『光秀の選択』
鈴木輝一郎さんの長編歴史小説、『光秀の選択』(毎日新聞出版)を入手しました。
大河ドラマ「麒麟がくる」のおかげで、明智光秀を描く歴史時代小説が多く刊行されて、時代小説ファンとしては、喜ばしいばかりです。
光秀本のリストとブックガイドを作りたいという願望を持ちながら、なかなか実現できずに歯がゆく思っています。
本書は、『金ケ崎の四人』など戦国喜劇「四人シリーズ」で、信長と光秀を描いてきた著者待望の新刊です。
「本能寺の変」の10年前。
織田か、足利が。自由か、安定か。
足利義昭上洛(1568)から槇島城の戦い(1573)へ、
信長と光秀の迷走と決断!
牢人上がり、一世一代の大博打。
老練・光秀の執念を描き切る。
(本書カバー帯の紹介文より)
元亀元年(1570)九月、浅井長政・朝倉義景軍が小谷城を脱出して、琵琶湖西岸を南下して、京に向かい、逢坂の席を越えて山科に至っていました。
そのとき、明智光秀は摂津石山本願寺攻めの陣中にいました。
光秀の二人の主君、十五代将軍足利義昭と織田信長は、本陣にいて対立をしていました。
「上様、いたが過ぎますな」
義昭の謀略で信長の重臣・森可成が戦死し、そして京都が落ちようとしている。なにより、織田全軍が浅井・朝倉軍と、石山本願寺城一向一揆・三好三人衆とにはさみ討ちされようとしている。織田存亡の危機なのだ。
「信長、忘れるな。『余をたすけよ』と命じた者は日本全国におる」
(『光秀の選択』 P.23より)
義昭は、信長の本陣にありながら、浅井長政・朝倉義景の軍に織田軍の背後を襲うように命じていました。
義昭は、戦国最高の交渉の名手として描かれています。
当年五十五歳。普通なら隠居する年の光秀は、主君の足利義昭と給料をもらっている織田信長の間で、揺れながらもある決断をします。
ドラマの影響からか、当時の光秀は四十歳ぐらいと思っていましたが、本書では「当代記」により、享年を六十七歳としているとのこと。
老人の域にはいりかけた年頃である「初老」は、かつて、太平洋戦争前くらいまで、40歳を指していたそうですが、2010年にNHK放送文化研究所が行なったアンケート調査によると、平均57歳(男性が56歳、女性が58歳)だったそうです。
私の感覚も、アンケート調査の結果に近いと思っています。
さて、老年に差し掛かった光秀がいかなる心境のもと、どのような選択をするのか、興趣を覚えます。
光秀の選択
鈴木輝一郎
毎日新聞出版
2020年8月5日発行
単行本書き下ろし
装画:森美夏
装丁:鈴木正道
●目次
序章 対立
壱章 合流
弐章 志賀
参章 槇島
末章 懸崖
本文286ページ
■Amazon.co.jp
『光秀の選択』(鈴木輝一郎・毎日新聞出版)
『金ケ崎の四人』(鈴木輝一郎・毎日新聞出版)