梓澤要(あずさわかなめ)さんの長編歴史時代小説、『方丈の孤月 鴨長明伝』(新潮社)を入手しました。
本書は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」で始まる『方丈記』の作者で、平安末期から鎌倉初期を生きた鴨長明(かものちょうめい)の生涯を描いた歴史小説です。
著者には、『捨ててこそ 空也』や『荒仏師 運慶』など、平安時代、鎌倉時代に活躍した人物とその事績を描いた作品があり、歴史の面白さが堪能できて、知的好奇心を満たしてくれます。
下鴨神社の神職の家に生を受けた鴨長明は、歌に打ち込み、琵琶に耽溺し、出世を望みながらも幾度となく挫折。源平争乱の時代に、大火事、大飢饉、大地震などを目の当たりにした後に五十歳で出家、山奥の一間の庵にこもる。不遇の半生と未曽有の災厄から悟ったこの世の真とは。
八百年の時を越え、普遍の価値観を湛える『方丈記』作者の波瀾万丈の生涯。
(本書カバー帯の紹介文より)
物語の冒頭で、蓮胤(れんいん)こと鴨長明は、洛北の大原から洛中を縦断して南の日野の里へ引っ越して、終の栖(ついのすみか)として、一丈(約3メートル)四方の方丈の庵を建て、自由気ままな隠棲暮らしを始めます。
生まれて死ぬわれら人間は、どこから来て、どこへ行くのか。この方丈の庵に流れつくまでの五十余年、ひたすら考え、問いつづけてきた。
むなしく虚空に手を伸ばし、あがきもがいていた。世間や人を恨み、おのれの運のなさをひがみ、自分の心をもてあましていたずらに騒ぎ、迷い歩く。そんな右往左往の人生の最後の一幕を、せめて、他人にわずらわされず、気が向けば多少の書きものなどして、心静かに過ごしたい。(『方丈の孤月 鴨長明伝』P.22より)
方丈の庵での暮らしを始める長明ですが、強がりがすぎる、ええかっこしいで、意地っ張りな性格で、少しでも人に軽んじられるのは我慢できない気性です。偏屈だけならまだしも、狷介固陋、頑迷で疑い深く、人の意見を聞き入れず、いっさい妥協しようとしない。どうしようもなく扱いにくい男として紹介されます。
そんな俗物然とした長明が方丈の庵での日々で、半生を振り返って、「方丈記」を書くまでに至るのか、俄然興味が湧いてきます。
目次
序章 終の栖
第一章 散るを惜しみし
第二章 夏の嵐
第三章 後れの蛍
第四章 曇るも澄める有明の月
第五章 大原の雪
終章 余算の山の端
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『方丈の孤月 鴨長明伝』(梓澤要・新潮社)
『捨ててこそ 空也』(梓澤要・新潮文庫)
『荒仏師 運慶』(梓澤要・新潮文庫)