日本を代表するお茶の産地、宇治に行ってきました。
抹茶パフェを満喫する、平等院で鳳凰堂など絢爛華麗な平安美術に触れるという楽しみのほかに、宇治の茶師上林(かんばやし)家について調べるというミッションをもって臨みました。
不思議な歌詞が耳に残る、童謡。
♪ ずいずいずっころばし ごまみそずい 茶壺に追われて とっぴんしゃん 抜けたら、どんどこしょ
この童謡は異説もありますが、宇治茶を徳川将軍に献上するための茶壺を運ぶ、お茶壺道中(宇治採茶使ともいう)が大層威張って沿道の人に負担をかけていて、その行列が来ると皆、戸をぴしゃりと閉めて家にこもっていたことを歌ったという解釈がなされてきました。
このお茶壺道中は、徳川三代将軍家光の時代(1633年)に始まり、幕末(1867年)まで続いたそうです。
経路は年によって変遷はありますが、旧暦の四月ごろに将軍家の空の茶壺が東海道で運ばれ、宇治に着くと最高級の碾茶を詰められて復路は中山道から甲州街道を江戸へ運ばれました。
その道中の総責任者を宇治代官であり「茶頭取」の上林家が代々つとめていました。
日本を代表する緑茶・宇治茶は、永禄年間に丹波上林郷の土豪・上林久重が宇治に移住し、茶業に携わったのが始まり。久重の四人の子供たち、上林久茂(ひさもち)、上林味卜(みぼく)、春松(しゅんしょう)、竹庵(ちくあん)に引き継がれました。その後、上林春松家が茶問屋として、現在もその伝統を今も守っています。
なお、久茂は、本能寺での変後、堺から三河へ逃れる徳川家康を、木津川の藪の渡しから信楽まで道案内役を務めたという功績があり、それ以降、家康とのつながりを深めていったそうです。
宇治橋通りにある上林春松本店の直営小売店舗の隣、観光客の目には止まりにくい、趣きのある「宇治茶師の長屋門」から入った右奥に上林記念館はあります。
徳川家康に仕えて「伏見城の戦い」に東軍側で参戦して討死した上林竹庵の座像、豊臣秀吉や古田織部らの書状が陳列されているほか、お茶壺道中に使用された呂宋(るそん)壺も展示されています。
上林春松家は、伊勢丹新宿本店などデパートに茶葉を卸しているほか、コカ・コーラ社のペットボトルのお茶「綾鷹」の開発にも深く携わっています。
さて、お茶壺道中を描いた長編時代小説に、梶よう子さんの『お茶壺道中』があります。御茶壺道中にあこがれ、葉茶屋の奉公人となった仁吉の成長を幕末の激動の中で描いた作品です。
短編では、松本清張さんの「蓆(むしろ)」(『殺意―松本清張短編全集〈04〉』収録)は、お茶壺道中に関わった若き藩士の悲喜劇を描いています。
澤田ふじ子さんの『宗旦狐―茶湯にかかわる十二の短篇』に収録された「愛宕の剣」には、茶師上林家が登場します。
この短編集では、茶器、書画、花、茶室など、茶湯にまつわる世界を12編の物語が収められています。
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『お茶壺道中』(梶よう子・KADOKAWA)
『殺意―松本清張短編全集〈04〉』(松本清張・光文社文庫)
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短篇』(澤田ふじ子・光文社文庫)