『人情出世長屋 てんやわんやの恩返し』|山田剛|角川文庫
山田剛の文庫書き下ろし時代小説、『人情出世長屋 てんやわんやの恩返し』(角川文庫)を紹介します。
畠山健二さんの『本所おけら長屋』や金子成人さんの『ごんげん長屋つれづれ帖』など、良質の人情長屋小説が人気を集めています。
そうした人情長屋小説に、新たな書き手が加わりました。
神田明神下にある「出世長屋」は、店子らが出世するようにと願って名付けられた。だが、昨今は空き家だらけで、長屋に通じる路地が〈おばけ横丁〉と呼ばれる始末。そんな長屋の店子たちは、貧しいながらも明るさは忘れていない。店子の一人、駕籠かきの桂太は、下手な博打に手を出し、借金を背負うところを庄内屋の主人・重吉に助けられた。後日、桂太はその重吉から、なんとも突飛な生前葬の依頼を受けることになるが――。
(『人情出世長屋 てんやわんやの恩返し』カバー裏の紹介より)
天保二年(1831)六月。
神田御台所町、通称、明神下にある「出世長屋」が舞台です。
江戸総鎮守、神田明神の懐に抱かれ、近くに英才が集う湯島聖堂があることから、そのご利益に与り長屋の店子らが出世するようにと願って、名付けられました。
しかし、長屋が建ってこの方、出世した者の話は一つもなく、店子たちの昨今の話題は、出世とは程遠い〈空き家〉問題でした。
長屋に暮らす駕籠かきの桂太と香太は、平河町にある秘密の賭場で、博打に手を出し借金を背負うところ、江戸でも有数の米問屋庄内屋の重吉に助けられました。
「おかみさんから聞いたのは、旦那が生前葬をやりてえんで、ついては俺たち二人にその段取りをしろと、そう聞いただけなんで、旦那、なんでまた、生き仏なんかになりたいんで?」
「至極もっともな問いだ。わしは近々隠居する。ついては、これまで世話になった人たちに、きちんと挨拶をしたいと思う。人間、明日の命なんて誰もわかりゃしない。いつこの世からおさらばするか、神仏のみぞ知るだ。死んでしまってからじゃ御礼もクソもない、そうだろ? そうなったら悔いが残る。悔いが残るといったって、死んでしまったら何も出来ないんだ、そうだろ?」(『人情出世長屋 てんやわんやの恩返し』P.46より)
後日、桂太と香太は、重吉から思いもかけない生前葬の依頼があり、引き受けることになりました。出世長屋の皆にも手伝いを頼むとともに、長屋に住むことになったので、さあ、大変。
(第一話「てんやわんやの生前葬」より)
尻を五百文で触らせるあばずれ尼僧の純情を描いた「第二話」、長屋に暮らす桶屋の常吉と、夜鳴き蕎麦の屋台を引く甚助の孫お光の淡い恋を描く「第三話」など、人情味たっぷりの悲喜劇を収録しています。
「第四話」では、物忘れが酷くなり、長屋の住人に嫌われる老婆・おたきをめぐる騒動が描かれていますが、身につまされて考えさせられるとともに、江戸の長屋の温かさにも触れられる一編です。
「どうしたの香太さん、その顔」
案じるお亀より先にお熊が訊いた。
「誰かと喧嘩でもしたのかい」
香太が黙っていると、後から来た常吉が教えた。
「桂太とだよ。藪から棒に、相棒をやめると言われたらしい」
「えっ、あの人が? なんだってそんなことを。ごめんよ香太さん」(『人情出世長屋 てんやわんやの恩返し』P.314より)
藪入りが近づくと、桂太の様子がおかしくなり、相棒をやめると言って、香太と喧嘩になりました。訳を訊いても答えがなく、ついには女房のお熊を追い出して、「俺は落とし噺を拵える」と言って、朝から晩までぶつぶつと何かをしゃべり始めました……。
大いに笑い、こっそり泣ける、人情長屋小説と落語は共通する部分が多いように思います。
本書も、泣き笑いで、ストレスに疲れた心をじんわりと温めてくれます。
瀬知エリカさんの表紙装画に、表情も緩みます。
シリーズ化されることを期待しています。
人情出世長屋 てんやわんやの恩返し
山田剛
KADOKAWA 角川文庫
2022年3月25日初版発行
カバーイラスト:瀬知エリカ
カバーデザイン:原田郁麻
●目次
第一話 「てんやわんやの生前葬」
第二話 「恩送り・あばずれ尼僧の涙」
第三話 「斬っちゃならねえ!」
第四話 「おっかなびっくり雨やどり」
第五話 「夢のまた夢 恩返し」
本文360ページ
文庫書き下ろし
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『人情出世長屋 てんやわんやの恩返し』(山田剛・角川文庫)