落花狼藉|朝井まかて
朝井まかてさんの長編時代小説、『落花狼藉』(双葉社)を紹介します。
本書は、日本橋葺屋町の近くに吉原遊郭(元吉原)を創設から、浅草寺裏の日本堤に遊郭(新吉原)を移転するまでの、40年間を描いた、公許遊郭吉原の黎明期を描いた時代小説です。
同時代を描いた作品では、隆慶一郎さんの伝奇時代小説『吉原御免状』が思い出されます。
『落花狼藉』というタイトルに入っている「狼」の文字が気になり、なんで「狼藉」という言葉を調べてみました。
「狼藉」は『史記 滑稽列伝』を出典としています。「藉」は雑然と敷く、踏むという意味があり、狼が寝るときに雑然と草を敷いた様子から、物が散らかっている様子を表したそうです。
戦国の気風が残る、江戸時代初期。葦の生う辺地に、ひとつの町が誕生した。徳川幕府公認の傾城町、吉原だ。公許は得ても、陰で客を奪う歌舞妓の踊子や湯女らに悩まされ、後ろ楯であるはずの奉行所には次々と難題を突きつけられる。遊女屋の女将・花仍は傾城商いの酷と華に惑い、翻弄されながらも、やがて町の大事業に乗り出す――。
(カバー帯の説明文より)
主人公は、幕府に嘆願して公許の遊郭・吉原を創設した、庄司甚右衛門の妻で、遊女屋西田屋の女将の花仍(かよ)。
遊女屋の女将というと、遊女をもののように扱い、襤褸になるまで客を取らせる非情な女性を想像しますが、花仍はそういったイメージに程遠い、情に厚く、娘気分がなかなか抜けない、そのくせ喧嘩っ早い、愛すべき、玄人になりきれない女将です。
「わっちが陸尺から杖を奪って、お渡ししたのでありいすよ。姐さんはさっとそれを取って、こう、構えなすって」
若菜はなぜか、自慢げな口ぶりだ。それを聞いて、姉格の遊女らが「まあ」と呆れ半分の笑声を立てた。
「姐さんはほんに、外に出ると元気になるお方でありいすなあ」
「わっちも、一見してみたかったこと。内所にいなさる時は何とも頼りないと言おうか、火鉢の前ではちいつもつまらなそうに、手持ち無沙汰に坐っているじゃありいせんか」
「そうそう、まるで役に立っていない。茹で過ぎた青菜のごとく、手ごたえのない風情でありいす」(『落花狼藉』 P.21より)
さて、物語は、日本橋の外れに傾城町、吉原を創設した頃から始まります。吉原は、隠れて色を売る、歌舞妓(女たちが男装で踊りながら今様を唄い、語る芝居)の踊子たちや、風呂屋の湯女たちに悩まされていました。
大坂の陣の数年後で、牢人者が多くて荒廃した世情の中で、甚右衛門は、傾城町を築くことで、盗みや横領を防ぐことができ、娘を勾引したり端金で養女にして遊女奉公に出したり、牢人や悪党など不逞の輩が客として潜り込んだ場合届け出ることができる、と江戸町奉行に願い出ました。
「その通りだろう。何を考えて稽古をつけてやってのか知らないが、土台はお前さんのせいさ。可愛がり過ぎなんだよ。甘やかすからだ」
若菜には吉原一の遊女になってもらいたい。それは、花仍が密かに持っている願いだ。
遊女はただ脚を開くだけじゃない。見目麗しく素養が深く、そして歌舞妓の踊子に負けぬ諸芸に秀でる。であればこそ、客が遊女を選ぶのではなく、遊女が客を選び取る。
そんな奇跡が起こるはずなのだ。吉原はこの日ノ本で唯一の、傾城町になる。
(『落花狼藉』 P.117より)
花仍のお目付役で教育係をつとめる遣り手のトラ婆がいい味を出していて、時には母親代わりの役割も演じていて、得難いキャラクターです。
時には暴走することもありますが、女将離れした考え方の花仍の進撃は続きます。
そしてそれは、傾城町吉原に独自の文化を生み、男たちを惹きつけて止まない悪所を築いていきました。
「来年から、夜の営業が禁止になる」
甚右衛門にいきなり切り出されて、花仍は二の句が継げなくなった。
「夜見世ができなくなる」
甚右衛門のかたわらに坐る三浦屋も眉根を寄せ、頭を横に振る。
「いきなりの御指図でした。藪から棒だ」
下座に控える清五郎は押し黙り、目を伏せたままだ。
「そんな。昼見世だけでは、とても立ち行きません」
(『落花狼藉』 P.199より)
甚右衛門と遊女屋三浦屋は奉行所に呼び出され奉行より、夜の営業を禁じられました。夜が売り上げの八割に上るという見世も少なくなく、中小の見世では立ち行かなくなります。この苦境に甚右衛門と花仍は……。
吉原での人々の営みを描いた時代小説は少なくありませんが、本書は、ドラマ性豊かにさまざまな事件を盛り込みながら、花仍の成長とともに吉原の歴史と発展を綴っていきます。
●目次
一 売色御免
二 吉原町普請
三 木遣り唄
四 星の下
五 湯女
六 香華
七 宿願
八 不夜城
●書誌データ
落花狼藉
著者:朝井まかて
出版社:双葉社
2019年8月25日 第1刷発行
装画:黒川雅子「京都 嶋原」
装幀:岡田ひと實(フィールドワーク)
328ページ
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『落花狼藉』 (朝井まかて・双葉社)
『吉原御免状』 (隆慶一郎・新潮文庫)