『おれは一万石 金の鰯』|千野隆司|双葉文庫
千野隆司(ちのたかし)さんの長編歴史時代小説、『おれは一万石 金の鰯』(双葉文庫)をご恵贈いただきました。
本書は、崖っぷちの一万石小大名、下総高岡藩井上家に婿入りをした、美濃今尾藩竹腰家の次男、正紀の奮闘を描く文庫書き下ろし時代小説「おれは一万石」シリーズの第17巻です。
正国のお国入りは無事に済んだものの、今度は八月の参府の費用捻出に頭を抱える正紀たち。打開策が見えぬなか、両替商熊井屋の跡取り房太郎から銚子沖の鰯が不漁だとの噂を聞かされる。思わぬ話に光明を見出した正紀は、鰯を加工した肥料である〆粕の相場で儲けを出そうと目論むが、銚子の干鰯〆粕魚油問屋と高岡藩先代藩主正森の意外な関係を知り――。人気シリーズ第17弾!
(本書カバー裏の紹介文より)
寛政二年(1790)二月。
前巻『出女の影』では、慢性的な財政難の中での藩主正国のお国入りをその準備からお国入り時の出来事までを描いていました。
高岡藩井上家一万石は半年ごとの参勤交代を行わなければならない立場で、世子の正紀と江戸家老の佐名木源三郎、勘定頭の井尻又十郎は、八月に控えている正国の出府の費用をいかに捻出するか頭を悩ませていました。
金策の手立てを求めて町に出た正紀は、深川佐賀町の干鰯〆粕魚油問屋の前で、両替商熊井屋の跡取り息子房太郎を見かける。
物の値動きを調べるためにあちらこちらの商家を巡っている房太郎から、銚子沖の鰯漁が不漁だという噂を聞き、干鰯(ほしか)と〆粕(しめかす)の値が上がるのではないかという話を聞きました。
「干鰯と〆粕が肥料なのは分かるが、どう違うのか」
正紀は尋ねた。人糞も田畑の肥料にするが、それとも異なるものだ。
「干鰯は、鰯をそのまま干して肥料としたものです。〆粕は、鰯を茹でて魚油を絞った残りかすです。人糞よりもこちらの方が効き目があるので、値も張っています」(『おれは一万石 金の鰯』 P.18より)
時代小説を読んでいて、理解しにくいことの一つに、肥料のことがあります。
江戸近郊の農民が人糞を回収する話はよく目にしますが、干鰯や〆粕といった金肥(金で買う肥料)の詳細についてはよくわかりませんでした。
本書では、その生産から流通、取引の流れ、そして強烈な臭いまで物語の中で詳しく紹介されていき、まさに「金の鰯」というタイトルにふさわしく、興味深いものとなっています。
物語の舞台も干鰯〆粕の一大生産地の下総国銚子に移ります。
江戸時代の銚子には、高崎藩が銚子役所を置いて郡奉行が漁師や醬油造りの職人を束ねていたそうです。
さて、今回初めて、井上家一万石の先代藩主の正森が登場します。
高岡藩上屋敷に、思いがけない人物が顔を見せた。前藩主の正森である。正国の舅で、正室和の実父という立場の者だ。
正紀が前に顔を見たのは、一年近く前のことだ。
宝永七年(一七一〇)の生まれだから、八十一歳になる。建前としては、病気療養のため国許の高岡にいることになっている。しかし病になったという話は聞かない。高岡へ行ったときにも、陣屋で会うことはなかった。
これまでほとんど話題にならなかった人物で、正紀が会ったのも祝言の直後とその後数回だけだった。隠居してほぼ三十年、藩政に口を出すことはなかった。
(『おれは一万石 金の鰯』 P.20より)
藩から一文の支援がなく、その暮らしぶりも不明な正森に興味を持った正紀は、家臣の植村を伴って、帰路をつけることにしました。
深川の六間堀河岸に出た正森の前に、二人の浪人者が現れて斬りかかりましたが、正森はあっという間に二人を斬り、何事もなかったように立ち去り、南六間堀町の隠居所ふうの一軒家に入っていきました。
襲った浪人者は何者で、なぜ襲ったのか?
正森は藩からの支援なしに、どうやって暮らしているのか?
その暮らしぶりは?
八十一歳とは到底考えられない正森の剣の凄腕を目の当たりにして、正紀は事件を調べることに……。
型破りな先代藩主正森の登場に、物語はまた一段、面白さのギアを上げたように思われます。
●井上家の人々
井上正紀:高岡藩井上家世子。美濃今尾藩竹腰家藩主睦群(むつむら)の弟
井上正国:高岡藩井上家当主。尾張徳川家八代藩主宗勝の十男
井上正森:高岡藩井上家先代藩主(五代藩主)
和:正森の娘で、正国の正室
京:正国の娘で、正紀の妻
孝:正紀の娘
おれは一万石 金の鰯
千野隆司
双葉社 双葉文庫
2021年7月18日第1刷発行
カバーデザイン:重原隆
カバーイラストレーション:松山ゆう
●目次
前章 返り討ち
第一章 老人の謎
第二章 漁師の町
第三章 沖合漁場
第四章 〆粕作り
第五章 船の行方
本文269ページ
文庫書き下ろし
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