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訳ありな客が訪れる、橋場の渡しの一膳飯屋。沁みる時代小説

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『みぞれ雨 名残の飯』|伊多波碧|光文社文庫

みぞれ雨 名残の飯伊多波碧(いたばみどり)さんの文庫書き下ろし時代小説、『みぞれ雨 名残の飯』(光文社文庫)を紹介します。

隅田川縁の橋場の渡し近くの一膳飯屋を舞台に、その店に集う者たちの人間模様を描いた、一話完結の連作形式の人情市井小説の第二弾です。

隅田川縁の橋場の渡し傍にある一膳飯屋『しん』には今日も、訳ありな客たちが、一時の休息を求めて訪れる。我が子との別れを決意した女、夢破れた元戯作者、父の借金に苦しむ女、男勝りで剣術に没頭する女剣士――。この店にいると皆、素直になれるのだ。ある者は、新たな一歩を踏み出し、ある者は過去に決別する。好評を博した時代小説シリーズ、待望の第二弾。。

(本書カバー裏の紹介文より)

一膳飯屋の『しん』は、女将のおしげと若女将のおけいの母娘と、舌が良い老料理人の平吉の三人で切り盛りしています。

店の屋号は、不祥事がもとで八年前に江戸十里四方払いの裁定を下され奥州に向かったおしげの息子で、おけいの弟の新吉の名から付けられたもの。
行方知れずのままの新吉の帰りを待ち続けていました。

時代は、寛政四年(1792)正月。

第一話の「みぞれ雨」では、霜柱が立つ寒い朝、平助が五つか六つくらいの男の子を店に連れてくるところから始まります。
何が気に入ったのか、子どもは平助の着物の裾をしっかり掴み、ここまでくっついてきました。
迷子か。この近くの家の子どもか。
温かい砂糖湯を飲ませてあげて、事情を訊くことに。

おきよは渡し場の渡しに舟が舫われているのを見つけて、誘われるように近づき、船頭に「乗せてください」と声を掛けます。
舟に乗ったおきよは、土手沿いの道を行く母と子の楽し気な散歩の様子を目にして動揺し、舟から落ちそうになりました。

向こう岸に舟が着くと、ちょうど一休みしようと思っていましたとつぶやきました。

「舟に乗る方はお連れの方とよく内輪の話をなさいます。下りれば、それきり会うこともありませんから気楽なのでしょう」
 船頭は前を向いて喋っている。
「こちらも、次のお客さんを乗せれば忘れてしまうんです」
「忘れる?」
「船頭ですから。お客さんの話には立ち入りません。波音みたいに、耳に入った傍から流れていくものなんです」
 
(『みぞれ雨 名残の飯』 P.18より)

船頭は背の高い、引き締まった体格の男で、年中舟に乗っているせいか日に焼け、肌には小さな染みがあるが、歳はせいぜい三十過ぎ。二十七のおきよと大して変わりません。

独りで鬱屈を抱えているか、暗い気持ちを持て余していた、おきよは船頭に事情を打ち明けることに。

 近松加作。
 それが上方にいた頃の長二の筆名である。
 今となっては、もう人の口の端に上ることもない古い名だ。そんなものをいつまでも後生大事にしているのは、長二本人だけだろう。
 
(『みぞれ雨 名残の飯』 P.109より)

第二話「旅の終わり」には、浮気な女房から逆に三下り半を言い渡される元戯作者が登場します。
天明三年(1783)に初演した浄『伊賀越道中双六』は、近松半二が執筆中に死去したため、弟子の近松加作により完成して上演された浄瑠璃。
文楽や歌舞伎ファンなら、ニヤリとうれしくなるような描写も出てきます。

近松半二は、大島真寿美さんの歴史時代小説『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で描かれている人物です。

第三話の「お人好し」は、竹町の渡しに程近い茶屋『松屋』で下働きをするさつきが主人公。

働き詰めで疲れている中で、小さなことの一つひとつに苛立ちを覚えるように。そのうえ、怠け者で酒と博打に目がない父親の借金取りに追われることも……。

本シリーズで重要な脇役である、若い芸者のまめ菊ことおちかが、さつきに関わっていきます。程よい緊張感と深い味わいの残る一編です。

第四話「祖父」では、剣術道場主の祖父のもとで、剣術に励む若い娘・律子の話が語られます。孫娘の祖父への愛情、剣への真摯な想いが伝わってきました。

本シリーズは一話完結の連作形式で、各話ではそれぞれ主人公が変わります。それぞれに悩みや苦しい事情を抱えながら『しん』にやってきて、美味しい料理と接客に癒され、店を出るときには、気持ちも新たに一歩を踏み出していきます。
はじめはほのかな温かさだったものが次第に心に沁みわたります。

みぞれ雨 名残の飯

伊多波碧
光文社・光文社文庫
2022年3月20日初版第1刷発行

カバーデザイン:泉沢光雄
カバーイラスト:立原圭子

●目次
第一話 みぞれ雨
第二話 旅の終わり
第三話 お人好し
第四話 祖父

本文323ページ

文庫書き下ろし。

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『橋場の渡し 名残の飯』(伊多波碧・光文社文庫)
『みぞれ雨 名残の飯』(伊多波碧・光文社文庫)
『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美・文春文庫)

伊多波碧|時代小説ガイド
伊多波碧|いたばみどり|時代小説・作家新潟県生まれ。信州大学卒業。2001年、作家デビュー。2005年、文庫書き下ろし時代小説集『紫陽花寺』を刊行。2023年、「名残の飯」シリーズで、第12回日本歴史時代作家協会賞シリーズ賞を受賞。時代小説...