『浜野晋介捕物控』|楠田稔|捕物出版
楠田稔(くすだみのる)さんの捕物小説集、『浜野晋介捕物控』オンデマンド本をご恵贈いただきました。
本書は、幕末の横浜を舞台にした連作形式の捕物小説です。
安政六年に開港場に決められてから、寒村だった横浜は急激に膨張し、文久の頃には、町の容貌をそなえて日増しに発展していました。
当時の横浜を舞台にした捕物小説では、白石一郎さんの『横浜異人街事件帖』や、島村匠さんの『幕末横浜事件録 菊の簪』が頭に浮かびます。
幕末期の横浜開港場を舞台とした連作捕物帳。昭和28年から2年余りに渡り、地元紙の神奈川新聞に断続的に掲載された全23編を、初の単行本化。著者の楠田稔氏は、小説に登場する横浜各地に関する記述方法などから、おそらく郷土作家であったと思われますが、生没年など詳細は不明なため、文化庁の裁定制度を利用して刊行しています。
(Amazonの内容紹介より)
浜野晋介は、三十前後の下ぶくれした色白の、どことなく気品のある美男子です。幕府の重臣浜野多門の嫡子ながら、絵筆を持つことが好きで、家督を弟に譲り、自分は絵筆一管たずさえて開化の横浜へ出てきた変わり者です。
雅号を青蛙(せいあ)と称して、ハマの風俗を浮世絵に描いて、在留外人の間に好評を博しています。米人ヘボン博士に英語を教わり、通訳ほどにしゃべることができ、柔術空手も奥義をきわめたマルチな才能をもっています。
野毛の町にある、源兵衛店という貧弱な長屋に暮らし、左隣りは晋介の絵のモデルをつとめる美しい娘お敏と病身の母が住み、右隣は、岡っ引の伊勢屋佐吉の住まいとなってました。
「なるほど、それで、佐吉親分が浮かない顔をしていた、というわけか」
と、晋介は、人なつこい微笑をみせた。
「へえ、どうも――」
佐吉は、折角のカステラも味のない物にしか感じなかった。
「しかし、親分、犯人の見当はついているじゃないか」
「へぇ」
佐吉は、ぽかんと晋介の顔をみた。(『浜野晋介捕物控』「矢場のお市」P.8より)
晋介は、しかつめ顔をしている佐吉を見かけて、今抱えている難しい事件の話を聞き出しました。
「子の神様」の境内にある矢場で人気の矢返し女のお市が何者かに殺されたが、お市を目当ての男たちは何人もいても、犯人の見当がつかないということでした。
「将軍様は、十万ポンドとか出すんですって」
晋介は、後の机から、一枚の紙を取りました。横文字が一杯刷ってあります。
「それ、何ですの」
「あちらの瓦版さ。ジャパン・ヘラルドってところから出しているニュース・ペーパーっていうんだが――」
「なんだか、ちっともわかりません、ちんぷんかんぷんで」(『浜野晋介捕物控』「ジャパン・ヘラルド事件」P.163より)
類まれな推理力を発揮する晋介の名探偵ぶりもさることながら、本書の面白さは、異国情緒豊かで、開化を感じられる土地柄や風俗が物語の中に巧みに織り込まれているところが挙げられます。
編集部注によると、著者について、生没年、著作権継承者不明で、本書は、文化庁の裁定制度を利用してという、珍しいスタイルでの刊行となっています。
この作品集の発掘の過程について、巻末の戸田和光さんによる「書誌メモ」に詳しく書かれています。
作者の正体について、ミステリ書誌研究の愛好者の戸田さんさえもわからない(有力な仮説を提示していますが)というのも一種のミステリで面白さを感じました。
有力ローカル紙の「神奈川新聞」に掲載されただけで、単行本未刊行の作品が、65年以上の時を経て刊行されたのは、オンデマンド出版という形態に加えて、関係者の熱意と偶然の産物のように思われます。
浜野晋介捕物控
楠田稔
捕物出版
2021年2月20日 オンデマンド版初版発行
表紙装画:横浜港崎廊岩亀楼異人遊興之図 一川芳員図
「古登久爾婦里」収載
国会図書館デジタルコレクション
目次
矢場のお市
ねこ
八王寺鼻の刻文
にくの毒
明神山の狂人
異人館の狼藉者
闇路
異人のゆくえ
おじさん
林中の殺人
呼出状
猿の死
祝賀会の夜の出来事
闇の声
象の罪
ジャパン・ヘラルド事件
邪恋の果
語学教授
お札のお下り
百人比丘尼
靴跡
浮気娘
賠償金の行方
書誌メモ 戸田和光
本文265ページ
戸田和光さんの書誌メモによると、
本書収録作品は、すべて「神奈川新聞」に初出掲載されたもの。
昭和28年9月13日から昭和30年11月26日の間、不定期に掲載。
■Amazon.co.jp
『浜野晋介捕物控』オンデマンド本(楠田稔・捕物出版)
『横浜異人街事件帖』(白石一郎・文春文庫)
『幕末横浜事件録 菊の簪』(島村匠・日経文芸文庫)