『住友を破壊した男』|江上剛|PHP文芸文庫
江上剛のノンフィクション小説、『住友を破壊した男』(PHP文芸文庫)を紹介します。
著者は、企業小説の名手で、とくに安田善次郎、大倉喜八郎ら、一代で財閥を築き上げた、明治に活躍したカリスマ企業経営者を描いた歴史小説で知られています。
この男なくして「住友」は語れない! 幕末、志士として活躍後、司法官となった伊庭貞剛は、叔父で総理事の広瀬宰平に招聘され、住友に入社する。しかし当時の住友は、別子銅山の煙害問題を抱え、さらには宰平の独断専行が目にあまるほどであった。住友財閥の中にありながらも、住友を破壊せんばかりの覚悟を持って改革に臨んだ、“住友中興の祖”とよばれる経営者の生涯を描き切った傑作長編小説。
(『住友を破壊した男』カバー裏の紹介より)
本書では、「住友中興の祖」といわれ、明治に活躍した二代目の住友家総理事、伊庭貞剛(いばていごう)の生涯を描いた、ノンフィクション小説です。
「住友家の家訓には国土報恩というものがあります。会社の利益よりも国土、地元への利益還元を優先するという考えです。もともと、住友林業は住友の祖業だった別子銅山の林業部門から出発しています。別子の山々は銅の精錬から排出される亜硫酸ガスの煙害によって、草木も生えないほど荒れ果てていました。近くの農家のも甚大な被害を与えたようです。別子銅山では、ほそぼそと植林を続けていたようですが、それでは到底、山は元の緑を回復しません。そのとき、住友の責任者だったのが伊庭貞剛です」
(『住友を破壊した男』P.13より)
当時は、銅は国家を支える産業で、住友は銅の生産を最優先にしていました。それに対して、伊庭は「住友を破壊しても構わない」という覚悟でこの問題に取り組みました。
近江国蒲生郡西宿村で、代官の子として生まれた貞剛は、児島道場で四天流剣術に通う一方で、十七のとき、尊攘派の西川吉輔に師事して、漢籍と国学を学びます。
「君の評判は耳にしています。代官の子息なのにまったく偉ぶったところがないそうですね。児島道場からの帰り道、老いた行商の老人のために道を譲り、時には彼らの荷を担いでやることさえあると聞きました。素晴らしい心がけです」
吉輔は言う。(『住友を破壊した男』P.52より)
貞剛は、吉輔のもとで、諸外国の情勢や天皇を中心とした国の在り方に触れ、長州藩士品川弥二郎と友誼を結び、尊王攘夷に命を懸ける志士となっていきます。
明治に入ると、貞剛は、明治二年に刑法官に任官されたのを皮切りに、司法官の道を歩んでいきます。
貞剛には、十九、年が離れた叔父、広瀬宰平がいました。宰平は十一歳から別子銅山の勘定場で働き、総理代人をつとめていました。
「なあ、貞剛。住友に来い。何度も言ったことだが、お国に尽くすのは官の道ばかりではない。住友はお国のためにどれだけ役に立っているかわからんぞ。血を分けた貞剛が、私の右腕になってくれれば、どれだけ心強いことか。頼む」
(『住友を破壊した男』P.189より)
貞剛は、明治十年(1877)九月に、大阪上等裁判所判事に命じられましたが、翌明治十一年の暮れに一身上の理由で辞表を提出し、明治十二年一月二十一日付で免官となりました。そして同年二月四日、住友に入社しました。
住友に入社するまでの前半の物語は波瀾に満ちた歴史小説で、後半の入社後はビジネス小説の様相を呈しています。
ビジネス色が強くなるにしたがって、著者の美質がいよいよ発揮されていきます。
独裁的な権限を持っていた広瀬宰平に代わり、住友を率いた貞剛のビジネス手法は、まさに破壊的イノベーションといえるものでした。
足尾銅山鉱毒事件の反対運動を率いた田中正造も登場します。
広瀬宰平を描いた歴史時代小説には、佐藤雅美さんの『幕末「住友」参謀 広瀬宰平』と井川香四郎さんの『別子太平記』があります。
住友を破壊した男
江上剛
PHP研究所 PHP文芸文庫
2022年3月18日第1版第1刷
装丁:泉沢光雄
装丁写真:plainpicture/アフロ/住友史料館蔵
●目次
プロローグ
第一章 出会い
第二章 尊王攘夷
第三章 明治維新
第四章 司法官の道
第五章 住友入社
第六章 本店支配人
第七章 煙害問題発生
第八章 銅山へ
第九章 お山暮らし
第十章 宰平辞任
第十一章 四阪島移転。そして引退
エピローグ
あとがき
参考文献
特別収録対談 十倉雅和(経団連会長・住友化学会長)×江上剛
本文469ページ
本書は『住友を破壊した男 伊庭貞剛伝』(PHP研究所・2019年3月刊)を改題し、加筆修正したもの。
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『住友を破壊した男』(江上剛・PHP文芸文庫)
『幕末「住友」参謀 広瀬宰平の経営戦略』Kindle版(佐藤雅美・講談社文庫)
『別子太平記上 愛媛新居浜別子銅山物語』(井川香四郎・徳間文庫)