植松三十里(うえまつみどり)さんの長編時代小説、『梅と水仙』(PHP研究所)を献本いただきました。
2024年(令和六年)発行予定の新五千円紙幣に肖像が用いられることが発表されて、注目される津田梅子。津田塾大学の創立者として、女子教育の先駆けとして知られています。ところが、その生涯はあまり知られていません。
佐倉藩士として生まれた津田仙は、幕府通詞として福沢諭吉らとともにアメリカへ派遣されるなど将来を目されていたが、幕府瓦解後は西洋野菜の栽培などを手掛けながら、日本の農業の改革を志していた。自身の夢を託すべく、男子の誕生を待ち望むも、生まれたのは女の子で、仙は子供の名前も付けないほど落胆する。やがて、仙は開拓使長官・黒田清隆に呼び出され、出仕することに。そこで女子留学生を渡米させる計画を聞いた仙は、聡明さの片鱗を見せていた、わずか6歳の娘・梅子を推薦する。
日本初の女子留学生として、最年少で渡米し、17歳で帰国した津田梅子だったが、すでに日本語を忘れており、日米の文化の違いや周囲との軋轢、そして父との葛藤に悩むことになる。
山川捨松や伊藤博文らと交流を結びながら、苦闘の末、女子教育の先駆けとなった津田梅子と、その父の人生を描いた感動の歴史小説。
(Amazonの紹介文より)
本書は、梅子(幼名・梅)とその父、津田仙の二人を軸に、その波瀾に満ちた生涯を描いていきます。
幕府通詞として将来を嘱望されながらも、幕府の瓦解によって夢破れた仙。女子留学生を渡米させる話を聞き、その夢を六歳の娘、梅に託しました。
仙は幼い娘ににじり寄って、小さな手を両手で包み、正面から目を見て言い聞かせた。
「梅、おまえは賢い。だから、わかるよな。これは、おまえのためになることだ」
梅は黙っている。
「おまえが行ってくれれば、父を助けることにもなる。だから、おまえはアメリカに行け。いいな」
すると梅は、ふっくらした頬をこわばらせつつも、かすかにうなずいた。
(『梅と水仙』P.42より)
梅は、明治四年(1871)に、日本初の女子留学生五人のうちの一人として、最年少で渡米します。同じ女子留学生には、会津藩国家老の末娘・山川捨松がいました。どのような留学生生活を送ったのか、帰国して悩む、文化の違いや父との葛藤、女子教育に尽力していったのか、物語の題材に興味が尽きません。
目次
一 仙の農場
二 梅の出発
三 仙の再起
四 梅の学業
五 仙の期待
六 梅の焦燥
七 仙の憤り
八 梅の決意
九 仙の到達
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『梅と水仙』(植松三十里・PHP研究所)