『看取り医 独庵』|根津潤太郎|小学館文庫
根津潤太郎(ねづじゅんたろう)さんの文庫書き下ろし時代小説、『看取り医 独庵』をご恵贈いただきました。
著者は、本名の米山公啓の名義で、医学実用書やエッセイ、医学ミステリーなど多数の著作をもつ、神経内科を専門とする医師です。
本書は、著者初の書き下ろし時代小説になります。
医師で医療時代小説も書かれる作家というと、『江戸の検屍官』シリーズの川田弥一郎さんや、最近書き下ろし時代小説を手掛けられた藤元登四郎さんの『祇園「よし屋」の女医者』が思い浮かびます。
医師ならではのリアリティある診療シーン描写や医療に関する実践的な知識、論理的なストーリー展開など、引き込まれる要素が多いです。
浅草諏訪町で開業する独庵こと壬生玄宗は江戸で評判の名医。診療所を切り盛りする女中のすず、代診の弟子・市蔵ともども休む暇もない。医者の本分は患者に希望を与えることだと思い至った独庵は、いざとなれば、看取りも辞さない。そんな独庵に妙な依頼が舞い込む。材木問屋の主・徳右衛門が、なにかに憑りつかれたように薪割りを始めたという。早速、探索役の絵師・久米吉に調べさせたところ、思いもよらぬ仇討ち話が浮かび上がってくる。人びとの心に暖かな灯をともす。看取り医にして馬庭念流の遣い手・独庵が悪を一刀両断する痛快書き下ろし時代小説。
(本書カバー裏の内容紹介より)
本書の主人公、独庵は、一昔前まで仙台藩の奥医者をつとめていましたが、訳あって今は浅草諏訪町で開業しています。
総髪でひげ面、見た目は浪人ふうですが、熱を出した老中を往診して治したことから、名医の評判が高くなりました。
そんな独庵のもとを夜分遅くに、扇橋屋の志乃と名乗る、六十近い商家の内儀が訪れました。
「まったく奇妙なことが起こりまして、内緒で先生にぜひご意見を承りたいのです」
「なんでございましょうか」
「じつは、主人の徳右衛門のことでございます。最近、歳のせいか以前ほど元気がなくなっていたのですが、なにを思ったのか、このところ急に薪割りを始めました」
「扇橋屋の旦那が薪割りとは、どういうことですかな。ご商売柄、材木はたくさん扱うでしょうが」
(『看取り医 独庵』P.13より)
扇橋屋は木場にある、江戸でも有数の材木問屋ですが、これまで薪割りなどやったこともなかった主人が、明け六つから始めて一日中薪を割っていると言います。
翌朝早速、扇橋屋を往診した独庵は、徳右衛門から、意外な話を打ち明けられました。
その後、独庵は、臓物に腫れ物があって治すことが難しいと思われる年老いた患者を往診して、高価な人参を与えました。そのことに対して。弟子の市蔵は不審に思っていました。
「不治の病に必要なものはなんだ」
「わかりませぬ」
「それは、希望だ」
市蔵は納得がいかないようだった。
(『看取り医 独庵』P.66より)
医術は仁術、患者を救うのが医者の道と考える、独庵の考え方が伝わってきます。
そんな独庵がいかにして、看取り医として終末期の患者に向かうのか興味深いシーンです。
独庵は、京都の山脇玄脩(やまわきはるなが)の門人となって医学を学び、長崎に一年遊学して、古方派(漢方)の医学だけでなく、西洋医学も心得ていた、と紹介されています。
また、仙台藩にいたとき、馬庭念流の指南役をつとめるほどの、剣の遣い手でもありました。
ちなみに山脇玄脩は、日本で初めて腑分け(人体解剖)を行った山脇東洋の養父で古方派の医学者です。
本書は、漢方と蘭方の知識を駆使した独庵の鮮やかな診療術だけでなく、馬庭念流の剣の冴えも味わうシーンが織り込まれていて、ユニークな痛快時代小説となっています。
四つのエピソードが収録されていていずれもオリジナリティがあってユニークですが、特に印象に残るのが「第三話 はやり風邪(春)」です。
コロナ禍に書かれた医療時代小説らしく、正体不明なはやり風邪が江戸の町を襲い、それに対して独庵が立ち向かう話です。
作品を通して、新型コロナウイルスの終息を願う、医師で作家である著者の思いも伝わって来ました。
看取り医 独庵
根津潤太郎
小学館 小学館文庫
2021年4月11日初版第一刷発行
カバーイラスト:ヤマモトマサアキ
カバーデザイン:山田満明
目次
第一話 墨堤の風(秋)
第二話 蔵(冬)
第三話 はやり風邪(春)
第四話 効く薬(夏)
本文272ページ
文庫書き下ろし。
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『看取り医 独庵』(根津潤太郎・小学館文庫)
『祇園「よし屋」の女医者』(藤元登四郎・小学館文庫)
『江戸の検屍官―北町同心謎解き控』(川田弥一郎・祥伝社文庫)