『家康がゆく 歴史小説傑作選』|細谷正充編|PHP文芸文庫
細谷正充編さんの編による歴史小説アンソロジー、『家康がゆく 歴史小説傑作選』(PHP文芸文庫)をご恵贈いただきました。
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、人質となった一人の少年竹千代が、三河武士の熱意に動かされ弱小国の主として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物が割拠する、乱世を駆け抜ける波瀾万丈の戦国エンターテインメントだそうです。
脚本家古沢良太さんのオリジナル脚本ということで、原作となる歴史時代小説はありませんが、主人公徳川家康がどのような生涯を歩んだのか、小説や歴史読み物で知っているとドラマがさらに楽しめると思います。
家康を描いた歴史小説には、山岡荘八さんの『徳川家康』(全26巻)をはじめ、安部龍太郎さんの『家康』(全6巻)、隆慶一郎さんの『影武者徳川家康』(全3巻)、火坂雅志さんの『天下 家康伝』(全2巻)と、大河小説が少なくありません。
本書は、文芸評論家の細谷正充さんの編により、宮本昌孝さんや伊東潤さん、木下昌輝さん、武川佑さんという現役活躍中の作家の作品に加え、新田次郎さん、松本清張さんの短編を収録したアンソロジーで、好きな作家や気になるタイトルから手軽に読めます。
幼少期の人質時代から、運命を分けた数々の戦を経て、天下人として世を統べるまで――。初陣や桶狭間の戦いなどを通して、なぜ家康が自ら調薬を行うようになったかを描く「薬研次郎三郎」(宮本昌孝)、鎧を作る具足師から見た、三方ヶ原の戦いでの家康の変貌「大名形」、関ヶ原の戦いを前を、家康と石田三成が交わした密約とは「人を致して」(伊東潤)など、人気歴史作家六人による傑作アンソロジー。
(カバー裏の内容紹介より)
宮本昌孝さんの「薬研次郎三郎」は、戦国武将たちの初陣を描いた短編集『武者始め』からの一編。
十五歳となった次郎三郎は、岡崎への一時帰国を許されました。そこで、目に映ったものは、飢えてやせこけた地獄の亡者のような姿ながら、きらきらと輝いた目で次郎三郎を仰ぎ見る松平家臣団の姿。
次郎三郎はある決意をもって、医術に精通した公家の山科言継に薬方を教えてほしいと願い出ました。
「次郎三郎どのは何ゆえ本草を学びたいのか」
「生きたいからです」
「生きたい、と……」
「はい。いかなる疾病にも対処できる薬を常備しておれば、永く生きられる道理」
「一理あるとは思うが、次郎三郎どのもいずれ戦陣に赴かれよう。薬があっても間に合わぬことは、残念ながら少のうない」
「それでも生きたいのです」
「武士というは、常住坐臥、死を覚悟しているのではござらぬのか」
「余人は知らず、わたしは何があっても死んではならぬのです。家臣らを皆、仕合せにするまでは」
(『家康がゆく 歴史小説傑作選』「薬研次郎三郎」P.22より)
後に調薬オタクとなる次郎三郎(後の家康)と、松平家臣団の絆の強さを描いています。
武川佑さんの「大名形(なり)」は本書のために書き下ろした作品です。
春田派の具足師・春田光貞の目を通して家康を描いた短編。
駿河今川家のお抱え具足師だった光貞は、十二年前の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長の急襲により討死したことから運命が一変しました。そのとき、義元が光貞の仕立てた色々縅腹巻と厳星兜を身につけていたことから、光貞の甲冑は不吉であるという噂があっという間に広まったのです。
そんな光貞を呼び出したのが、三方ヶ原の戦いを控えた家康でした……。
