおとめ』|泉ゆたか|講談社

ユーカラおとめ泉ゆたかさんの最近の充実ぶりは目覚ましいものがあります。
2023年7月から2024年2月までの間、現代ものを含めて8冊の小説(『幽霊長屋、お貸しします(一)』『幽霊長屋、お貸しします(二)』『おばちゃんに言うてみ?』『母子草 お江戸縁切り帖』『おしどり長屋 おんな大工お峰 お江戸普請繁盛記』『横浜コインランドリー』『ユーカラおとめ』『京の恋だより 眠り医者ぐっすり庵』)を刊行されました。
月1冊のペースで、「月刊佐伯泰英」ならぬ「月刊泉ゆたか」というほどです。

充実した最近の出版活動でとくに目を引いたのが、著者初の評伝小説、『ユーカラおとめ』(講談社)です。
評伝小説とは、個人の生涯の事績を人物評をまじえて書き記した小説のこと。たくさんの資料を用意して、それらを読み込んで小説に肉付けしていくので、執筆が大変なイメージがあります。
その人物が生きた時代が太平洋戦争前後(昭和二十年代ぐらい)までであれば、歴史小説のジャンルにも入れてよいでしょう。

本書は、大正十二年(1923年)にアイヌの神さまの物語である“ユーカラ”十三篇を平易な日本語で記した『アイヌ神謡集』の著者、知里幸恵(ちりゆきえ)の鮮烈な生涯を描いています。

「ユーカラを描き切すことは私が生まれてきた使命なのだ」
絶滅の危機に瀕した口承文芸を詩情あふれる日本語に訳し、今も読み継がれる名著『アイヌ神謡集』。著者は19歳の女性だった。
その功績に注目が集まる知里幸恵の鮮烈な人生を描く、著者初の評伝小説。

(『ユーカラおとめ』カバー裏の紹介文より)

知里幸恵は、その年の五月、旭川から東京へやってきました。ユーカラを研究する、東京帝国大学の言語学者金田一京助の家で、ユーカラの筆録・翻訳のお手伝いをするためです。

勤め先の大学に近接する森川町の京助の家には、妻の静江、息子で小学生の春彦、赤ん坊の若葉、女中の菊が住んでいます。

 だが金田一は幸恵たちアイヌ民族の言語と文化を称え、是が非でもその素晴らしい歴史を途絶えさせてはいけないと熱く語る一方で、和人がアイヌを揶揄する「土人」という言葉をはばかることなく使った。

  ここは土人がすっかり開けて研究の資料はありません。これから厚岸に参ります。
  
 と手紙に平気で書いてくるような具合だ。

(『ユーカラおとめ』 P.33より)

幸恵は、幼い頃は和人の子供に「土人」とからかわれ、大人になってからはすれ違いざまに投げかけられる低い侮蔑の声にはらわたが煮えくり返るような思いをしていました。

差別をバネに、アイヌ民族の誇りを胸に、文字のないアイヌ語のユーカラをカタカナで表記し、平易で詩情あふれる日本語に翻訳していく幸恵。「私はきっと必ず、この金田一という学者を驚嘆させるようなもの、あなたのおかげでとんでもない研究が成功した、と狂喜乱舞するようなものを書いてみせる」と心に誓いました。

「いつまでも寝込んでいるわけにもいきません。私には時間がないんです」
 分厚く腫れた喉から流れ出した自分の言葉に、幸恵ははっとした。
 私には時間がない。
 そうなのか?
 思わず胸に手を当てた。満身創痍の身体の中心で、心臓は未来へ駆け出す足音のように勢いよくリズムを刻んでいた。

(『ユーカラおとめ』 P.115より)

その日、幸恵は夜明け前から咳の発作が出て、ひどい熱と焼けるような喉の痛みに苦しんでいました。
が、自分の使命であるアイヌの文化を守るためにユーカラを記す仕事を続けなければなならいと。

本書では、アイヌ文化に大きな功績を残した、幸恵の鮮烈な生涯を描いています。とくに東京で、金田一やその妻子との生活における、幸恵の心理描写が素晴らしく、病とも闘った薄幸な生涯の中で、光り輝くようなキラキラした瞬間が描かれています。

著者はこれまでも、女性を描くことをテーマにしてきましたが、本書でも、知里幸恵とともに、金田一の妻静江、小説家の中條百合子を対比するように描きながらも、幸恵の生き方をある部分で理解する人として描いているのが面白いところです。

愛に惑い、性に悩む、十九歳の等身大の女性が浮かび上がってきます。
重い病を抱えながらも、最後の瞬間まで懸命に生きる幸恵の姿に感動を覚えました。
直近の執筆活動の充実ぶりから生み出された傑作で、おすすめの歴史時代小説です。

ユーカラおとめ

泉ゆたか
講談社
2024年1月29日第1刷発行

装画:Naffy
装幀:大岡喜直(next door design)

●目次
プロローグ
第一章 東京
第二章 静江
第三章 コタンピラ
第四章 村井
第五章 百合子
第六章 貴女の友
第七章 おとめ
第八章 靄
第九章 銀の滴

本文268ページ

書き下ろし。

■今回取り上げた本









泉ゆたか|時代小説リスト
泉ゆたか|いずみゆたか|時代小説・作家 1982年、神奈川県逗子市生まれ。 早稲田大学大学院修士課程卒業。 2016年、『お師匠さま、整いました!』で第11回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。 2019年、『髪結百花』で第8回日本歴史時代...