『まいまいつぶろ』|村木嵐|幻冬舎
村木嵐さんの長編歴史小説、『まいまいつぶろ』(幻冬舎)を紹介します。
九代将軍徳川家重は、八代将軍吉宗の長男に生まれました。しかし、幼いころから言語不明瞭の障害を持っていました。発話に問題があって、老中など幕閣との直接の意思疎通が難しかったことから、その政治能力に疑問符を付ける者が少なくありません、
その一方で、大岡忠光や田沼意次を登用して、享保の改革後の難しい時代の政を担当したことから、名君と考える者もいて評価が二分する将軍です。
本書は、家重にスポットを当て、その生涯を丹念に描いた長編歴史小説です。
口がまわらず、誰にも言葉が届かない。歩いた後には尿を引きずった跡が残るため、まいまいつぶろと呼ばれ蔑まれた君主がいた。
常に側に控えるのは、ただ一人、彼の言語を解する何の後ろ盾もない小姓、兵庫。
麻痺を抱え廃嫡を噂されていた若君は、いかにして将軍になったのか。(『まいまいつぶろ』カバー帯の紹介文より)
将軍吉宗の長子・長福丸(後の家重)は十四になり、来年には元服を控えていました。
ところが、誰も長福丸が将軍継嗣になるとは信じておりませんでした。
なぜなら身体には重い病があり、片手片足をほとんど動かすことができず、口をきくこともできなかったからです。
四つ下の弟、小次郎丸(後の徳川宗武)が格別に利発だったことから、小次郎丸が次の将軍だと考える者も少なくありませんでした。
ある日、長福丸の言葉を聞き取る少年、大岡兵庫(後の忠光)が現れました。
十六歳の兵庫は、三百石取りの旗本の子で、特別に小禄の旗本ばかりが集められた場で、長福丸の発した言葉を聞き取り、的確に答えたのでした。
兵庫は江戸町奉行大岡越前守忠相の遠縁にあたり、小姓として長福丸に仕えるにあたって、忠相が面談して兵庫の人となりを見定めることになりました。
長福丸と直に言葉を交わした非礼から切腹を覚悟して忠相の前に現れた兵庫の覚悟を知り、忠相は兵庫に長福丸の側にいてほしいと思うようになりました。
「そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ」
(中略)
「長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを務めねばならぬ」
(『まいまいつぶろ』P.37より)
幕府では五代から七代に至る将軍が御用人を置き、幕閣をないがしろにする政が続いていて、それがようやく吉宗の襲職で家康の昔に改められたので、それを元に戻すことに大きな警戒をいただいていました。
そこで、忠相も、兵庫には「目や耳になってはならぬ」という教えを授けて、小姓に送り出しました。
兵庫という「口」を手に入れたことで、長福丸は思慮深くて聡明な面を徐々に発揮するようになりました。
ところが、長福丸を「汚らしいまいまい」と言い放った幕閣の重鎮が現れました。
長福丸は不自由な身体のために長時間尿を堪えることができず、座った跡が濡れているときもありました。
長福丸が歩いた後は、まいまいが這った葉のように、ときには滴が残っていることも。
兵庫は、長福丸の口に徹することに葛藤を覚えることもありましたが、幕閣の暴言は兵庫を試すことで、対応を誤れば長福丸の傍から引き離す企みでもありました。
本書は、長福丸と兵庫、元服してからは家重と忠光、主従の葛藤と成長の物語です。
とくに家重が最良のバディである忠光と出会ったことで、意思疎通ができないことから起こる癇癪が治まり、学問も進み、将軍の継嗣としてふさわしい資質を備えていきます。
本書のように、障害をもつ人物を真正面から捉えた歴史小説がほとんどなかったように思います。
忠相ばかりでなく、将軍吉宗、老中松平乗邑や酒井忠音ら老中、正室比宮増子、その侍女・幸らと、家重とのやり取りから、体が不自由な障害を持つ者への見方や接し方が十人十色で描かれていて、その人となりも描き出されていて、興味深く読むことができました。
「まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのおかげで、私はそなたとあうことができた」
心の底からそう思った。
「もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのならば」
(『まいまいつぶろ』P.320より)
家重の言葉を聞いたときに、ずっと抑えていた涙腺が決壊してしまいました。
本書では、宝暦年間の薩摩藩による木曽三川の川普請や郡上一揆が、家重治世下の大事件として描かれていて、歴史ファンとしても興味深い物語となっています。
『頂上至極』は、木曽三川の普請の総奉行平田靱負を描いた長編歴史小説。
著者の作品に興味を持たれた方におすすめします。
まいまいつぶろ
村木嵐
幻冬舎
2023年5月25日第1刷発行
装画:村田涼平
装丁:フィールドワーク(田中和枝)
●目次
第一章 登城
第二章 西之丸
第三章 隅田川
第四章 大奥
第五章 本丸
第六章 美濃
第七章 大手橋
第八章 岩槻
本文330ページ
本書は、書き下ろし。
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『まいまいつぶろ』(村木嵐・幻冬舎)
『頂上至極』(村木嵐・幻冬舎時代小説文庫)