『梅と水仙』|植松三十里
植松三十里(うえまつみどり)さんの長編小説、『梅と水仙』(PHP研究所)を紹介します。
本書は、新五千円札の肖像に決まり注目される、津田塾大学の創設者津田梅子とその父・仙の波瀾万丈の生涯を描いた歴史時代小説です。
佐倉藩士として生まれた津田仙は、幕府通詞として福沢諭吉らとともにアメリカへ派遣されるなど将来を目されていたが、幕府瓦解後は西洋野菜の栽培などを手掛けながら、日本の農業の改革を志していた。自身の夢を託すべく、男子の誕生を待ち望むも、生まれたのは女の子で、仙は子供の名前も付けないほど落胆する。やがて、仙は開拓使長官・黒田清隆に呼び出され、出仕することに。そこで女子留学生を渡米させる計画を聞いた仙は、聡明さの片鱗を見せていた、わずか6歳の娘・梅子を推薦する。
日本初の女子留学生として、最年少で渡米し、17歳で帰国した津田梅子だったが、すでに日本語を忘れており、日米の文化の違いや周囲との軋轢、そして父との葛藤に悩むことになる。
山川捨松や伊藤博文らと交流を結びながら、苦闘の末、女子教育の先駆けとなった津田梅子と、その父の人生を描いた感動の歴史小説。
(Amazonの紹介文より)
明治四年(1871)、梅子(物語中では梅)は岩倉使節団に随行して派遣された女子留学生に、わずか六歳で選ばれて渡米しました。五人の女子留学生の中で最年少で、周囲には危ぶむ声や揶揄する声もある中、アメリカで十一年間を過ごして女学校を卒業して十七歳のときに帰国しました。
――私は本当は、アメリカなんか行きたくなかった。遠い知らない国に行くのが怖かった。怖くてたまらなかった。それでも父上のためと思って、我慢して船に乗ったんです。向こうでだって、つらいことを山ほど我慢してきたんです。立派になって帰ったら、父上が喜んでくれると信じて――
(『梅と水仙』 P.221より)
帰国した梅は、日本語がほとんどできなくなっていることに苦しめられ、文明途上の日本での女性の地位の低さと意識のギャップ、周囲との軋轢、父との葛藤に悩みます。
英語力を生かしたくても、日本語ができないために通訳もできずに就職ができません。伊藤博文の娘の家庭教師となって、英語と洋式のマナーを教えます。
留学し英語を身につければ、バラ色の未来が開けているわけではない、リアルな現実が広がっていきます。
――あなたは学ぶ喜びを忘れてるね。何よりも生徒に教えるべきことは、学ぶ喜びよ。教師が、それを忘れていたら、生徒はついてこない――
(『梅と水仙』 P.279より)
登場人物の一人が、梅に指摘した言葉が胸にささります。
女子留学生たちとの友情、現地で知り合った人との絆など、留学で得るものも多くあります。
本書は、女子教育の先駆けとなった梅を描くとともに、その生涯に大きな影響を与えた父の津田仙の生涯も対比するように描いています。
望んでいた男の子ではなく梅が生まれたときにがっかりして、名前も付けずに十日間も家を空けた父・仙。その後、わずか六歳の娘を海外に送り出しますが、その生涯も波瀾万丈で引き込まれます。
娘だけでなく、父も、ある大学の創設にかかわっていたと知り、ちょっと驚きました。
物語では、時代に先駆けて女子の英語教育を確立した梅を、冬枯れの中で真っ先に咲く梅花にたとえるように、父仙は寒い時にほかの華よりも先に咲く「水仙」になぞらえています。
歴史小説ファンはもちろん、教育に関心がある方、留学を考えている家族にぜひ手に取ってほしい作品です。
●目次
一 仙の農場
二 梅の出発
三 仙の再起
四 梅の学業
五 仙の期待
六 梅の焦燥
七 仙の憤り
八 梅の決意
九 仙の到達
●書誌データ
梅と水仙
著者:植松三十里
出版社:PHP研究所
2020年1月14日 第1版第1刷発行
装丁:芦澤泰偉
装画:ヤマモトマサアキ
カバー英文:”The Ocean Voyage”(1891年、津田梅子が米国オスウィゴーで書いた詩)
322ページ
■Amazon.co.jp
『梅と水仙』 (植松三十里・PHP研究所)