『三河雑兵心得(九) 上田合戦仁義』|井原忠政|双葉文庫
井原忠政(いはらただまさ)さんの文庫書き下ろし戦国小説、『三河雑兵心得(九) 上田合戦仁義』(双葉文庫)を紹介します。
東三河の百姓出身の若者茂兵衛が家康の家臣の足軽となって、戦を通じて出世を重ねていく「三河雑兵心得」シリーズは、本書で9巻目を迎えます。
主命とはいえ、秀吉との和平を進言し、家内ですっかり孤立してしまった茂兵衛。お陰で、家康の次男・於義丸を大坂まで送り届けるという損な役目まで命じられてしまう。一方、かねてより懸案だった沼田領の帰属をめぐって揉めに揉め、ついに真田昌幸が徳川に反旗を翻した。黒駒合戦で北条、小牧長久手戦で秀吉と、強敵を続けて破ったことで自信満々な徳川勢は、過信から真田への侮りを隠せない。蔓延する気の緩みに、茂兵衛は危機感を募らせるが……。戦国足軽出世物語、油断大敵の第9弾!
(カバー裏の内容紹介より)
天正十二年(1584)。
三月の小牧長久手戦では、四倍の兵力差がある圧倒的に不利な状況の中で、引き分けに持ち込んだ徳川家康だが、秀吉からの講和条件、次男の於義丸を養子に出すことを受け入れ、於義丸を大坂に送ることを決めました。
於義丸の警護に抜擢されたのが、植田茂兵衛の鉄砲隊でした。
「植田の奴に、於義丸を大坂まで護衛させる……佐衛門尉(酒井)の案を、おまん、どう思う?」
「ど、どうって……」
豪傑が困惑の色を浮かべた。
「難しいことは訊いてねェぞ。どう思う? 否か応k?」
家康は執念深い。最近、平八郎の困った顔を見ると、なぜか心が浮きたつ。虐めたくなる。強硬論一本槍の平八郎に辟易している証だ。
「よう分かりません」(『三河雑兵心得(九) 上田合戦仁義』P.24より)
旗本先手役で、対秀吉強硬派の本多平八郎は、先日の評定の席で、対秀吉宥和策を唱えた茂兵衛を殴っていました。
家康は、以来茂兵衛と口をきいていないばかりか目もあわせていない平八郎に、意地悪く尋ねました。
翌天正十三年(1585)、
植田茂兵衛は、本多正信に命じられた通り、数日おきに上田城へ通い、真田親子と無駄話をし、酒を飲んで帰ってくるということを続けていました。五人いる奉公人すべてを同道し、自分が気づかない城内の変化を彼らが察知してくれることを期待して。
「茂兵衛殿?」
「はい」
「貴公が腹蔵なく表裏比興之者などと際どいことを申されたから、ワシも素直に申すことにする。真田はな……徳川を裏切らん。裏切れん」
「あ、あの……」
さすがに返事ができなかった。生々し過ぎる。池に小石を投げたつもりが、水底の竜神が暴れ出した印象だ。茂兵衛は狼狽した。
「考えてもみよ。ワシは北条も上杉も一度裏切っとる。天正十年(1582)のことは今も忘れん。六月に上杉に臣従し、翌月には北条に寝返ったからなァ。その間、わずか一ヶ月……」(『三河雑兵心得(九) 上田合戦仁義』P.188より)
ところが夏が終わるころ、浜松の家康の許に、真田昌幸直筆の書状が届きました。この七月十五日に、上杉景勝に次男の源二郎信繁(幸村)を人質に差し出し、徳川とは断交すると書状には認められていました。
真田の寝返りを受け、天正十三年閏八月、甲斐信濃の徳川勢は真田討伐に乗り出しました。「第一次上田合戦」の勃発です。
主人公の植田茂兵衛は、百姓出身であるために、生粋の侍とは違う思考回路を持って行動するのが、本シリーズの面白さの源泉の一つです。
戦場では二百人以上の敵を殺しながらも、部下を取り立てて成長させたり、農民たちに同情し、上役に城攻めの常套策である田圃を燃やすことを止めるよう進言したりと、血の通った優しさを随所に見せます。
非情に徹しききれない面がいくさ人として弱点であるとともに、人間的には魅力あふれるヒーローとなっています。
そんな茂兵衛が、上田合戦で死地に向かうことに、最高潮を迎える第8巻。
最後の1ページまで目が離せません。
三河雑兵心得(九) 上田合戦仁義
井原忠政
双葉社 双葉文庫
2022年7月17日第1刷発行
カバーデザイン:高柳雅人
カバーイラストレーション:井筒啓之
●目次
序章 三河殿は律義者で
第一章 於義丸
第二章 天下人の城
第三章 上田合戦前哨戦
第四章 上田攻め
終章 茂兵衛、討死ス
本文268ページ
文庫書き下ろし
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『三河雑兵心得(一) 足軽仁義』(井原忠政・双葉文庫)(第1作)
『三河雑兵心得(九) 上田合戦仁義』(井原忠政・双葉文庫)(第9作)