『はぐれ又兵衛例繰控(一) 駆込み女』|坂岡真|双葉文庫
坂岡真(さかおかしん)さんの文庫書き下ろし時代小説、『はぐれ又兵衛例繰控(一) 駆込み女』(双葉文庫)をご恵贈いただきました。
著者は「照れ降れ長屋風聞帖」、「鬼役」など、多くの人気シリーズをもつ、文庫書き下ろし時代小説のトップランナーの一人。
当サイトでは、シリーズ作品の多くをカバーできなくて、取り上げることが少なく心苦しく思っていました。
これを機会に、作品の魅力を紹介していきたいと思います。
南町奉行所で例繰方の与力を務める平手又兵衛は周囲から「はぐれ」と呼ばれる変わり者。過去の類例を完璧に諳んじるなど驚異の記憶力で仕事はそつなくこなすが、厄介事には無関心。だが、奉行所へ駆けこんできた女郎の死をきっかけにある記憶を甦らせた又兵衛は、幼馴染みで鍼医者の長元坊ともども悪党退治に乗りだす――。怒りに月代朱に染めて、許せぬ悪を影裁き。時代小説界の至宝、坂岡真が贈る、令和最強の新シリーズ開幕!
(カバー裏の内容紹介より)
主人公の平手又兵衛は、南町奉行所例繰方与力を務めています。
齢は三十八になりますが、勝手気ままな独り身です。
例繰方とは、吟味の段階でほ定まっている刑罰をダメ押しで確定をおこなったり、御沙汰の下書きを推敲して形を整えたり、老中への上申書にわかりやすく類例を添えたりと、地味なお役目です。
何千にもおよぶ類例をすべて記憶していて、例繰方の役目をそつなくこなしますが、仲間をつくらぬ「はぐれ」で、周囲からは「くそおもしろうもない堅物」と目されていました。
そんな又兵衛を、小者の甚太郎だけは敬意を込めて、「鷭(ばん)の旦那」と呼んでいます。鷭は夏の水面に浮かぶ鳥で、身を覆う羽毛は黒くて頭だけが赤いのですが、又兵衛も悪行を見かけて怒った時、月代が真っ赤に染めたからです。
「訴えたのはみすぼらしい身なりのおなごでな、名はあさと申す。名だけを漏らし、門前で力尽きてしもうたとか」
「ほう、死んだと」
「さよう。右手に文を握りしめておってな、文には『さぎんじにころされる』と拙い字で綴られておったらしい」(『はぐれ又兵衛例繰控(一) 駆込み女』P.10より)
南町奉行所では、昨晩遅くに駆込んだ女が死んだことで、年番方与力と吟味方与力が立ち話をしているのを、例繰方の部屋から出てきた又兵衛が耳に留めました。
甚太郎が耳に挟んだことによると、死んだあさは、芝高輪の車町の隠売所で剃刀の左銀次が囲っていた女郎で、左銀次には品川宿の裏を仕切り、十手も預かる太刀魚の茂平という元締めが後ろ盾になってると言います。
甚太郎は、茂平ら悪党どもの懲らしめないのかと問いますが、又兵衛は懲らしめるのは例繰方の役目でないと一蹴しました。
ところが、中間を先に帰して一人になった又兵衛は、常盤町で「針灸揉み治療」を営む幼馴染みの長元坊を訪ねました。
「長助、あいからず暇そうだな」
親しげにはなしかけると、男はだらしない顔を向けてくる。
「又か。おれを長助と呼ぶな。長元坊と呼べ」
長元坊は隼の異称、鼠や小鳥を捕食するが、鷹狩りには使えない。人の意のままにならぬ猛禽の異称を、元破戒僧の藪医者は気に入っているらしい。
「長助は長助だ。ほかに呼び名はなかろう」
「この面で長助じゃ笑われる。幼馴染みでも許さねえぞ、長元坊と呼べ」
「わかったよ、長元坊」(『はぐれ又兵衛例繰控(一) 駆込み女』P.22より)
又兵衛は、昔から腕っぷしの強い長元坊の力を借りて、あさが駆込んだ事情の探索を始めました……。
奉行所内では、「はぐれ」と呼ばれる変わり者の又兵衛が、奉行所が裁けない悪に対して、内に秘めた正義感を爆発させて悪を懲らしめる、痛快な時代小説シリーズです。
痛快なアクションシーンばかりでなく、江戸の情緒や史実も巧みに物語に織り込んでいるのも、魅力の一つです。
物語、文政四年(1821)二月が舞台となっています。
当時、「ダンボ」と名付けられた質の悪い風邪が流行っていたそうですが、作中でも南町奉行所の与力や同心たちが布切れで鼻と口を覆い、たがいの間合いを遠く取りながら喋っていた、と描写しています。(さながらコロナ禍のマスク姿を想起させられます)
はぐれ与力と海坊主のような容貌魁偉の針灸医の強力なバディによる、問答無用の悪党退治に胸がスッとします。
はぐれ又兵衛例繰控(一) 駆込み女
坂岡真
双葉社 双葉文庫
2020年10月18日第1刷発行
カバーデザイン:鳥井和昌
カバーイラストレーション:村田涼平
●目次
駆込み女
明戸のどろぼう
負け犬
本文323ページ
文庫書き下ろし
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『はぐれ又兵衛例繰控(一) 駆込み女』(坂岡真・双葉文庫)
『照れ降れ長屋風聞帖(一) 大江戸人情小太刀 〈新装版〉』(坂岡真・双葉文庫)
『鬼役(一)』(坂岡真・光文社時代小説文庫)