『比ぶ者なき』
馳星周さんの長編小説、『比(なら)ぶ者なき』(中公文庫)を紹介します。
本書は、大化の改新を主導した中臣鎌足(藤原鎌足)の子で、奈良時代初めに朝廷で権力を握った藤原不比等(ふひと)の半生を描く歴史時代小説です。
万世一系、天孫降臨、聖徳太子――すべてはこの男がつくり出した。藤原史(ふひと)(のちの不比等)が胸に秘めた野望、それは「日本書紀」という名の神話を創り上げ、天皇を神にすること。そして自らも神の一族となることで、永遠の繁栄を手にすることであった。古代史に隠された闇を抉り出す会心作。
(カバー裏の内容紹介より)
持統三年(689)四月。草壁皇子が薨去し、母である大后の鸕野讃良(うののさらら)、皇子の正妃阿閇皇女(あへのひめみこ)は、悲しみに浸っていました。
そこに登場したのが、中大兄(なかのおおえ)の腹心だった鎌足(かまたり)の子で、皇子に舎人として側に仕えていた史(ふひと。後の藤原不比等)。
先の大王・大海人(おおあま)皇子に疎まれて不遇な時代を過ごしていた史に、大后は草壁皇子の佩刀「黒作」を託して、草壁と阿閇の息子で七歳の軽(かる)を王位に就けるよう、盟約を結びました。
史は、軽皇子を王座に就けるために、中大兄の皇女である大后が玉座に就き、高市(たけち)皇子を太政大臣に任命するように進言しました。
ところが、この時代、玉座は親から子ではなく、兄から弟に譲位されるのが一般的でした。
「待つだけでは望みのものは得られん。積極的に動かなくてはならない。それはみなも承知しておろう」
「女帝からその息子への譲位となると、反対する者が数多出てきます」
「そうだ。その者たちの口を封じねばならん」
「神話ですね。父が申しておりました」
「そうだ」
史はうなずきながら、養父、田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の言葉を思い出した。(『比ぶ者なき』P.16より)
史は、幼少の頃より、百済からの渡来人で文官系の一族、田辺史氏に預けられました。渡来人は知の伝達者であり、史は律令、土木、仏教など大陸で生まれたあらゆる知識を彼らから受け継いでいました。
そして、百済にも新羅にも高句麗にも建国にまつわる神話があり、神話はその国の民を団結させる力があるばかりでなく、それぞれの国の王朝にその国を統べる根拠を与えるために作られたことを知っていました。
大后が玉座に就き、孫の軽にその座を譲るという、普通なら無謀に見える譲位に、だれにも文句を言わせない正当性を付与するために、神話を作ることを決意しました。
しかも神話を作るだけでなく、即位を進め大王の権威を高めるために律令の制定、柿本人麻呂への挽歌の依頼、新益京(あらましのみやこ)への遷都など、次々と手を打っています。
新益京とは、藤原京とも呼ばれ、現在の奈良県橿原市にあった、日本で最初の条坊制を敷いた都になります。
史の働きにより、大后は即位して持統天皇となり、軽皇子も後に文武天皇となりました
史(不比等)は、阿閇皇女に仕え寵愛されている、県犬養道代(あがたのいぬかいのみちよ。後の橘三千代)をパートナーに得て、朝廷内で成り上がっていきます。
「今すぐ、そなたと契りを結ぶつもりはない。もし、孕んでしまったら、宮子の子に嫁がせるには年増になってしまう。時機を待つ。その間に、そなたの夫はどこか遠くへ送ってしまえばいい」
「わたしは史様の妻になるのですか」
「今すぐではない。軽皇子様が成長なされ、即位する準備が整ったら、吾とそなたのことも考えよう」(『比ぶ者なき』P.62より)
物語では、政争や政治体制の変遷が、圧倒的なダイナミズムをもって描かれています。
夫のある身でありながら、「史様と同じ夢が見たい」という野心ギラギラな道代のファム・ファタールぶりで、目を釘付けにされました。
「吾から、そなたに褒美があるのだ」
軽は懐から丁寧に折り畳んだ紙を取り出した。
「広げてみよ」、目
史は受け取った紙を広げた。そこにはこう記されていた。
不比等(『比ぶ者なき』P.202より)
父鎌足は中大兄より藤原の姓を賜り、不比等は「等しく比ぶ者なき」と軽皇子から名を賜りました。
本書で、途方もない野心を持った藤原不比等を知り、初めて古代史にロマンを感じ、少し身近に感じられました。
武智麻呂、房前、宇合、麻呂の藤原四兄弟と、不比等が唯一恐れた男、長屋王の対立を描いた、著者の古代歴史時代小説第2弾、『四神の旗』も読んでみたくなりました。
比ぶ者なき
著者:馳星周
中公文庫
2020年3月25日初版発行
『比ぶ者なき』(2016年11月、中央公論新社刊)を文庫化
カバーイラスト:チカツタケオ
カバーデザイン:bookwall(村山百合子)
●目次
比ぶ者なき
馳星周×里中満智子(マンガ家) 古代ロマン対談
本文589ページ
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『比ぶ者なき』(馳星周・中公文庫)
『四神の旗』(馳星周・中央公論新社)