『かちがらす 幕末の肥前佐賀』
植松三十里(うえまつみどり)さんの長編歴史小説、『かちがらす 幕末の肥前佐賀』(小学館文庫)をご恵贈いただきました。
幕末の肥前佐賀藩の藩主鍋島直正(閑叟)は、十一代将軍家斉の娘・お盛を正室にし、薩摩藩の島津斉彬は従兄にあたり、徳川家とも島津家とも近い縁戚となっています。
藩の軍事と工業の近代化を進めたことにより、「薩長土肥」の一角となり、明治維新の礎を作った人物です。
一方で、イギリスの外交官アーネスト・サトウからは、日和見で「二股膏薬さん」と散々な評価を受けていました。
実際にはどのような人物だったのでしょうか。
若くして佐賀藩主となった鍋島直正。藩は長崎警備を勤めたが、外国船の侵入が増え、清国が阿片戦争でイギリスに敗れたことに危機感を覚えていた。直正は、日本を欧米列強の属国にさせないために、幅広く人材を登用し、反射炉の建設、鉄製大砲の鋳造、蒸気船の建造といった難事業に藩を挙げて挑んだ。苦難の末に獲得した軍事力は、幕府側倒幕派双方から恐れられ、求められた。直正は、〈幕府側と倒幕派との内乱を回避する〉という思いを諸大名や公家に伝えていった。島津斉彬、井伊直弼、江川坦庵をはじめ多士済々の人物と交流し、近代日本の礎を作った名君を描く。
(本書カバー裏の紹介文より)
文政十三年(1830)三月、家督を継ぎ佐賀藩主に就いたばかりの、十七歳の鍋島直正は、参勤交代で帰国しました。
佐賀藩は、福岡藩と隔年交代で、幕府から長崎港の警備を命じられていました。そのため、藩主の江戸在勤は、二年間で百日と定められていました。丸々一年ずつ、江戸と国元で暮らす多くの他藩と比べて、圧倒的に江戸在勤の期間が短かったです。
正室は江戸屋敷で暮らすことになっていたので、夫婦が顔を合わせられるのも二年で百日。あとの1年9カ月は、佐賀と江戸とで離れ離れに暮らしていました。
佐賀城に着いた直正は、天守台に登り、城内から城下町、周囲の広大な田園や遠くの山々まで一望しました。
天守台の石段を降りようとした時、古川松根が目の前の木の枝を指差した。
「おや、変わった鳥が」
鳩ほどの大きさで、江戸では見ない鳥だった。おおむね漆黒だが、翼や尾がつややかな藍緑に輝き、腹が真っ白だった。
それが枝から離れ、直正の目と鼻の先を飛んだ。羽ばたくと、広げた翼の羽根が白く透き通り、思いがけないほど白黒の対比が鮮やかだった。
(『かちがらす 幕末の肥前佐賀』P.18より)
タイトルになっている、かちがらすが、国入りした直正を歓迎するかのように、現れました。
かちがらすは、カチカチとなくことから呼ばれ、勝つという言葉から武家には縁起がいいとされます。別名、かささぎとも呼ばれ、もとは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に肥前に連れてこられて、野に放たれたものだといいます。
多額の借金を抱えて藩政改革を試みる直正に、実父で隠居した先代藩主の斉直をはじめ、重臣たちがこぞって反対しました……。
直正は、いかにして幕末の混乱の中で、独自の路線を歩みながら、人材を登用し、藩の近代化を進めていったのか、ドラマチックに描写されていきます。
本書は、明治維新150周年を記念して、出版された作品です。
あとがきによれば、著者と佐賀との関りは、2002年に「九州さが大衆文学賞」佳作に入選し、2013年に佐賀藩の反射炉建造を描いた長編小説『黒鉄の志士たち』を刊行されています。
また、司馬遼太郎さんの短編集『酔って候』に、倒幕に加わらず、藩政改革に取り組んだ鍋島閑叟を描いた「肥前の妖怪」があります。
かちがらす 幕末の肥前佐賀
植松三十里
小学館 小学館文庫
2020年11月11日 初版第一刷発行
カバーデザイン:bookwall
カバーイラスト:村田涼平
解説:村井重俊(週刊朝日編集委員)
●目次
一章 佐賀城
二章 新しき技
三章 鉄を溶かす
四章 盟友たち
五章 攘夷決行
六章 瓦解の時
あとがき
解説
本文396ページ
単行本『かちがらす 幕末を読みきった男』(2018年2月、小学館刊)を加筆改稿して、副題を変更して文庫化したもの。
★単行本刊行時の紹介(「時代小説SHOW」より)
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『かちがらす 幕末の肥前佐賀』(植松三十里・小学館文庫)
『黒鉄の志士たち』(植松三十里・文藝春秋)
『新装版 酔って候』(司馬遼太郎・文春文庫)