『茜唄(上)(下)』|今村翔吾|角川春樹事務所
今村翔吾さんの時代小説、『茜唄(あかねうた)(上)(下)』(角川春樹事務所)紹介します。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響で源氏の武士については、だいぶ知識がついたのですが、敵役の平家については名前が似通っていることもあってかなり怪しい状況でした。
しかも、長年にわたって源氏びいきになっている私を大きく変えたのが、本書の今村版『平家物語』にです。
歴史とは、勝者が紡ぐもの――
では、何故『平家物語』は「敗者」の名が冠されているのか? 『平家物語』が如何にして生まれ、何を託されたか、平清盛最愛の子・知盛の生涯を通じて、その謎を感動的に描き切る。平家全盛から滅亡まで、一門の頭脳として戦い続けた知将が臨んだ未来とは。平清盛、木曾義仲、源頼朝、源義経……時代を創った綺羅星の如き者たち、善きも悪しきもそのままに――そのすべて。(『茜唄(下)』カバー帯の紹介文より)
治承四年(1180)の秋も盛りのころ。
天下の権を握る平清盛の四男で院御厩別当の平知盛は、従弟で王城一の強弓精兵と謳われる平家随一の武者、平教経(のりつね)を従えて、逢坂の関を足早に歩いていました。
近江国で源氏の山本義経が蜂起し、それに加わらんとする豪族やこの機に乗じて野盗働きをするならず者などがあふれて、近江は大混乱に陥っていました。
少ない供と近江石山寺に参詣に行っていて巻き込まれてしまった六条摂政・近衛基実の娘通子を、たった二人で五十人からの敵を相手に救い出します。
石山寺は、紫式部が籠って『源氏物語』の序を書いたことでも知られる近江南部の名刹です。
「武衛様、怖かった!」
「通子殿……落ち着いて下され。すぐに逃げねば……」
知盛は通子を落ち着かせるように言った。
「でも……」
通子は自らの足をちらりと見る。怪我をしたという訳ではない。履物を奪われているのだ。つまり裸足で歩けぬという意味で、いかにも公家の娘らしい。
「心配無用。おぶって参ります」
(『茜唄(上)』 P.33より)
通子は、絵に描いたような公家の娘で、ふっくらとした顔立ちにおちょぼ口で、肉置き豊かな人で二十五貫目(約93.5キロ)はありそうということで、助けて抱きつかれた際に知盛は一、二歩後ろによろめいたほど。
その通子を背負うのは、身の丈六尺を超える巨漢の教経でした。
鮮やかな手腕で通子を救い出した知盛を、教経は「兄者の采配で俺が戦えば、平家は無敵だ」と言い、兄事しています。
ところが、知盛は清盛が溺愛するように可愛がっている息子で、なかなか戦場に出してもらえず、父に内緒での荒事でした。
知盛を中心に平家の没落と源氏との戦いを描いていく平家一門の物語の始まり。
物語は、浄土宗を開いた法然上人門下の僧、西仏(さいぶつ)に、ある者が「平家物語」を伝授していく形で展開していきます。
当時の戦いは家の名誉と一所懸命(本貫の地を命をかけて最後まで守り抜く)を何よりも重く扱い、武士らしい戦いが求められていました。
それは堂々と名乗りを上げ、一騎打ちを求めて戦う、多数で逃げる相手を追い詰めない、というような。
そのような武士たちの無用な様式美への拘りにより、迅速な戦いができず、結果として戦力の損耗も少なく、兵が減らないために決着がつくまで何度も何度も繰り返し戦わねばならなくなっていました。
戦の都度、兵糧を徴発され、塗炭の苦しみの中で生きる民を思い、知盛は、初陣でこれまでの武士の常識を捨てて戦のやり方を変えるという覚悟を決めました。
近江に続き、美濃でも源氏反乱が起り、全国に反平家勢力が広がる中で、清盛の命では南都を焼き討ちにします。
そして巨星清盛の死。それと代わるように登場する木曾義仲。
歴史は大きく動きます。
大黒柱を失った平家一門は、「今後、平家は如何にするか」という主だった者たちによる評定でも、頼朝討伐の軍を再編成して東国に攻め入るべし、今最も勢いのある木曾を叩くのが先決だ、各地で飢饉が起り兵糧が賄えぬから、まずは力を養うことが肝要など、議論は堂々巡りでまとまりません。
意見を聞かれた知盛は、皆が考えも及ばない意見を出しました……。
知盛は当初から、己が軍を率いたなら、これまでの武士の常識をかなぐり捨て、戦を変えるという覚悟を決めていました。
下巻では、知盛は終生の好敵手となる天才源義経と出会い、戦場で相まみえることになります。
知盛が緻密に張り巡らせた必勝の布陣の平家軍に対して、乾坤一擲、奇策で戦況を一変させた義経。
一の谷の合戦から、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いへとページを繰るごとにヤマ場が連続する、サービス精神旺盛な展開に目を奪われました。
新しい視点で描かれた平家と源氏の一連の戦ぶりに血沸き肉躍り、興奮は最高潮に。
一方で、知盛が妻希子や二人の息子(知章と知忠)と触れ合う家族の場面を通して、夫婦・親子の絆と情に、共感するとともに深い感動に誘われました。
さらに、物語には、権力の中枢にいる後白河法皇や源頼朝が、平家の戦いに絡んでいき、一門を揺るがします。
本書では、戦では敗色濃厚で、滅びに向かう中で、平家一門の連帯と平家愛が爽やかに描かれていくことで、悲壮感がなく、爽やかな気分に昇華させてくれます。
正史は勝者が創り出したもので、稗史にこそ真実がある、そんな思いに囚われ、長年の平家嫌いが治りそうです。
これまで、平家が絶頂から短期間で滅びてしまったことを不思議に思っていましたが、戦の常識に囚われない義経と、その常識を捨てた知盛という二人の天才が出会ってしまったことで、ものすごい速さで決着がつくようになったからもしれません。
著者が解き明かした「平家物語」に仕掛けられた壮大な秘密を知ったとき、最後の感動が訪れました。
茜唄(上)(下)
今村翔吾
角川春樹事務所
2023年3月18日第一刷発行
装画:猫将軍
装幀:芦澤泰偉+五十嵐徹
(上)
●目次
序
第一章 最愛の子
第二章 初陣
第三章 相国墜つ
第四章 平家一門
第五章 木曾と謂う男
第六章 都落ち
第七章 水島の戦い
本文339ページ
(下)
●目次
第八章 邂逅
第九章 一の谷の二人
第十章 家の名は屋島
第十一章 九郎義経
第十二章 壇ノ浦に問う
第十三章 茜唄
終
本文366ページ
初出:学芸通信社の配信により、京都新聞、山陰中央新報、紀伊民報、山形新聞、四国新聞に2020年12月~2023年1月の期間、順次掲載したものを、単行本化に際し、加筆修正したもの。
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『茜唄(上)』(今村翔吾・角川春樹事務所)
『茜唄(下)』(今村翔吾・角川春樹事務所)