「ここ数年のうち、家康は本貫地のみを治めるそのへんの豪族から、三河、遠江二国を治める大名に格があがったわけだ、大名は戦さにおいて、みずからその『意志』を示さねばならぬ。馬印であり、四方旗であり、最たるものが具足よ」
大名は、みずからの具足で「意志」を示す。
(『家康がゆく 歴史小説傑作選』「非命に斃る」P.75より)
具足とは、単に攻撃から身を守るための防具ではなく、纏う者の内面を現出させるものであると。
戦いの小道具でありながら、これまでの歴史小説ではちゃんと描かれることがなかった具足(甲冑)に光を当てその制作過程も含めて詳述されているのが嬉しいところ。「武田の赤備え」として知られる山県三郎兵衛尉昌景が敵方の武将として登場するのも興趣を深めています。
新田次郎さんの「伊賀越え」は、家康が陥った危難の一つ、伊賀越えを扱っています。
伊賀越え脱出行における、武田方から織田方に寝返った穴山梅雪の役割が絶妙。
松本清張さんの「山師」は、天下人となった家康に大量の金銀をもたらした能楽師・大蔵藤十郎(後の大久保石見守長安)の物語。
長安が長年抱えていた不安を文豪が浮き彫りにします。
伊東潤さんの「人を殺して」は、関ヶ原の戦いを前に、家康と石田三成が交わした、ある密約を描いています。
なにゆえ、二人は密約を交わしたのでしょうか?
その密約は天下分け目の戦いにどんな影響を与えたのでしょうか?
果たしてその密約は守られたのでしょうか?
あり得ない設定ながら、史実をなぞりながら関ヶ原の戦いが進行していきます。
木下昌輝さんの「さいごの一日」は、名高き武将たちが死を迎える最期の二十四時間を、濃密に描くいた短編集『戦国十二刻 終わりのとき』に所収された作品。
徳川家康の最期の日に、南蛮時計の針の歩みに合わせて、七十五年の生涯をフラッシュバックする形で辿ります。死の床についた現在の家康と、人生で重要な地点に遭遇した過去の家康が、そのときの行動を点検していくスタイルが新鮮です。
作家が異なり筆致も違いながらも、各短編を通じて、その時代を生きた家康の像がくっきりと浮かび上がってきます。ステレオタイプでない新しい家康を描きながらも、その人物像はしっくりとくるものでした。
2023年の大河ドラマで、主演の松本潤さんがどのような家康像を演じられるのか、分かりません。
しかしながら、本書で家康の生涯のエピソードの一片に触れて興味を持ち、長編小説で深堀りしていき、大河ドラマに備えたいと思います。
家康がゆく 歴史小説傑作選
細谷正充編
PHP研究所 PHP文芸文庫
2022年7月20日第1版第1刷
装丁:芦澤泰偉
装画:ヤマモトマサアキ
●目次
薬研次郎三郎 宮本昌孝
大名形 武川佑
伊賀越え 新田次郎
山師 松本清張
人を殺して 伊東潤
さいごの一日 木下昌輝
解説 細谷正充
本文293ページ
出典
「薬研次郎三郎」(宮本昌孝『武者始め』所収 祥伝社文庫)
「大名形」(武川佑 書き下ろし)
「伊賀越え」(新田次郎『六合目の仇討』所収 新潮文庫)
「山師」(松本清張『松本清張短編全集02 青のある断層』所収 光文社文庫)
「人を殺して」(伊東潤『決戦!関ヶ原』所収 講談社文庫)
「さいごの一日」(木下昌輝『戦国十二刻 終わりのとき』所収 光文社文庫)
PHP文芸文庫オリジナル
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『家康がゆく 歴史小説傑作選』(細谷正充編・PHP文芸文庫)
『徳川家康(1) 出世乱離の巻』(山岡荘八・講談社文庫)
『家康(一) 信長との同盟』(安部龍太郎・幻冬舎時代小説文庫)
『影武者徳川家康(上)』(隆慶一郎・新潮文庫)
『天下 家康伝』(火坂雅志・文春文庫)
『武者始め』(宮本昌孝・祥伝社文庫)
『戦国十二刻 終わりのとき』(木下昌輝・光文社時代小説文庫)