『子宝船 きたきた捕物帖(二)』|宮部みゆき|PHP研究所
宮部みゆきさんの時代小説、『子宝船 きたきた捕物帖(二)』(PHP研究所)を紹介します。
『子宝船 きたきた捕物帖(二)』は、小物を入れる文庫を売りつつ岡っ引き修業に励む北一と、風呂屋の釜焚きなのに滅法強い喜多次、二人の「きたさん」がバディとなって、江戸深川で起こる不可解な事件を解き明かし、大人へと成長していく捕物小説です。
宝船の絵から、弁財天が消えた――
江戸深川で起こる不可思議な事件を、二人の「きたさん」が解き明かしつつ、大人になっていく物語。
(本書カバーの紹介文より)
深川元町の岡っ引き、文庫屋の千吉親分が亡くなり、千吉の一番下の子分、北一は、本や小物などを入れる文庫(厚紙製の箱)の振り売りを引き継ぎました。
北永堀町にある『富勘長屋』の長屋に移り住み、千吉のおかみさんの松葉のもとに出入りをしながら、深川で起こった不可思議な事件に巻き込まれていきます。
文庫の絵柄の花火が時季外れになりそうな頃。
北一は、季節外れの七福神を乗せた宝船の絵八枚をもらいました。喜多次が、紙くず、ぼろきれ、枯れ枝、枯れ草、板っきれ、棒っきれなどと一緒に焚き付けとして集めてきたなかにあったものです。
その宝船の絵には、見落としようのない変わった特徴がありました。
七福神のなかでの弁財天が一人だけ、見る者に背中を向けているのでした。
北一は言った。「この船じゃ、弁財天様がお怒りなのかな」
喜多次は宝船の絵を一枚手に取った。
「これ、どっか一ヵ所でまとめて拾ったのかい? それともばらばらか」
問いかけても答えない。もう一枚、別の絵を手にして二枚を見比べてから、飽きたみたいにふいっと両方とも放した。
「覚えてねえ」
だろうなあ。いちいち気にしてねえよな。(『子宝船 きたきた捕物帖(二)』 P.22より)
その後、北一は、酒屋が年賀に配った宝船の絵のせいで、生まれたばかりの赤子がしんでしまうという事件の話を耳にしました。
清住町にある煙草と線香の店、多香屋の若夫婦陸太郎とお世津は子宝になかなか恵まれず揉めていましたが、本所横網町の酒屋の主人源右衛門が描いた宝船の絵をもらい、お世津が正月二日の夜に枕の下に敷いて寝むと、十月十日後に玉のような男の子が生まれたと。
源右衛門の描いた、弁財天が掻巻に包まれた赤子を抱いている宝船の絵は評判となり、子宝も求める人たちに評判が広がりました。
ところが、その男の子が生まれて六カ月ほどして、お世津がちょっと目を離して戻ってきたら、息をしていなかったと。
若夫婦が悲嘆にくれるなかで、寝所の文箱にしまってあった宝船の絵から、弁財天が消えていることが見つかり、大騒ぎに……。
幼い子どもの突然死に対して、明治までは「七つまでは神のうち」といわれていましたが、当時の死生観を素直に受け入れられない当事者の思いを描出しています。
第二話「おでこの中身」では、大人になった「おでこ」こと三太郎が登場します。
筆者の『ぼんくら』で、政之助親分の下で働き、どんなに些細なのことで、一から十まで覚えていて自在に取り出せるという、記憶力が並外れた少年です。
今は、政五郎親分のもとから独立して、町奉行所の文書係をつとめています。
北一が客として出入りしていた弁当屋「桃井」の一家三人が何者かによって毒殺されたのでした。
銀杏の木の幹に隠れるように事件現場をうかがう、不審な女を見かけました。
若い女ではなく、大きめの丸髷で、裾回りに紅葉を絵柄を散らした御納戸茶の小袖に、目立つ市松模様の帯、色違いで同じ模様の巾着袋を手に提げた、洒落た身なりをしていますが、身体つきはずんぐりしていて、顔だけが妙に白く、少し出っ張り気味の目をした女です。
女が野次馬の間をすり抜けるように姿を消した際に、北一は、女の背中、うなじから貝殻骨の間に、円のなか一片の銀杏の葉が入っている彫りものがあるのに気づきました。
検視した与力の栗山周五郎の手伝いをした北一は、周五郎から謎の女の行方を調べるように命じられました。
「それでおいら……なりゆきでさ、昔の事件のことをね、親分にお尋ねしたんだ。そしたら、昔話ならその手下だった人に訊くといいって教えてくだすった」
掛け値なしに何でも覚えていて、何でも思い出せる奴だから、と。
「顔が日陰になるくらい見事に出っ張ったおでこの持ち主で、なんかねえ、浮世離れしていてあやかしみたいなお人らしいよ」
うた丁は言って、大きな顔からはみ出しそうな特大のにやにや笑いを浮かべた。
「北さん、腰を抜かさないように、下帯をうんと強く締めて会いに行きな」(『子宝船 きたきた捕物帖(二)』 P.206より)
北一が事件のことを訊きに、親分の友人で地獄耳の、深川元町の髪結床うた丁を訪ねると、おでこのことをそんなふうに言っていました。
第三話の「人魚の毒」では、銀杏の葉の彫りものをした女の素性が明らかになっていきました。そこには哀しい物語が……。
「北一にはあの子なりの了見があり、腹づもりがあって、町なかを駈けずり回っているんでございます。あの子を助けてくださる方々も、北一の後ろに千吉の後光を見ているわけじゃございません。むしろ、後光を受けるに足らぬ北一の甲斐性なしに、思わず手を貸してくださっているのでしょう」
今の北一は十手持ちではおざいません、と言った
「何事も素手で立ち向かい、世間様に触っては傷を受け、血を流し、肉刺や胼胝をこしらえながら、面の皮と手の皮を厚くする修業をしている、この深川の町の使いっ走りでございますよ」(『子宝船 きたきた捕物帖(二)』 P.273より)
千吉に手札を渡していた本所深川方同心の沢井蓮太郎の頭越しに、上役の与力にくっついて使い走りをする北一のことで、沢井からおかみさんに申し入れがありました。
亡くなった千吉の思い、それを受け止めて、北一を厳しくも優しく育てるおかみさん。深川の町を使い走る修業をする北一を、大家の富勘、欅屋敷の若様と用人の青海新兵衛、手習所の武部先生、うた丁、村田屋治兵衛らが助けの手を貸します。
そして、相棒の喜多次。
下町の人情が心に沁みる、捕物帖の第二弾。
北一の岡っ引き修業はまだ始まったばかり。今後の活躍を温かく見守っていきたい、そんな気持ちになりました。
子宝船 きたきた捕物帖(二)
宮部みゆき
PHP研究所
2022年6月7日第1版第1刷
装幀:こやまたかこ
画:三木謙次
●目次
第一話 子宝船
第二話 おでこの中身
第三話 人魚の毒
本文360ページ
初出
月刊文庫「文蔵」2020年6月号~2021年12月号(2021年10月号を除く)の連載「子宝船」「おでこの中身」を加筆・修正し、「人魚の毒」を書き下ろしたもの。
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『きたきた捕物帖』(宮部みゆき・PHP文芸文庫)
『子宝船 きたきた捕物帖(二)』(宮部みゆき・PHP研究所)
『ぼんくら 上』(宮部みゆき・講談社文庫)