『徳川家康「関東国替え」の真実』|安藤優一郎|有隣堂
歴史家の安藤優一郎さんの書き下ろし歴史読み物、『徳川家康「関東国替え」の真実』(有隣堂)をご恵贈いただきました。
紀伊國屋書店さんや三省堂書店さんが出版部門を持っていることは知っていましたが、有隣堂さんも本を出版されていることを知りませんでした。
(ホームページで調べてみると、神奈川の歴史やゆかりの人物などに関する新書などを刊行されていました。勉強不足で失礼しました)
本書は、2023年の大河ドラマ「どうする家康」で、その事績や人物像などに関心が集まる徳川家康のリーダーシップに注目した歴史読み物です。
徳川家康と北条氏の関係に焦点を当てながら、小田原合戦の後、秀吉から北条氏旧領への国替えを命じられるまでの経緯を追うとともに、家康がどのようにして転封を受け入れ、江戸城と城下町を整備して、天下人へと至るステップとしたのか、ピンチをチャンスに変えた家康像を描く。
(『徳川家康「関東国替え」の真実』カバー裏の説明文より)
本書では、天正十八年(1590)に、小田原城を開城し、北条氏を滅亡させた豊臣秀吉が、戦後処理として行った、家康の関東への国替えを取り上げています。
家康は、約二百四十万石におよぶ北条氏旧領を与えられ、百万石ほどから倍増となる加増を受けました。
しかしながら、その代償として、艱難辛苦の末に自分の手で勝ち取った五カ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)を失うことになります。
この国替えには家康の力を削ぎ、秀吉の本拠地である上方から遠ざける意図が秘められていたとされています。
昨日までの敵地に乗り込む形であり、地侍の抵抗や農民の一揆など前途多難とされました。家臣たちが反対をする中で、家康は国替えの命を甘受しました。
本書では、新領地関東の支配にあたって、家康がなぜ江戸を居城に選んだのか、当時の江戸城と城下町の整備についても焦点を当てます。
そして、家康にとって関東転封とは何だったのかを考察していきます。
「関東国替え」により、近江などで別に与えられた所領を含めると、家康の石高は二百五十万石を越え、諸大名のなかでダントツとなっていました。
それは秀吉に次ぐ実力者の地位を固め、さらに北条氏の遺産をスムーズに継承することで、天下取りへの布石としました。
「どうする家康」
必ずと言っていいほど、生涯のターニングポイントで、ピンチをチャンスに変えてきた家康。
天下人になることは必然だったのかもしれません。
著者には、最新の史料や資料をもとに解き明かした、家康の大きな危機の一つ、関ヶ原合戦の真実に迫る、歴史読み物『賊軍の将・家康 関ヶ原の知られざる真実』もあります。
徳川家康「関東国替え」の真実
安藤優一郎
有隣堂
2022年12月6日初版第1刷発行
装丁・レイアウト:小林しおり
カバー:慶長江戸絵図(部分) 東京都立中央図書館所蔵
●目次
プロローグ 家康の一大転機となった関東転封
第一章 北条氏と徳川氏の強固な同盟~信長死後の関東
(1)武田氏の滅亡
(2)本能寺の変と天正壬午の乱
(3)甲斐・信濃国をめぐる北条・徳川氏の戦い
(4)北条・徳川氏の和睦と反発する真田昌幸
第二章 秀吉と北条氏の板挟みになる家康~天下統一前夜
(1)天下統一を目指す秀吉と家康の戦い
(2)徳川家臣団の分裂
(3)秀吉への臣従をめぐる駆け引き
(4)防衛体制の構築を急ぐ北条氏
第三章 小田原城攻防戦~先鋒となった家康
(1)北条氏の名胡桃城奪取と秀吉の宣戦布告
(2)秀吉軍に包囲された小田原城
(3)関東各地での攻防戦
(4)小田原開城と北条氏改易
第四章 北条氏旧領への国替え~家康の江戸入り
(1)関東転封を家康に命じた秀吉の深謀
(2)関東有数の都市だった江戸
(3)国替えをめぐる家臣団の混乱
第五章 江戸城と城下町の整備~関東支配の拠点
(1)江戸に腰を落ち着けられなかった家康
(2)江戸城と城下町の拡張
(3)領国支配に苦労する家康
第六章 将軍のお膝元のはじまり~全国大名が移り住む
(1)秀吉の死と関ヶ原合戦
(2)江戸開府と天下普請の開始
(3)百万都市へ
エピローグ あらゆるピンチをプラスに変えた手腕
参考文献/徳川家康関係年表
本文207ページ
書き下ろし
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『徳川家康「関東国替え」の真実』(安藤優一郎・有隣堂)
『賊軍の将・家康 関ヶ原の知られざる真実』(安藤優一郎・日経ビジネス人文庫)