『母子月 神の音に翔ぶ』|麻宮好|小学館
2022年、「泥濘の十手」(単行本刊行時に『恩送り 泥濘の十手』に改題)で第1回警察小説新人賞を受賞してデビューした、超新星、麻宮好(あさみやこう)さん。
本書、『母子月 神の音に翔ぶ(ははこづき かみのねにとぶ)』(小学館)は、著者の3冊目の時代小説です。
女形の歌舞伎役者・二代目瀬川路京は人気低迷に足掻いていた。天に授けられた舞の拍子「神の音」が聞こえなくなったのだ。路京は座元と帳元の強い勧めもあり、現状打破のため、因縁の演目を打つことに。師匠の初代路京が舞台上で殺され、さらに瀬川家が散り散りになったきっかけの「母子月」だ。子役として己も出演した因縁の公演を前にして、初代殺しを疑われた者たちが集まってくる。真の下手人は誰なのか? 初代はなぜ殺されてしまったのか? 終幕に明かされる真相に涙を流さずにはいられない。感動の時代小説!
(『母子月 神の音に翔ぶ』(小学館)カバー折り返しの紹介文より)
寛政三年(1791)八月七日、江戸市村座の興行中、立女形の瀬川路京が舞台上で亡くなりました。死因は、酒土瓶に入れられたトリカブトによるもので、科人は実子で十四歳の円太郎と判じられました。十五歳以下のため、遠島刑が妥当と思われたところ、江戸払いとなり、母親と共に上方の祖父に引き取られたと言います。
それから三十四年が経った、文政八年(1825)夏。
初代路京とともに舞台に立っていた子役の与一は、舞の拍子「神の音(ね)」を聞きとる天賦の才と美貌で、二代目路京を継ぐ女形に成長していました。ところが、四十を過ぎた今、容色は衰えを見せ、あるときから「神の音」も聞こえなくなっていて、舞に精彩を欠くようになり、役者評判も“上上吉”から“中”に成り下がり、遂には興行に声が掛からないことも。
そんなとき、路京は市村座の立作者の竹田徳次郎の自宅に呼ばれました。
「そいでな」徳次郎が煙管を置き、丸い目を剥いた。「あれをやろう、思うてんのや。あんたなら、いやあんたにしかできひんやろ」
「あれ、ってぇのは?」
知らぬふうで訊いたが、胸は高い音を立てている。
「いややな。わかっとるやろ。あれ、言うたら、あれしかおまへんがな。ともあれわしに任せとき。伊達に“洗い張りの徳次郎”と言われとるわけやないねんで。前のよりずっとええ狂言になったわ」
(『母子月 神の音に翔ぶ』 P.25より)
添作や改作が多いことから、〈洗い張りの徳次郎〉と称されていた徳次郎は、初代路京が舞台上で亡くなった因縁の舞台『母子月』をやろうというのです。座元の十二代目市村羽左衛門も帳元(金勘定に関わる番頭にあたる)福地茂兵衛も、やる気満々だと。
三十四年前に師匠の初代路京が舞台上で殺されたセンセーショナルな事件を思い出すのが怖くて上演を躊躇する一方で、不可解な事件の真相を知りたいという願いや再起を図るなら格好の演目であるという自信、路京の心中はさまざまな思いが交錯します。
『母子月』の上演をきっかけに、路京は与一と呼ばれていた子役時代のことがしきりに思い出されます。効果的に回想シーンが挟み込まれていきます。
母を亡くして孤独な与一にとって、芸を真摯に追求する立女形の師匠は母であり、父でした。初代の実子で五つ年上の円太郎は、いつも傍らで見守る兄であり、友でありました。円太郎の心情描写が見事で、師匠、与一、円太郎の三人の関係が物語に快い緊張を与えています。
「ああ、そうだ」
思い出したような声に呼び止められた。振り返ると、切れ長の目はどこか悲しげな色をたたえていた。
「直吉、おまえは」
そこでいったん途切れた。喧しい蝉の泣き声が沈黙を埋めていく。何でしょう、と訊きかけたとき、
「真の悪人になれ」
師匠は静かな声で告げた――
(『母子月 神の音に翔ぶ』 P.144より)
疱瘡の痕にコンプレックスを抱え、美貌と天稟に恵まれた与一を嫌い、苛め抜く兄弟子直吉。敵役の存在がこの物語を一層面白くしています。
あたかも上質のミステリーのように、終幕近くに、初代殺しを疑われた者たちが芝居小屋に集まってきます。ワクワク感がどんどん高まっていき、封印されていたものが明らかになったとき、心が震えました。
母子月 神の音に翔ぶ
麻宮好
小学館
2024年1月27日初版第1刷発行
装画:村田涼平
装丁:鈴木俊文(ムシカゴグラフィクス)
目次
序幕 横死
第二幕 亡魂
第三幕 奈落
第四幕 双面
終幕 神の音
本文317ページ
書き下ろし
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