『元の黙阿弥』|奥山景布子|エイチアンドアイ
奥山景布子(おくやまきょうこ)さんの長編歴史時代小説、『元の黙阿弥』(エイチアンドアイ)を紹介します。
著者は、2007年に「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞し、2009年に受賞作を含む『源平六花撰』で単行本デビューしました。
2018年には、『葵の残葉』で第37回新田次郎文学賞と第8回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞し、人情噺、怪談噺を得意とする明治の落語家三遊亭圓朝を描いた小説『圓朝』などの作品もあります。
本書は、幕末から明治の歌舞伎界で光を放った歌舞伎役者たちとともに、河竹黙阿弥の生涯を描いた一代記です。
「おまえさんの望みはなんだ」
朗々とした五代目海老蔵の声が耳に蘇る。役者の無理難題に応え、お客の誹謗中傷に耐え、座元の海千山千に弄ばれ、お上の無理無体に憤りながらも、六分の矜持と四分の熱を焔に、立作者・河竹新七は黙々と新作を世に送り出す。
願うはただ一つ、「通じよ!」幕末明治の激動期、歌舞伎界を支え続けた“我国のシェークスピア”と称された河竹黙阿弥の天晴な作者人生を描く!
(本書カバー帯の紹介文より)
天保十一年(1840)年春、木挽町の河原崎座(かわらざきざ)。
二十五になる狂言方の勝諺蔵(かつげんぞう)こと吉三郎は、五代目鶴屋南北の弟子。
図抜けた記憶力で、『勧進帳』の全台詞を暗記して、弁慶を演じる五代目市川海老蔵(七代目市川團十郎)の後見の黒衣(くろこ)として台詞を教える大役を務め、海老蔵に認められました。
その年の暮れ、吉三郎は家業の質屋を継ぐために作者部屋から身を退きますが、芝居町界隈から離れ、算盤と帳面を手にする日々は、覚悟していた以上に窮屈でした。
母に自分には商人は無理だ、年内限りで店を畳むと言って泣かせ、翌天保十二年四月に、河原崎座に戻ります。
再会した海老蔵から、よく戻ってきたなと声を掛けられ、「おまえさんの望みはなんだ」と聞かれました。
「……役者の名だけでなく、作者の名でも客が来る、そんな書き手になろうと思いやす」
「ほう、そりゃ良い。そんな芸のある作者がいてくれりゃあ、こっちだってありがたいってもんだ」
そう言いながら、海老蔵は景清が牢を破ろうと右手を振り上げる仕草をして見せた。
「おれはな、成田屋は江戸の守り神であるべきだと思ってるんだ」
(『元の黙阿弥』P.29より)
河竹新七に名を変えた吉三郎が河原崎座で、初めから終わりまですべての筋を自分で新しく立てることを許されたのは、嘉永七年(1854)八月のこと。
大坂から下って来た名優の四代目市川小團次が渋る座元を説き伏せてくれたおかげでした。
しかし、小團次はとても一筋縄でいかないくせ者で、新作〈吾孺下五十三驛(あずまくだりごじゅうさんつぎ)〉についても、要求がなかなかしつこくて、幾度となく「これではやれない」と突き返されました。
この小團次と新七のコンビは次々と新奇な筋と工夫を繰り出して、当たり狂言を生み出していきます。
お馴染みでなく、新しいものを小團次にあてて仕組むと、どうしても金に絡んで大事に及ぶ役が多くなり、勢い、盗みや人殺しが描かれる。
こういうものをつい素材にしたくなるのは、小團次が人の生身の感情、それもどちらかと言うと、人の上に立つよりは、下々のほうで痛い目に遭っている人の、心の浮き沈みや宿命の移り変わりを見せるのに向いているから、というのもあるが、新七自身、そういった人に興味があるのも事実だった。(『元の黙阿弥』P.81より)
世話物の名手として、江戸の市井で刹那的に暮らし、小心さや因果に翻弄されて悪事に手を染める人を取り上げて、七五調の名文句に乗せ、観客を魅了していく新七の芝居。
本書では、海老蔵、小團次、初代市川左團次、三代目澤村田之助、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎といった当時の名優らとの逸話、新七(黙阿弥)の演目とともに、役者たちを光輝かせた作者・新七(黙阿弥)の芝居に懸ける思いと矜持が巧みに描き込まれています。
最初は役者たちの黒衣のような黙阿弥が、明治に入ると名優のような存在感を放っていきます。
幕末明治の激動する歌舞伎界を活写するとともに、時世や政治に翻弄されながらも、日本のシェークスピアと賞賛された、大劇作家に成長した黙阿弥が見事に描かれています。
河竹黙阿弥は生涯に360本もの台本を書き残し、今でも数多くの作品が上演される歌舞伎界の巨人です。しかし、ここまで、その実像に光を当て、その生涯を詳らかにした歴史時代小説はなかったと思います。
歌舞伎ファンではなかったのですが、読み終わることには、歌舞伎の歴史と世界がグンと身近になり、黙阿弥の演目を観劇したくなりました。
元の黙阿弥
奥山景布子
エイチアンドアイ
2023年1月26日初版第1刷発行
装画:浅見ハナ
装幀:山影麻奈
●目次
第一章 海老蔵
一 勧進帳 かんじんちょう
二 景清 かげいよ
三 閻魔小兵衛 えんまこへえ
四 児雷也 じらいや
第二章 小團次
一 忍の想太 しのぶのそうた
二 鬼薊 おにあざみ
三 縮屋新助 ちぢみやしんすけ
四 鋳掛け松 いかけまつ
第三章 左團次
一 若衆 わかしゅ
二 暗挑 だんまり
三 恩讐 おんとあだ
四 丸橋忠也 まるばしちゅうや
第四章 田之助
一 切られお富 きられおとみ
二 欠皿 かけざら
三 留女 とめおんな
四 古今彦惣 こきんひこそう
第五章 團菊
一 東京日新聞 とうきょうにちにちしんぶん
二 繰返開花婦見月 くりかえすかいかのふみづき
三 女書生繁 おんなしょせいしげる
四 黄門紀 こうもんき
第六章 黙阿弥
一 霜夜の鐘 しもよのかね
二 演劇改良 えんげきかいりょう
三 言語道断 ごんごどうだん
四 春日局 かすがのつぼね
本文345ページ
本書は、『月刊武道』(日本武道館発行)で2020年5・6月合併号から2022年5月号まで連載したものに加筆修正したもの
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『元の黙阿弥』(奥山景布子・エイチアンドアイ)
『源平六花撰』(奥山景布子・文春文庫)
『葵の残葉』(奥山景布子・文春文庫)
『圓朝』(奥山景布子・中公文庫)