『麻阿と豪』|諸田玲子|PHP研究所
諸田玲子さんの長編歴史小説、『麻阿と豪(まあとごう)』(PHP研究所)を紹介します。
本書は、戦国時代を代表する姫君、麻阿と豪を主人公に描いた長編歴史小説です。
「戦国の姫」というと、浅井長政とお市の娘たち、茶々、初、江の三姉妹が有名ですが、前田利家とまつの娘、麻阿と豪も戦乱の世を生き抜いたという意味から押さえておきたい姉妹です。
柴田勝家の猶子に嫁ぐため、北ノ庄城にいた麻阿は、豊臣秀吉に攻められた城から命からがら逃げ出す。そんな麻阿に待っていたのは、前田家のため、豊臣秀吉の妻になるという運命だった。一方、秀吉の養女となった妹の豪は、蝶よ花よと育てられ、幸せな人生を送っていたのだが、関ケ原の合戦を機に運命が暗転する。戦国の世を生きる姫たちが、実家のため、子供のために敵地に乗り込み、挫けず、前を向いていく姿を活き活きと描く。
(カバー帯の説明文より)
前田利家の三女で十二歳の麻阿は、柴田勝家の猶子、佐久間十蔵(通称権六)に嫁ぐため、勝家の居城北ノ庄城にいました。この縁談には、人質の側面がありました。かねてから反目し合っている勝家と羽柴秀吉が本能寺の変の後、覇権を争い戦うことになってしまった際に、両人と誼を通じていた前田家では、苦渋の選択として、麻阿を柴田家の猶子との縁談をまとめたのでした。
麻阿には、姉が二人いましたが既に嫁いでおり、二歳下の豪は幼くして羽柴家の養女となっていました。その下の妹たちは七歳、六歳、四歳で、柴田家との縁談には幼すぎました。
ところが、柴田勝家が賤ヶ岳の戦いに敗れ、北ノ庄城も落城寸前。
麻阿は乳母の阿茶子の機転とお市の好意で、城を抜け出すこと成功し、前田軍の兵に護衛されて越前府中城に向かう途中、葛野坊にある円福寺で一泊しました。
そこで、大黒(住職の奥さま)から、麻阿は出生の秘密を聞くことに。
「姫さまは、うちの姪どす。うちの実家の橋本家は笛のお家どしては、浅井の大殿さまは能楽やら連歌やらがお好きな、洒脱なお殿さまにあらしゃいました。姫さまの母、うちの妹の佳代は大殿さまに見初められ、小谷城へ招かれて……お子を産み、ご寵愛ひとかたならずと聞いとりましたんやけど、戦になってもうて……お子たちといっしょに城を出るよう、都からはむろん、うちからも、何度もいうてやりましたんどす……」
(『麻阿と豪』P.26より)
浅井久政は、お市の夫長政の父親。佳代は小谷城に戦禍が迫るなかで、心利いた家臣と乳母の阿茶子に幼子を託して、円福寺で一時匿ったうえで、利家とまつのもとに預けたという。
わらわの手に入らぬものはない――。
豪はこれまでそう信じてきた。なぜなら父が約束してくれたからだ。欲しいものはなんでも手に入れてやる、と。ねだったわけではないけれど、長浜城から姫路城、山崎城、大坂城と居を移すたびに城は豪壮になって、家臣の数も倍増してゆく。(『麻阿と豪』P.43より)
前田利家の四女に生まれた豪が言う父とは豊臣秀吉のこと。
賤ヶ岳の戦から五年がたった秋の日、豪は母のおねや養弟妹の金吾と小姫ら大坂城の本丸御殿で共に暮らしていた者たちと、竣工したばかりの京の聚楽第へ移ってきました……。
豪は前田家からの人質というよりは、子供がいなかった秀吉の娘として育ちました。
豪が自分自身の生い立ちを教えられたのは、宇喜多家の嫡子秀家との婚約が成った九歳のときでした。そのときに、姉・麻阿の存在も知りました。
本書では、豊臣秀吉の妻となる麻阿と、秀吉の娘として宇喜多秀家に嫁いだ豪、対照的な生い立ちの二人の姫の数奇な生涯を辿っていきます。
二人は、戦国の荒波に翻弄され時には反目しながらも、やがて心を通じ合い、実家のため、愛する者のため、助け合って困難な状況に前を向いて生きていきます。
二人の姫のバディ小説として楽しめ、清涼感ある、読み味のよい歴史小説です。
麻阿と豪
諸田玲子
PHP研究所
2022年10月17日第1版第1刷発行
装丁:芦澤泰偉
装画:水口理恵子
●目次
第一章 北ノ庄〈麻阿〉
第二章 聚楽第〈豪〉
第三章 伏見〈麻阿〉
第四章 大坂〈豪〉
第五章 京〈麻阿と豪〉
第六章 伊豆国下田〈麻阿〉
第七章 金沢〈麻阿〉
本文346ページ
月刊文庫『文蔵』2021年4月号~2022年5月号の連載に、加筆修正したもの。
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『麻阿と豪』(諸田玲子・PHP研究所)