『真田の具足師』|武川佑|PHP研究所
デビュー作『虎の牙』と第2作『落梅の賦』で武田家を描いた、実力派の歴史小説家、武川佑(たけかわゆう)さん。
『真田の具足師』(PHP研究所)は、武田家の後を継ぐように信濃を中心に勢力広げ、戦国時代に光を放った真田家を描く歴史長編です。
戦(いくさ)の必需品である具足(甲冑)をテーマに、真田vs.徳川の戦いと宿命を描いた戦国エンターテインメントでもあります。
岩井与左衛門は、南都奈良の具足師(甲冑師)の家に生まれ、修業を積んでいたが、あるとき「ズクを打った」(不良品を作った)と言われ、勘当される。その才能を惜しみ、目をつけたのが徳川家康。信濃の国衆・真田との戦いで惨敗を喫した理由は、真田兵が着用している「不死身の具足」にありと考えた家康は、与左衛門に真田潜入を命じる。甲賀の忍びの女と二人で上田城下に入った与左衛門だったが……。
(『真田の具足師』カバー帯の説明文より)
天正十三年(1585)、閏八月。
第一次上田合戦で、徳川家康の軍は真田家に手痛い敗北を喫しました。
その理由の一つが、猿面と天狗の面を被った二人の武士に率いられ、鑓で突いても鉄砲で撃ってもゾンビのように死なない真田兵たちが着ていた「不死身(しなず)の具足」でした。
思い出すだけで鳥肌が立つ。
あの強さが欲しい、と家康は震えながら思う。
「真田は武田の遺臣。そこに因業がある。具足の秘儀を知らねばならぬ。さもなくば――」
さもなくば、秀吉に食われて徳川が滅びる。(『真田の具足師』P.18より)
天正十四年(1586)、睦月。
与左衛門は南都奈良の具足屋(甲冑職人)の家、岩井屋に生まれました。奈良の具足師は本朝随一の古さがあり、岩井屋は仕立てに秀でた具足師として知られていました。ところが、与左衛門が打った具足で武将が死にかけたことから、不良品という話が奈良じゅうに伝わり、父から勘当されました。
家を出た与左衛門は、浜松城の家康のもとに伺候し、鑓も火縄銃の弾も防ぐという「不死身の具足」の謎を解くように求められ、胴部分に鏨で孔を開けた与左衛門は、桶側胴が刃金(鋼)で作られていることを見抜きました。刃金は高価なもので、雑兵に売れる値段にはなりません。
ならば「解」はひとつ。
「結論を申します。真田は自らの領国で刃金を作っている。それも、多量に」
拵えた具足師もまた、真田領内にいる。畿内の工房の作なら、評判は耳に入る。
言いながら、与左衛門は全身が震えた。とんでもない腕の鍛冶師か具足師が、東国信濃の山奥にいる。
――わしは、あんたに会いたい。(『真田の具足師』P.34より)
家康から上田城に忍び込んで、真田の具足の秘密を暴き、その技術まで奪い取るように命じられました。
与左衛門は、服部半蔵正成配下の甲賀忍びの乃々(のの)と、夫婦に成りすまして、上田城下に入りました……。
秘密を探ろうと軽率に嗅ぎまわった与左衛門は、早速、『柿渋』と呼ばれる真田の忍びに襲われますが、同時に手がかりを掴み、真田昌幸に仕える具足屋となっていきます。
物語は、小田原城攻めから関ヶ原の戦い、大坂の陣へ、激動の時代を生きた真田家に、具足屋与左衛門がいました。具足の謎とともに真田家が抱える秘密も知ることになります。
著者が得意とする庶民と武将が交わる物語は、複眼的に歴史をとらえることができるとともに、読者の知的好奇心を刺激し想像力を掻き立て、稀有な物語の世界にいざないます。
本書でも、与左衛門が助けた孤児が物語で大きな役割を演じるところが面白く、著者のストーリーテラーぶりが堪能できます。
読み応えのあるエンターテインメント戦国小説の誕生です。
戦の中で、武人の身を守るはずの具足が、時には凶器となるという逆説的な指摘にドキッとしました。
人が死なない具足と、守り切れずに人を殺してしまう具足。
武士たちの戦いの裏で繰り広げられる、具足師(甲冑師)たちの命がけの闘いを夢中になって一気に読みました。
真田の具足師
武川佑
PHP研究所
2023年10月5日第1版第1刷発行
装丁:芦澤泰偉
装画:影山徹
●目次
序章
第一章 不死身の胴
第二章 揺糸
第三章 具足師源三郎
第四章 将器
第五章 ふたたびの天下争乱
第六章 遊行する神
終章
本文344ページ
書き下ろし
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『真田の具足師』(武川佑・PHP研究所)
『虎の牙』(武川佑・講談社文庫)
『落梅の賦』(武川佑・講談社)