『あるじなしとて』|天津佳之|PHP研究所
天津佳之さんの歴史小説、『あるじなしとて』(PHP研究所)を紹介します。
2021年、鎌倉末期から南北朝時代を描いた『利生の人 尊氏と正成』で第12回日経小説大賞を受賞して、作家デビューした著者。第2作『和らぎの国 小説・推古天皇』では古代・飛鳥時代を舞台にしています。
第3作の本書、『あるじなしとて』は、学問の神様として知られる、平安時代屈指の文人政治家・菅原道真の生涯を描いています。
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」の歌に秘められた想いとは何だったのでしょうか。
文人として名を成し、順調に出世していた菅原道真は、讃岐守という意に反した除目を受け、八八六年(仁和二年)、自暴自棄となりながら海を渡って任国へ向かう。しかし、都にいては見えてこなかった律令体制の崩壊を悟った道真は、この地を“浄土”にしようと治水を行った空海の想いを知ると十に、郡司の家の出でありながらその立場を捨てた男と出会うことで、真の政治家への道を歩み出す。
(本書カバーの紹介文より)
仁和二年正月。
五十五歳で二年前に即位した(後の光孝天皇)が今上の帝で、藤原基経が太政大臣をつとめていた時代。
四十二歳になり、式部省の少輔で文章博士の菅原道真に讃岐国の国司の除目(任命)がありました。
中央の顕職に就くだろうと思っていたところに、予想外の国司の除目を、道真は左遷ととらえて、激しく失望して、激情に駆られることに。
「このたびの讃岐国守をあなたに任せることは、太政大臣と意を同じくするところだ」
不意に懊悩の中心を衝かれ、道真は知らず、瞳を震わせた。
(……やはり)
やはり、帝と基経が自身を左遷したのだと、道真は内心でうめく。内宴への特別な招きも、このような異例の罷り申しも、言ってしまえば懐柔にすぎないのだ。(『あるじなしとて』 P.33より)
妻子を都に残し、年若き門人で家人の味酒安行(うまさけのやすゆき)だけを連れて、任国讃岐にやってきた道真。
失意を抱えて意識は虚ろなまま、前任者の藤原保則が京に帰ることを羨ましく思い、不意に涙が頬を伝いました。
「……そうだ、菅原殿」
保則が笑いを収めて呼びかけた。
「国内を巡視されるときには、是非、善通寺と満濃池をお訪ねするとよいでしょう」
「善通寺と言われると、あの空海阿闍梨の?」
道真は思わず目を見開く。真言密教を開いた高僧・空海は讃岐の出である。その空海が開いた寺として、善通寺の名は京でも知られている。もう一方の満濃池という名には覚えがなかったが、それも彼に縁のある地と思われた。(『あるじなしとて』 P.48より)
道真は、保則の帰京する姿を見て、任期を終えて京に帰る日が必ずやってくることを再認識し、国司として仕事が優れたものと認められれば、中央官に返り咲くこともできるに違いないという想いを支えに、国司として実務を始めました。
都とは気候も人の気質も文化も違う讃岐で、国司よりも現場を掌握している郡司のほうが力をもっていることもあって、いったい国司は何のためにあるのか、自分は何ができるのかと、思い悩む日々を送ります。
抜け目ないがきわめて有能な郡司の阿河(あが)から讃岐の現状を知り、郡司の家の出身ながら走還人(他国に逃げたものの捕まって出身国に送り返された者)として、山奥の狭隘な川辺で暮らす綾斉正(あやのなりまさ)からは正鵠を射ている厳しい言葉を受け、道真は少しずつ自分を取り戻し、国司に課せられた役目に取り組むことに……。
粗野な姿をしながらも聖人のように清貧な斉正は、道真にとって正しい方向を示す、生きた道しるべのような存在。
国司となって直面する、律令による税収の未進(不足分)と物納が粗悪という問題。
中央にいては理解することができない事態に、学者の性分として法令を文字通りに解釈してきた道真は苦悩し、あることに解決の糸口を求めました。
民の暮らしを安んじて、政を治める、讃岐の国を浄土にしようと志しました。
政治家として大切なこと、すべてを讃岐で学んだ道真は、五年の任期を終えて京に帰ると、中央の顕職に抜擢されました。政治家として、律令体制の限界、財政破綻の危機に直面し、やがて権力者と対立していきます。
ときには漢詩を織り交ぜて道真の心情を格調高く描出し、また血の通った人間のドラマとして描き、読者を平安時代に誘ってくれます。
本書で、当代一の学者としての面ばかりでなく、この国を本気で救おうと奮闘した秀でた政治家の面に光を当てたことで、知られざる道真像に触れ、胸を打たれました。
難しい人物を鮮やかに描いてみた著者が、次はどんなテーマを扱うのか、興味関心が尽きません。
あるじなしとて
天津佳之
PHP研究所
2022年6月22日第1版第1刷
装丁:芦澤泰偉
装画:村田涼平
●目次
序 昌泰四年(九〇一)如月一日
壱 予期せぬ左遷 仁和二年(八八六)正月十七日
弐 浄土への願い 仁和二年(八八六)神無月
参 梅花、未だ咲かず 寛平二年(八九〇)皐月十日
終 延喜三年(九〇三)如月
本文370ページ
書き下ろし
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『あるじなしとて』(天津佳之・PHP研究所)
『利生の人 尊氏と正成』(天津佳之・日本経済新聞出版)