『討ち入りたくない内蔵助』|白蔵盈太|文芸社文庫
白蔵盈太(しろくらえいた)さんの文庫書き下ろし時代小説、『討ち入りたくない内蔵助』(文芸社文庫)を紹介します。
著者は、唯一の目撃者で関係者の旗本・梶川与惣兵衛を通して、忠臣蔵への導火線となった松の廊下事件の全貌を描いた、『あの日、松の廊下』で、第3回歴史文芸賞最優秀賞受賞し、デビューしました。
筆頭家老の家に生まれ、一生裕福で平和に暮らせるはずだった大石内蔵助の人生は、主君が起こした松の廊下の刃傷事件によって暗転する。不公平な幕府の裁定を前に、籠城だ仇討だといきり立つ藩士たち。内蔵助は彼らをのらりくらりとかわしながら、「藩士どもを殺してたまるか!」とお家再興に向けて奔走する。しかし、下からは突き上げられ、上からはそっぽを向かれ四面楚歌。やってられるか、こんなこと!役割や責任なんて投げ出せたら楽になれるのに……。人間・内蔵助を等身大で描く、新たな忠臣蔵。
(本書カバー裏の紹介文より)
毎年師走の、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした12月14日(当時は旧暦)が近づくと、忠臣蔵小説が読みたくなります。
今回はタイムリーなことに、『あの日、松の廊下』の著者による、赤穂浪士討ち入り事件を描いた、『討ち入りたくない内蔵助』が刊行されました。
自分は藩主である。残された藩士たちに、何か言葉を残さなければならない。彼は筆頭家老の大石内蔵助の顔を思い浮かべた。
あいつはよく気がつく男だ。むしろ気がつきすぎるせいで、ほかの人間ならなんとも思わずに忘れ去ってしまうような些細なことで、よく無意味に消耗している。そんな気苦労の多い性格が悪さをして、普段は厄介ごとに巻き込まれないように逃げ回ったり、すぐ手を抜いたりする困った癖がある。
だが、根っこは義理堅い奴だ。こういう時に逃げるような男ではない。
それに、あれこれ気を使うのをやめて開き直った時のあいつは、強い――
(『討ち入りたくない内蔵助』 P.8より)
元禄十四年 三月十四日、江戸城の松の廊下で、勅使奉答という重要な儀式の最中に、高家肝煎の吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭は、即日に切腹を科せられました。深刻に思い詰めて数時間前までの意識朦朧からは、まるで霧が晴れたように急に周囲が見えるようになり、自分が亡くなった後のことを考える余裕が生じました。
「内蔵助に、家臣たちのことを頼んだぞと伝えてくれ」と言い残して、後悔と自責の念を噛みしめ、辞世の句を残して切腹を賜りました。
松の廊下事件が起きた当日に江戸を発った早駕籠が四日半後の三月十九日に赤穂に付き、殿が江戸城松の廊下にて、吉良上野介を相手に刃傷事件を起こしたという第一報が大石内蔵助に告げられました。
殿は絶対助からず、赤穂藩は間違いなく取り潰し、千五百石扶持の筆頭家老の自分も来月からは蓄えを食いつぶして生きるただの素浪人になるだろう。
それだけでなく、藩士たちは絶対納得せずに、「城を枕に全員討ち死にじゃァ!」とその場の勢いだけでご公儀に楯突くようなことを言い出すだろう。
家臣たちの暴徒化を抑え、藩札の清算をして藩内を落ち着かせ、幕府への赤穂城引き渡しに向けた準備など、やるべきことを挙げたらきりがなく、内蔵助は、気が遠くなるような作業を前に思わず弱音を吐きます。
内蔵助は、まるで弱い自分自身に懇々と言い聞かせるように、静かに、しかし力強い口調で言った。
「ふっざけんなや……絶対に、こんなくだらんことで藩士どもを殺してたまるかっちゅうねん。儂の目の黒いうちは、一人たりとも死なせやせんからな!」
(『討ち入りたくない内蔵助』 P.21より)
下級藩士を中心に籠城して徹底抗戦を主張する者たちと、幕府に歯向かうことの無意味さとそれによって生じる悪影響の大きさを知る末席家老の大野九郎兵衛を筆頭とする比較的身分が高い者が中心の穏健開城派と、藩内は二分される中で、内蔵助が選んだ第三の道とは……。
忠義一辺倒というスーパーヒーローではない、本音を吐露する人間味あふれる内蔵助が魅力的で、物語の世界に引き込まれます。
松の廊下事件の後から始まり討ち入りの後まで、時系列で描かれていくので、赤穂浪士討ち入り事件のことが理解しやすく、おすすめの一冊です。
討ち入りたくない内蔵助
白蔵盈太
文芸社・文芸社文庫
2021年12月15日初版第一刷発行
カバーイラスト:龍神貴之
カバーデザイン:谷井淳一
●目次
一、元禄十四年 三月十四日(討ち入りの一年九か月前)
二、元禄十四年 三月十九日(討ち入りの一年九か月前)
三、元禄十四年 三月二十日(討ち入りの一年九か月前)
四、元禄十四年 三月二十九日(討ち入りの一年九か月前)
五、元禄十四年 四月十八日(討ち入りの一年八か月前)
六、元禄十四年 五月二十一日(討ち入りの一年七か月前)
七、元禄十四年 八月十九日(討ち入りの一年四か月前)
八、元禄十四年 十一月十日(討ち入りの一年一か月前)
九、元禄十四年 十二月十二日(討ち入りの一年前)
十、元禄十五年 二月十五日(討ち入りの十か月前)
十一、元禄十五年 四月十五日(討ち入りの八か月前)
十二、元禄十五年 七月十八日(討ち入りの五か月前)
十三、元禄十五年 七月二十八日(討ち入りの五か月前)
十四、元禄十五年 十月七日(討ち入りの二か月前)
十五、元禄十五年 十一月五日(討ち入りの一か月半前)
十六、元禄十五年 十二月十四日(討ち入りの当日)
十七、元禄十五年 十二月十五日(討ち入りの翌日)
十八、元禄十六年 一月十五日(討ち入りの一か月後)
十九、元禄十六年 二月一日(討ち入りの一か月半後)
二十、元禄十六年 二月四日(討ち入りの一か月半後)
本文260ページ
文庫書き下ろし。
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『あの日、松の廊下で』(白蔵盈太・文芸社文庫)
『討ち入りたくない内蔵助』(白蔵盈太・文芸社文庫)