『お殿様の定年後』|安藤優一郎|日経プレミアシリーズ
歴史家の安藤優一郎さんの歴史読み物、『お殿様の定年後』(日経プレミアシリーズ)をご恵贈いただきました。
著者は、江戸時代の社会や経済、政治の仕組みを、最新の資料をもとに、現代人の視点でわかりやすく解説する歴史読み物を多数執筆されています。
お国替えや幕府要職者にまつわる人事異動の泣き笑いを紹介した『お殿様の人事異動』に続く、お殿様の様々な生き様を通して、江戸時代の歴史を読み解く、歴史読み物の第2弾です。
江戸時代は泰平の世。高齢化が急速に進む中、大名達は著述活動、文化振興、芝居見物などで隠居後の長い人生を謳歌した。権力に未練を残しつつもそれぞれの事情で藩主の座を降りた後、時に藩の財政を逼迫させながらもアクティブに活動した彼らの姿を通じ、知られざる歴史の一面を描き出す。
(『お殿様の定年後』カバー裏面の紹介より)
江戸時代、殿様にはな今で言う定年はありませんでしたが、家督を譲って隠居する場合は幕府の許可が必要でした。ただし、その時期は当人の意思に任せられていました。
みずから出処進退を決められましたが、彼らはどんな隠居生活を送っていたのでしょうか?
本書では、水戸藩主徳川光圀、大和郡山藩柳沢信鴻(のぶとき)、白河藩主松平定信、肥前平戸藩主松浦静山(まつらせいざん)、薩摩藩主島津重豪(しげひで)という、五名のお殿様の「定年」後のアクティブな活動を通して、知られざる江戸時代の姿に光を当てます。
隠居の身となってはじめて迎えた元日(安永三年〈一七七四〉)に、信鴻は次の一句を詠んでいる。
君恩に 先ず元日の 朝寝かな
藩主時代の元旦。信鴻は朝寝どころではなかった。正月元日から三日にかけて、江戸在府の藩主たちは江戸城に登城し、将軍に年賀の挨拶を行うことが義務付けられていた。同じくお殿様と呼ばれた旗本も同様だ。
(『お殿様の定年後』「第3章 大和郡山藩主柳沢信鴻――庭いじりと歌舞伎の日々」P.85より)
将軍綱吉の寵臣柳沢吉保の四男で大和郡山藩十五万石の大名だった信鴻は、安永二年(一七七三)に、かねてからの念願がかない隠居します。
信鴻はこの年の元日から『宴遊日記』と題した日記を書き始めます。
実際に隠居願を提出したのは九月二十五日で、十月三日に幕府から隠居を許されて、藩主の座を降り、長男の保光が継ぎます。
信鴻は五十歳になったばかりで、隠居した後も約二十年にわたって隠居生活を謳歌します。
信鴻は、儒学、漢詩、漢文の素養豊かで、文学や絵画に造詣が深く、和歌や俳諧にも通じる、屈指の教養人として知られていました。
本書では、上屋敷での窮屈な藩主としての日々から解放され、駒込下屋敷に移り住み、庭いじりと芝居見物に熱中し、余生を心ゆくまで愉しむ様子が興味深く紹介されています。
浅田次郎さんの『大名倒産』では、隠居した前藩主が多額の借金を残し、跡を継いだ若き藩主が財政再建に取り組む悲喜劇が描かれていました。
隠居が藩の財政を傾かせる要因となった事例は、本書でも何例も取り上げられています。元気すぎるアクティブな隠居は、藩にとって厄介な存在だったようです。
「定年後」のお殿様の素顔に触れられる、肩の凝らない読み物で、江戸への理解が深まり、時代小説を読む楽しみが広がる一冊です。
お殿様の定年後
安藤優一郎
発行:日経BP 日本経済新聞出版本部
発売:日経BPマーケティング
日経プレミアシリーズ
2021年3月8日1刷
カバー写真:アフロ
●目次
プロローグ 隠居という名の「定年」制
第1章 大名のご公務――江戸と国元の二重生活
1 隠居と家督相続のルール
2 堅苦しい江戸での生活
第2章 水戸藩主徳川光圀――水戸学を創った名君の実像と虚像
1 苦難の藩主時代
2 『大日本史』編纂に込めた光圀の狙い
3 水戸学の誕生
第3章 大和郡山藩主柳沢信鴻――庭いじりと歌舞伎の日々
1 六義園の整備と多彩な恵み
2 園の意外な活用法
3 芝居に熱中する
第4章 白河藩主松平定信――寛政の改革後の多彩な文化事業
1 栄光の前半生
2 文化事業を支えた絵師たち
3 文化財の保護に努める
4 隠居後の定信
第5章 肥前平戸藩松浦静山――『甲子夜話』執筆に捧げた余生
1 実らなかった猟官運動
2 下屋敷での隠居生活
3 『甲子夜話』執筆に込めた思い
第6章 薩摩藩主島津重豪――蘭癖大名による文明開化
1 薩摩藩の開化政策
2 隠居に追い込まれる
3 藩政への復帰
エピローグ 幕末の政局を動かした隠居大名
参考文献
本文222ページ
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『お殿様の定年後』(安藤優一郎・日経プレミアシリーズ)
『お殿様の人事異動』(安藤優一郎・日経プレミアシリーズ)
『大名倒産 上』(浅田次郎・文藝春秋)