廻り道 手蹟指南所「薫風堂」|野口卓
野口卓さんの時代小説シリーズの最新刊、『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』(角川文庫)を紹介します。
本書は、手蹟指南所(手習所、寺子屋)の若き師匠雁野直春の教育にかけた日々を描く、青春人情小説シリーズの第五弾で、完結編となります。
直春は、川柳「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の「かねやす」より北に十町(約1,090メートル)以上離れている駒込片町で、手蹟指南所「薫風堂」を二年前に開設しました。
「薫風堂」の師匠・雁野直春は、稔書堂の北斗屋庄兵衛に依頼された書物の執筆に専念しながら、新しい年を迎えた。手習子たちとともに書初めを終えた直春は、意外な人物の訪問を受ける。それは、婚姻を約束しながら果たせずにいた石川家の美雪の母、阿久里だった。旗本の姫と浪人である直春との叶わぬ夢は、阿久里の来訪で終わりを告げるのか。さらい、直春に因縁ある実父から突然の呼び出しが――。
(カバー裏の内容紹介より)
本書では、気になる直春の恋の行方が描かれています。
二十歳になるまで会ったことのなかった実父と対面して、千二百石の旗本石川家に婿入りするように命じられますが、直春は父の家の養子になったうえでの婿入りを拒否しました。
その後、石川家の娘・美雪と知り合い、互いに惹かれあうようになり、婚姻の約束をしました。実父の振る舞いを許せない直春に、美雪は家を捨てて手習所師匠の妻となる覚悟を述べますが、旗本の姫にそれができる訳がなく、心身に異常をきたし、直春と会うこともかなわなくなってしまいました。
美雪の母、阿久里が直春を訪ねたことで、事態は進展します。
「紆余曲折はありましたが、二年のあいだ廻り道をした末に、ようやく原点に立ち返れたという気がします」
「原点と申されますと」
「手蹟指南所『薫風堂』の師匠です。忠兵衛どのから手習所を引き継ぎながら、なにかと振り廻されてばかりでしたが、ようやく腰を落ち着けて子供たちを教えることができるようになりました」
「振り廻されたとおっしゃるが、直春先生は常に子供たちを第一に考えて来られましたよ。それが一番わかっているのは、子供たちじゃないですかな」(『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』P.127より)
一方で、直春は、書肆・稔書堂の北斗屋庄兵衛と教育について意気投合し、手習所とその師匠のあるべき姿について、自身の理想の想いを籠めた教育論の原稿を執筆していました。
実際の執筆に当たって、それまで手習子を指導しながら、思い付いた事柄や使えそうな見出しを控えていました。
例えば見出しに関しては、次に出すのはほんの一部だが、このような控えがある。
〈手習所は手習子のものと心得よ〉
〈学びの基本は礼節と心得よ〉
〈子供は厭きやすきものと心得よ〉
〈楽しく学べることを最重要と心得よ〉
〈子供の持ち味を活かすことを優先せよ〉
〈棒満は師匠の負けと心得よ〉(『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』P.64より)
どの見出しも本の書名の『手習之心得』と連動しているが、いずれも、現代にも通じる教育の要諦ともいうべきものです。
ちなみに「棒満(ぼうまん)」とは、騒いだり悪戯をしたり、言うことを聞かない手習子に師匠が科す罰のこと。
水を満たした椀を掌に載せて立ち、別の手に火を点けた線香をもって、それが燃え尽きるまでじっとしていなければならなく、線香が燃え尽きるまで、およそ四半刻(約30分)という相当きついものだそうです。
本書の読みどころの一つは、江戸の手習所とその師匠、手習子(生徒)たちの日常をリアルに綴られている点です。そして物語を通じて、直春の手習子たちの人間的な成長が描かれていて、手習所の師匠とはどうあるべきかが伝わってきて、感動を覚えます。
●書誌データ
『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』
著者:野口卓
発行:KADOKAWA 角川文庫
令和2年2月25日 初版発行
文庫書き下ろし
301ページ
カバーイラスト:村田涼平
カバーデザイン:盛川和洋
●目次
出直し
灯台下暗し
木の芽雨
さまざまな春
廻り道
■Amazon.co.jp
『手蹟指南所「薫風堂」』(野口卓・角川文庫)(第1作)
『三人娘 手蹟指南所「薫風堂」』(野口卓・角川文庫)(第2作)
『波紋 手蹟指南所「薫風堂」』(野口卓・角川文庫)(第3作)
『明暗 手蹟指南所「薫風堂」』(野口卓・角川文庫)(第4作)
『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』(野口卓・角川文庫)(第5作)