『へんぶつ侍、江戸を走る』
亀泉きょう(かめいずみきょう)さんの長編時代小説、『へんぶつ侍、江戸を走る』(小学館)を紹介します。
亀泉さんは、1984年京都市生まれの新人作家で、本書は著者のデビュー作になります。
タイトルの「へんぶつ侍」は、「へんぶつ=変物」で、変わり者、変人といった意味ですが、本書の主人公明楽久兵衛(あけらきゅうべえ)を見ていると、趣味(好きなもの)を一心に追い、人生で最も大切なものと考える「オタク侍」といった意味合いもあるように思われます。
九代将軍家重の御駕籠之者組に籍を置く明楽久兵衛は、剣の腕は一級品。だが、深川の人気芸者・愛乃の大首絵を蒐集し、江戸の町の下水を熟知する「へんぶつ」ぶりを発揮して、周囲からは「大供」呼ばわりされていた。
そんなある日、愛乃の急死を知ったことから事態は急変。気がつけば、幕閣たちに追われる身になっていた。
(本書カバー帯の紹介文より)
久兵衛は、将軍家重の駕籠担ぎを役目とする、御駕籠之者(おかごのもの)をつとめています。
御駕籠之者の家禄は二十俵二人扶持で、世襲制でしたが、身長が低い者は駕籠を担ぐのに支障があるため、背の高い養子を取って家を継がせることもあったといいます。
二十五歳の久兵衛は、六尺(約百八十センチ)もある長身で、剣をとっては道場で首席格という名手でありながら、「へんぶつ」として知られていました。
子供の頃、下水に執心して江戸中を歩き回って下水の繋がり具合を地図に写しとることに凝っていました。大人になっても子供のような夢中に一途のことに凝ることから、「大供」とも呼ばれていました。
目下の趣味は、深川の人気芸者・愛乃(えの)の追っかけで、彼女の大首絵を全種類持っている大ファンです。
愛乃の唄いを楽しむつもりで、お頭と一緒に深川にでかけた久兵衛は、愛乃が亡くなったことを知りました。
「あーあ。初めてだよ、こんな酔狂なすだれ注文されたのは」
愛乃の死はまだ巷に知れていないので、津ねは普段どおりに憎まれ口を叩いてくる。
「ねえ、覚えてる? 久兵衛さまが下水道に夢中だった時分、地図を片手に江戸中歩き回っちゃあ調べてたの、あたしよく付き合ってあげたでしょう」
堪えきれぬとばかりに、ケラケラ笑い出した。
「そんで今は芸者さんだ大首絵だ、ってさ。凝り性も相当なもんだね。つける薬がない」(『へんぶつ侍、江戸を走る』P.42より)
久兵衛は、愛乃の弔いに、大首絵に漢詩を添えた図柄ですだれを発注しました。すだれ屋の娘で久兵衛の幼馴染みの津ねは、出来上がったすだれを届けに来ました。
久兵衛はこのすだれを将軍家重の御駕籠の御簾に付け替えたことから、幕閣を揺るがす大きな事件へと発展していきました。
宝暦八年(1758)三月二十四日から始まり、1週間あまりに凝縮されたミステリー活劇で、美濃郡上藩金森家で起きた郡上一揆にもかかわっていくこととなり、スケールの大きな物語となっています。
巨悪による執拗な追跡に対して、江戸の町を逃走する久兵衛にワクワクさせられます。
平易で疾走感のある文体ながら、要所で史実や江戸の知識も織り込まれていて、安心して読めるエンタメ時代小説です。
次の作品も読んでみたくなりました。
へんぶつ侍、江戸を走る
亀泉きょう
小学館
2020年8月12日初版第1刷発行
単行本書き下ろし
装幀:bookwall
装画:山本祥子
●目次
なし
本文253ページ
■Amazon.co.jp
『へんぶつ侍、江戸を走る』(亀泉きょう・小学館)