『おれは一万石 若殿の名』|千野隆司|双葉文庫
千野隆司(ちのたかし)さんの文庫書き下ろし時代小説、『おれは一万石 若殿の名』(双葉文庫)を紹介します。
一俵でも禄高が減れば旗本に格下げになる、ぎりぎり一万石の大名、下総高岡藩の藩主井上正紀。あの手この手で藩政改革に取り組む正紀の奮闘ぶりを描く、人気シリーズの第24弾です。
四代将軍家綱の法要の折に、二人組の侍に襲われていた身なりのいい武家の男児を助けた北町奉行所与力の山野辺に頼まれて、高岡藩上屋敷で男児を預かることになった正紀。身元を明かさぬうえ、自らの屋敷に帰りたがらぬ男児を、妻の京とともに温かく見守る正紀だが、この男児が、意外な人物の子だと判明し――。大人気時代シリーズ、注目の第24弾!
(本書カバー裏の紹介文より)
寛政三年(1791)五月。
寛永寺では、四代将軍の徳川家綱の法要が行われ、将軍家斉をはじめ、御三家御三卿の当主や若殿、松平定信ら老中衆、江戸にいる大名諸侯が参拝に集まっていました。
下総高岡藩一万石の当主正紀は、居並ぶ大身大名よりはるか後ろで焼香の順番を待っていました。歴々の焼香を待って焼香を済ませて、境内から退出してきた正紀に、兄で今尾藩藩主の竹腰睦群が近づいてきて耳打ちしました。
「宗睦様は、前田様とお話をなされていましたが」
焼香を済ませた二人が少し前に、何やら親し気に話しながら正紀らの前を通り過ぎる姿を見た。
「うむ、前田様とお近づきになるのは、悪いことではないぞ」
睦群が応じた。御三家の尾張藩と外様とはいえ百万石の加賀藩が近づくのは、定信派にとっては脅威となるだろう。(『おれは一万石 若殿の名』P.13より)
尾張徳川家の当主宗睦は正紀の伯父に当たり、睦群は尾張徳川家の付家老を務めていて、事情通です。
宗睦は、松平定信が老中に就任する折には力を貸しましたが、囲米や棄捐令などの政策が合わず、反定信派として敵対する立場になっていました。
北町奉行所高積見廻り与力の山野辺蔵之助は、家綱の法事では、寛永寺境内からやや晴れた場所で警固に当たるり、町人の動きを規制する役目でした。
不忍池の畔で、七、八歳くらいのどこかの若殿ふうの男の子が、顔を布を巻いて隠した侍二人に斬りかかられて襲われているところに出くわして、間に入って助けました。
ところが、法事に来たと思われる男の子は、家中の名も自分の名前も答えず、屋敷に帰りたいそぶりも見せません。
町の子ではないから自身番へ連れて行くこともできず、再び襲われる恐れも大きく、困った山野辺は、下谷広小路近くにある高岡藩上屋敷に連れて行くことに。
山野辺と正紀は、幼いころから神道無念流の戸賀崎道場で剣術を学んだ幼馴染で、身分は違いますが、今でも昵懇の付き合いをしていました。
山野辺から事情を聞いた正紀は、妻の京に相談して、「亀」とだけ告げた男の子を奥(当主の家族の住居空間)で預かることになりました……。
今回の読みどころは、「亀」という男の子が、上屋敷の奥で、正紀、京、幼い孝姫と触れ合い、徐々に心を開いていき、本当の名前や親などが明らかになっていくところ。
「亀」を中心に、実の家族のような四人の団らんに胸が打たれました。
素性が明らかになっていくと、「亀」が幕閣や大藩をめぐる権力抗争の道具にされているのがわかり、正紀はその境遇に同情します。が、その一方で、自身も尾張藩の一門に属することから当主としてなすべきことを考えなければなりません。
賢くて健気な「亀」の魅力に加えて、趣向を凝らしたストーリー展開、痛快なアクションシーンも楽しめ、シリーズ中でも印象に強く残る作品になりました。
おれは一万石 若殿の名
千野隆司
双葉社 双葉文庫
2023年3月18日第1刷発行
カバーデザイン:重原隆
カバーイラストレーション:松山ゆう
●目次
前章 法事の後
第一章 蝶の行方
第二章 与力屋敷
第三章 敵の正体
第四章 親しい者
第五章 引き渡し
本文266ページ
文庫書き下ろし
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