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すべては人のために。富山売薬と調所広郷の心を打つ物語

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『富山売薬薩摩組』|植松三十里|エイチアンドアイ

富山売薬薩摩組植松三十里さんの『富山売薬薩摩組』(エイチアンドアイ)は、徳川幕府が敷いた幕藩体制に揺らぎが生じてきて江戸後期を舞台にした歴史小説です。

本書に登場する薩摩藩家老の調所広郷(ずしょひろさと)は、藩主・島津斉興の側近として仕え、藩の財政改革を断行したことで、毀誉褒貶の激しい人物です。歴史上の人物や出来事の知られざる面に光を当てて、物語を紡ぐ著者は調所をどのように描いたのでしょう。

薩摩藩大坂屋敷。「昆布や薬種を売り買いして、民百姓を楽にしてやりたいのだ。清国人、薩摩人、そして、そなたらが薬をもたらす他国の者どもも、安く良薬を得られる。どれほど多くが助かるか」
破綻寸前の財政改革に挑む薩摩藩家老・調所広郷が富山売薬薩摩組の密田喜兵衛に蝦夷昆布の密貿易を持ち掛けた。最後に調所は声をひそめて所望した。
「一服で確実に死ねる毒薬を用意してもらいたい」

(『富山売薬薩摩組』カバー帯の紹介文より)

天保二年(1831)、越中富山城下の売薬商、能登屋の主人密田喜兵衛は、深い谷間を襲った山津波で、薬草園の高麗人参を失い、右腕のような存在の番頭の寅松も足に大怪我を負ってしまいました。

能登屋の奉公人は、店売りのほか、諸国へ行商に出る富山の薬売りでもありました。諸国へ行商の長旅に出て、家々に薬箱を置いて歩き、次に訪れたときに、使った分だけ代金を受け取る、「先用後利」の越中富山の置き薬のしくみです。
行き先ごとに、薩摩組、紀州組、駿河組などと組分けされ、同じ組の仲でも各行商人が独自の顧客を持ち、たがいに侵さない決まりがありました。

山津波からひと月が経った頃、喜兵衛は同じ薩摩組の金盛仙蔵とともに、歴代富山藩藩主の菩提寺に呼び出されました。そこで、藩主前田利幹と面談し、薩摩藩の大坂蔵屋敷で、藩の財政改革を担う調所広郷と会うように命じられました。

喜兵衛と仙蔵は大坂で調所と面談すると、調所は薩摩組で船を持ち、蝦夷昆布の密貿易をしてほしいと持ち掛けました。
新造船の建造費を低利で貸し、抜け荷と薬種の交換も請け負い、差し止められていた藩内での行商も解除するといいますが、密貿易は幕府の禁制に触れ、発覚すれば罪人になってしまいます。

「商人は、もっと重んじられるべきだ。何が売れるか見極めねばならぬし。資金も要る。運ぶ手間もかかる。頭を使わねば、できぬ仕事だ」
 明らかに重商主義の話であり、重農主義を貫く幕政を批判していた。
「ただ江戸や大坂の豪商の中には、私利私欲のために金を儲け、贅沢にふける者も少なくはない。彼らに集中する富を、私は国許に分け与えたい。昆布や薬種を売り買いして、民百姓を楽にしてやりたいのだ。もちろん奄美の者たちも」
 正当に商売を重んじ、広く利を享受する。そんな風潮を、薩摩から諸国へ広めたいという。

(『富山売薬薩摩組』P.39より)

喜兵衛と仙蔵は富山に戻り、薩摩組全員を集めて、調所から聞いたことを何もかも打ち明けて、仲間たちに相談しました。信用できないという声が多い中で、喜兵衛は差し止め解除の話は悪い話ではない、行商に行くなら一人も欠けることなくみんなで行こうと、話をまとめました。

五年ぶりに、薩摩藩内での行商を許された喜兵衛らは、ある村でまだ若い当主から「子が授かる薬がないか」と聞かれます。老母から不妊を理由に責められて、女房が気に病んでいると。
一方、当主の老母からは一服で死ねる薬が欲しいといわれました。喜兵衛が詳しく話を聞いていみると……。

本書は、富山売薬薩摩組の中心だった密田喜兵衛を主人公にしています。本書を読むまでまったく知らない人物でしたが、史料が残る実在の人物です。彼を通して、なぜ、富山の薬売りが薩摩藩の密貿易に力を貸したのかが、その実態とともに明かされていきます。

行商で村々を回る薬売りと村人たちとの交流の場面は胸を打ち、医者がいない農村では薬売りと置き薬の必要性と価値は大きかったのだと思い知らされました。

本書では、調所が藩内で行った各種の財政改革について触れられ、さらに密貿易の顛末が綴られていき、富山売薬薩摩組のみならず、富山藩と薩摩藩を巻き込み、幕府をも揺るがす事件に発展していきます。

政治家の裏金問題が表出し、政治と金について考えさせられる昨今。
領民の幸せを一途に願い、清濁併せ吞んで、改革にまい進した調所広郷の腹のくくり方といさぎよい出処進退について、まぶしく感じました。

調所による藩の経済再建があったからこそ、薩摩藩が幕末維新を経済面から主導できたのでしょう。
調所広郷を描いた歴史時代小説としては、調所を幕末の経済官僚の面から捉えた、佐藤雅美さんの『薩摩藩経済官僚 回天資金を作った幕末テクノクラート』をおすすめします。

富山売薬薩摩組

植松三十里
エイチアンドアイ
2023年11月20日 初版第1刷発行

装画:ヤマモトマサアキ
装幀:幅雅臣

●目次
一章 山津波
二章 拒めぬ厳命
三章 灰の国
四章 家老の野心
五章 波濤を越えて
六章 漂流の果て
七章 評定所
八章 雄々しき梢

本文218ページ

■今回取り上げた本


植松三十里|時代小説リスト
植松三十里|うえまつみどり|時代小説・作家静岡市出身。東京女子大学史学科卒。出版社勤務など経て、作家デビュー。2002年、「まれびと奇談」で第9回「九州さが大衆文学賞」佳作入選。2003年、『桑港にて』で第27回歴史文学賞受賞。2009年、...