『木挽町のあだ討ち』|永井紗耶子|新潮社
永井紗耶子(ながいさやこ)さんの時代小説、『木挽町のあだ討ち』(新潮社)紹介します。
本書は、芝居町で起きた仇討ちに隠された真相と、芝居町に集った者たちの数奇な人生を描いた時代小説です。
著者は、本書で、第36回山本周五郎賞を受賞し、第169回直木賞候補に選ばれました。
芝居小屋の立つ木挽町の裏通りで、美少年菊之助は父親を殺めた下男を斬り、みごとに仇討ちを成し遂げた。
二年後、ある若侍が大事件の顛末を聞きたいと、木挽町を訪れる。
芝居者たちの話から炙り出される、秘められた真相とは……(『木挽町のあだ討ち』カバー帯の紹介文より)
睦月晦日の夜、木挽町芝居小屋の裏手で、若衆伊納菊之助が父の仇・作兵衛を斬って、見事その首級を上げるという「木挽町の仇討」が起こりました。
それから二年後、菊之助の縁者という若侍が芝居町を訪ねて、木戸芸者や立師、衣装部屋、小道具など、仇討ちを目撃し、菊之助とかかわりのあった、芝居者たちから仇討ちの様子やそれぞれの来し方を聞いて回りました。
雪の中、赤い振袖を被き、傘を差した一人の若衆。そこに大柄の博徒が歩み寄り、女と見違え声を掛けた。すると、若衆、被いた振袖を投げつけて白装束となる。
「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそわが父の仇。いざ尋常に勝負」
朗々と名乗りを上げて大刀を構えた。対する博徒作兵衛も長脇差を抜き放つ。道行く者も固唾を呑んで見守るなか、堂々たる真剣勝負の決闘。
(以下略)(『木挽町のあだ討ち』 P.7より)
芝居町の仇討ちは、舞台のように、当事者たちの所作や言葉がはっきりとしていて、何とも作り物めいた、視覚的なものでした。
事件を目撃した芝居者らが語る「木挽町の仇討」は、みな一様に、江戸で話題にもなり、読売にもなってよく知られたもの。
若侍はなにゆえ、二年前に起きた仇討ちの顛末を聞いて回っているのでしょうか?
ところが、目撃者のそれぞれが芝居小屋での役割が違っているように、菊之助とのかかわりが違っていて、それぞれの見方で、菊之助と仇討について語っていきます。
彼らの話を通じて、仇討ちの経緯や、仇討ちをめぐる菊之助の葛藤や武家でいることへの悩みが綴られていきます。
小さいをころから見知った下男、作兵衛を殺せと命じられ、果たせなければ故郷に帰ることを許されない、菊之助の過酷な運命。
菊之助は、一人の芝居者の前で心情を吐露しました。
菊之助はしばらく黙り込んで、唇を嚙みしめていた。それからゆっくり顔を上げると、目に涙が溜まっていた。
「それでも私は武士でいたい」
絞り出すような声だった。俺は割り切れねえ。ちょいと意地悪な気持ちにもなって、改めてずいとにじり寄る。
「お前さんにとって武士とは何だい」
菊之助はまた、じっと考え込むように黙っていたが、やがてはっきりとした口ぶりで言葉を紡ぐ。
「人として道を過つことなく、阿らず、義を貫くことだと思います」(『木挽町のあだ討ち』 P.206より)
世の理から見放されて弾き出されて転がり込んで、芝居町に落ち着いた者たち=芝居者たちが、武士としての本分を貫くという、菊之助の本心に共感して、力を貸していきます。
だれもが立派だったと話す仇討に隠された真相を明らかにしながら、そこに事件の語り手である芝居者たちの来し方を交えて、その矜持と心情を鮮やかに描いていく手法が見事です。
芝居者たちが芝居町にやってくるまでの来し方が、それそれ波瀾に満ちた物語となっていています。
人の数だけの、様々な人生をまるごと受け入れる芝居の世界の奥深さが、観客を虜にする芝居の魅力の源泉となっていることに改めて気づかされました。
新聞記者やフリーライターとして培った、インタビューの名手ぶりが発揮されています。
関係者の証言をもとにするチャレンジングな物語構成は、本書のテーマにマッチしていて、良質なミステリー小説のように、真相が明らかになったとき、感動が押し寄せてきました。
今、読んでおきたい、おすすめの時代小説の一冊です。
木挽町のあだ討ち
永井紗耶子
新潮社
2023年1月20日発行
装画:村田涼平
装幀:新潮社装幀室
●目次
第一幕 芝居茶屋の場
第二幕 稽古場の場
第三幕 衣装部屋の場
第四幕 長屋の場
第五幕 枡席の場
終幕 国元屋敷の場
本文267ページ
初出:「小説新潮」2019年10月号、2020年4月号、7月号、10月号、2021年4月号、7月号
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『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子・新潮社)