『帝国ホテル建築物語』|植松三十里|PHP文芸文庫
植松三十里(うえまつみどり)さんの長編歴史小説、『帝国ホテル建築物語』(PHP文芸文庫)を紹介します。
建造物に光を当てた時代小説というと、安土城を描いた山本兼一さんの『火天の城』や木、四天王寺の五重塔の数奇な物語、木下昌輝さんの『金剛の塔』など、秀作が多くあります。
本書は、大正末から昭和初頭にかけて、世界一美しいホテルと絶賛された帝国ホテル「ライト館」の建築の物語です。
一九二三年に完成した帝国ホテル二代目本館、通称「ライト館」。“世界一美しいホテル”として絶賛された名建築だが、完成までの道のりは、想像を絶するものだった――。二十世紀を代表する米国人建築家、フランク・ロイド・ライトによる飽くなきこだわり、現場との対立、難航する作業、襲い来る天災……。次々と困難が立ちはだかったが、男たちは諦めなかった。ライト館の建築に懸けた者たちの熱い闘いを描いた、著者渾身の長編小説。
(『帝国ホテル建築物語』カバー裏面の紹介文より)
大正二年(1913)夏、帝国ホテルの支配人林愛作は、遠藤新ら東京帝国大学建築家の学生五人に、ホテルの中を見せて回りました。
学生たちの質問を受ける中で、新館の建設を検討していることを明かしました。
「設計は誰に依頼するんですか」
「それも、まだ検討中だ」
「でも候補者くらい教えてください」
「そうだな。たとえばアメリカ人ならフランク・ロイド・ライトとか。まだ若いけれど、ル・コルビュジェなんかも面白い仕事をしている」
「そんな大御所に依頼できるんですか」
「もちろんだ。帝国ホテルは、世界のトップレベルを目指している。なんだったら、君たちの大先生の辰野先生にだった頼めるよ」
(『帝国ホテル建築物語』P.38より)
辰野先生は、東京駅の設計者として知られる辰野金吾のこと。
新は、フランク・ロイド・ライトの意匠の魅力を饒舌に語り、帝国ホテルの新館の設計にはぜひライトを起用すべきと進言しました。
できれば卒業後にロイドのアメリカ事務所に弟子入りしたいと思っているとも。
実は愛作もライトを第一候補にしていて、彼なら日比谷の地盤の悪さを考慮して、貞操ながら魅力的な建物をつくってくれる、それに日本建築の要素を取り入れつつ、西洋の歓声で設計してくれるに違いないと信じていました。
しかし、ライトには問題が二点ありました。
女性関係をめぐるスキャンダルと、頑固さでした。
物語は、ホテル支配人で施主の林愛作と、建築家フランク・ロイド・ライト、ライトの弟子となる遠藤新の三人の男たちを中心に展開していきます。
愛作は、ニューヨークの古美術店の敏腕マネジャーで、ニューヨークの社交界にも顔が利き、人を惹きつける天性の力と審美眼を有していて、四年前に、大実業家の渋沢栄一と大倉喜八郎によって、帝国ホテルに引き抜かれていました。
はじめは畑違いのホテルの支配人の仕事を固辞していた愛作は、ホテルを見て回り、サービスを受け、いろいろな人の話を聞いて、引き受けること決断しました。
そして、支配人として新館建設の使命も託されました。
ところが、用地買収の遅れ、軟弱な地盤、梅雨の長雨、資材調達の困難さ、デザイン変更など、次々に難題にぶつかり、ホテル新館の建築は遅々として進まず、ホテルの重役たちはより安価にできる仕様変更を言い出し、職人たちも腰が引けて、施工会社も手を引くとも。
暗礁に乗り上げ、不安に押しつぶされそうになった愛作は覚悟を決めました。
翌日、作業を中断させて、工事に携わる全員を集めて話し始めました。
「ここに建つホテルが、世界中から来る宿泊客の賞賛を浴びるのは疑いない。それは日本が世界の一等国になる証だ。日本の未来を象徴する建物だ。僕たち日本人の希望の星を造るんだ。それを設計できるのはフランク・ロイド・ライトただひとり。みんな、この工事に関わることを誇りにして、力をつくして働いて欲しい。きっと、子供や孫たちにまで、自慢できる仕事になる」
(『帝国ホテル建築物語』P.232より)
何が何でも遂行するという強い意志が、皆の心を動かしました。
これ以降も、予期せぬ災害や経営との対立など、ホテル建設をさらなる大きな困難が襲います。
建築をめぐる人間ドラマが面白くて、時間が経つのも忘れて、明け方近くまで、一気に読破し、快い読後の余韻が残りました。
文献資料の渉猟、綿密な取材に加え、建築設計事務所での勤務経験がある著者ならではの、細部までリアルな描写にも感動を覚え、物語世界に没入できました。
帝国ホテル建築物語
植松三十里
PHP研究所 PHP文芸文庫
2023年1月24日第1版第1刷
装丁:bookwall
装丁写真:VR作品『帝国ホテル・ライト館』
製作・著作:凸版印刷株式会社
●目次
プロローグ
一章 男たちの絆
二章 果てなき図面
三章 登り窯の里
四章 待ちわびた着工
五章 ゆるぎない覚悟
六章 天使たちの歌声
七章 失われた本館
八章 激動の竣工
エピローグ
主な参考文献
本文387ページ
本書は、『帝国ホテル建築物語』(PHP研究所、2019年4月刊)を加筆修正したものです。
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『帝国ホテル建築物語』(植松三十里・PHP文芸文庫)
『火天の城』(山本兼一・文春文庫)
『金剛の塔』(木下昌輝・徳間文庫)