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愛すべき大絵師・葛飾北斎の常識外れのおかしな日常を描く

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『画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗』|白蔵盈太|文芸社文庫

画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗白蔵盈太(しろくらえいた)さんの文庫書き下ろし時代小説、『画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗』(文芸社文庫)を紹介します。

著者は、忠臣蔵への導火線となった松の廊下事件の全貌を、「殿中でござる」の梶川与惣兵衛の視点から描いた、「松の廊下でつかまえて」(文庫化に際して『あの日、松の廊下』に改題)で、2020年、第3回歴史文芸賞最優秀賞受賞して、時代小説デビューしました。

奇人変人、でも天才。その名を世間に轟かす。江戸の大絵師葛飾北斎の絵への探求心は、尋常ならざるものがある。そして、偏屈で一般常識なんぞ持ち合わせていた。足の踏み場もないほどに散らかっている部屋でも片付けるなと叱り、生きている猫をもってこい、鼠を捕まえろなど、無理難題の毎日だ。しかし「絵が好き」という共通点があるからこそ、師匠はぶっきらぼうでも弟子の成長を見守り、弟子も怒りながらも尊敬の眼差しを送る。そんな愛あるおかしな日常を生き生きと描く物語。

(本書カバー裏の紹介文より)

『あの日、松の廊下』でデビューし、2作目『討ち入りたくない内蔵助』で、忠臣蔵小説を完結させた著者の第3作は、大絵師葛飾北斎のおかしなおかしな日常を取り上げました。

タイトルにある「日乗」とは、辞書によると、日記のこと。
本作の舞台は、文化十年(1827)で、北斎が六十八歳のとき。

「アゴが、出戻ってくんだよ」
 北斎がそう言った時、常次郎は師匠が何を言ったのかさっぱり分からず、「何ですかそれは?」と思わず聞き返してしまった。
「だーかーらー。アゴが、嫁ぎ先から出戻ってくるっつってんだよ」
「アゴ?」
「ああ。アゴだ。アゴが張ってて不細工だからアゴ」
 
(『画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗』 P.5より)

江戸っ子らしく短気で口が悪い北斎の言葉に、冒頭から惹きつけられました。
北斎の娘・お栄は顎の輪郭がしっかりしているような印象を与え、北斎が不細工だと、「アゴ」と言い張りますが、少々癖のある風貌の美人の部類でした。

やけに猫背で、つり上がった眉と切れ長の鋭い目が、への字の口と相まって容易に人を寄せ付けない偏屈な印象を与え、まるで夜道の野良猫のようでした。

本書は、北斎に弟子入りして一年になる、十四歳の露木常次郎の目線で、北斎と出戻ってきたお栄の、三人のおかしなおかしな日常が綴られていきます。

北斎がいつも絵を描いている文机の周囲には、描き散らしした紙が乱雑に積み重ねられていて、散らかった紙屑のせいでほとんど見えない床のあちこちには、使いかけの岩絵の具だの、べとべとの膠を溶いた小皿だの無造作に放置されていました。

さらに、握り飯を包んでいた竹の皮だの、竹串だの、北斎が無造作に食べ散らかしたごみもあって、足の踏み場もない汚部屋となっていて、その部屋を片付けるのが常次郎でした。ところが、そんな弟子を「てめえまた、要らねえことしやがってこの野郎!」とりつける師匠。

美人画を描かせたら師匠以上というお栄にあこがれを抱き、出戻りによって期するものがあった常次郎でしたが……。

常識人の常次郎が、一般常識を持ち合わせていない北斎とお栄の父娘と出会い、成長していく物語でもあります。

 その時、常次郎はふと気付いたのだった。
 ああ、そういえば先生のところに通うようになってから、絵が楽しい。
 
 北斎の元では、何も教えてもらえない。
 その代わり、北斎の元にいるとなぜか無性に絵を描きたくなるのだ。今年で六十八にもなるのに、この師匠は飽きもせず一日中何かを見つめては、それがごく当たり前のことであるかのように、ずっと絵を描いている。
 そんな姿をすぐ横で見ていると、まるで絵を描かない人間のほうがどうかしているのではないかという、あべこべな気分になってくる。それが常次郎も、気が付けば北斎の横で日がな一日、食事も忘れて絵を描いている。
 
(『画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗』 P.25より)

本書では、生涯に何度も筆名を変えて、「画狂老人」とも称した葛飾北斎の日常を、愛情を込めて描いていきます。

良く知られたエピソードを織り込みながらも、偏屈ぶり、常識外れぶりに思わずクスッと笑ってしまう場面もあり、読み味が良い作品です。
美人画と春画で人気の絵師、渓斎英泉がお栄に恋する優男として登場するのも見逃せません。
トンデモナイ人たちながら、北斎もお栄(葛飾応為)も、登場人物たちが皆愛すべき、愛しい存在になっていきました。

画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗

白蔵盈太
文芸社・文芸社文庫
2022年4月15日初版第一刷発行

カバーイラスト:龍神貴之
カバーデザイン:谷井淳一

●目次
一、画狂老人と掃除
二、画狂老人と猫
三、画狂老人と阿蘭陀人
四、画狂老人と娘
五、画狂老人と将軍
六、画狂老人と卍

本文276ページ

文庫書き下ろし。

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『あの日、松の廊下で』(白蔵盈太・文芸社文庫)
『討ち入りたくない内蔵助』(白蔵盈太・文芸社文庫)
『画狂老人卍 葛飾北斎の数奇なる日乗』(白蔵盈太・文芸社文庫)

白蔵盈太|時代小説ガイド
白蔵盈太|しろくらえいた|時代小説・作家1978年、埼玉県生まれ。2020年、「松の廊下でつかまえて」(文庫刊行時に『あの日、松の廊下で』に改題)で、第3回歴史文芸賞最優秀賞受賞。2024年、『実は、拙者は。』(双葉文庫)で、2024年啓文...