甲府では、常磐ホテルに泊まりました。
広大な日本庭園と囲碁や将棋の対局場所として有名なんだそうです。
(宿泊者向けの館内ツアーに参加して知りました)
重大なタイトル戦の終盤で対局場所として選ばれることが多く、「決着の常磐ホテル」と呼ばれ、館内には歴代のタイトル戦の対局写真や、棋士たちの揮毫など戦いの足跡が見られる「名人の小径」というギャラリーもあります。
近いのうちに、藤井聡太二冠のタイトル戦が行われ、「名人の小径」に封じ手が飾られるかもしれませんね。
そうしたら、また訪れてみたい、ちょっとミーハーな気分になりました。
ふじさんミュージアムは、2013年、富士山は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録されことを機に、富士吉田市歴史民俗博物館をリニューアルオープンしたミュージアムです。
世界文化遺産の中核をなす富士山信仰に関する資料をメインに展示されています。
富士講について学び、ミュージアムショップで、『「富士山道しるべ」を歩く 改』を入手しました。
万延元年(1860)に刊行された、江戸から富士山へ向かう道(富士山道)のガイドブック『富士山道しるべ』に、現在の地図を添えたり、豊富な図版を加えて土地の説明やルートガイドを掲載したりして、富士山道を歩く人にピッタリです。
ミュージアムから再び路線バスに乗り、北口本宮冨士浅間神社へ。
世界文化遺産「富士山」構成資産の一つで、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天孫彦火瓊々杵尊(てんそんひこほのににぎのみこと)、大山祇命(おおやまづみのかみ)を御祭神とする神社です。
参拝した後、御師旧外川家住宅(おしきゅうとがわけじゅうたく)を見学しました。
御師とは、富士山への信仰登山をする人々に自らの住宅を宿坊として提供し、登山の世話を行っていました。単に案内をするだけでなく、祈祷を行い、寺院や神社に参拝する人々と神仏の仲立ちをする宗教者も兼ねていました。
金鳥居から南に御師町があり、最盛期には86軒の御師の宿坊が立ち並んでいたそうです。
ちなみに伊勢詣の世話役は「御師」と書いて、「おんし」と読みます。
富士山を描いた歴史時代小説というと、嶋津義忠さんの『起返の記 宝永富士山大噴火』が思い出されます。
宝永四年の富士山大噴火と復興までの長い道のりを描いた長編小説です。
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『起返の記 宝永富士山大噴火』(嶋津義忠・PHP研究所)