明治から大正への時代が変わるときに光を当てた、朝井まかてさんの近代時代小説、『落陽』(祥伝社文庫)を紹介します。
明治神宮に参拝に出かけることがあります。
参宮橋の西参道から入場することが多く、武蔵野の林を想起させるような木々の間を抜けていくうちに自身の俗なる穢れが浄化されていくような思いがします。
明治天皇崩御――直後、渋沢栄一ら東京の政財界人は御霊を祀る神宮造営を計画、その動きは巨大なうねりになっていく。一方、帝国大学農科大学の本郷高徳らは、「風土の適さぬ東京に神宮林にふさわしい森を造るのは不可能」と反論、大激論に。東都タイムスの記者瀬尾亮一は、対立を追う同僚に助力するうち、取材にのめり込んでいく……。
(本書カバー裏の紹介文より)
本書は、明治天皇崩御後に起こった、御霊を祀る神宮造営を巡る運動を描いています。しかも、建造物でなく、神宮内苑の造営のために作られた人工林にスポットを当てています。本多静六や本郷高徳、上原敬二ら林学者や造園に関する一流造園家たちが結集しています。
登場人物の語る、「学者としての使命感、そして無力感をも否定しません。我々の主張は全く、顧みられることはなかった」「ただ、かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけです。明治を生きた人間として」(P146)という言葉が印象的です。
小説といての面白さは、そうした動きを特ダネとして追いかける、三流新聞の記者・瀬尾亮一と女性記者の伊東響子を通して描き、エンターテインメント性のある時代小説に仕上げているところです。
亮一と響子は、それぞれの事情から一流新聞社を辞め、東都タイムスに入社しました。
東都タイムスは、社交界の醜聞や読者の身上相談や他紙の受け売りで紙面を構成し、定期購読者や販売店を持たない、臨時雇いの売り子による振り売りの大衆紙でした。
物語の冒頭で、亮一は、男爵夫人の火遊びの記事でゆすりまがいに原稿を買い取ってもらうことをやり、破落戸のような新聞記者として登場します。
「瀬尾さん、よしなせぇ。今からじゃ間に合いっこありやせんよ。おたくにあるのは、旧式の輪転機が二台こっきりだ」
「半ビラでもいい。号外を出す」
(『落陽』P.49より)
その亮一が探索の市蔵から明治天皇の重態という特ダネを聞き、そこから天皇と日本人の絆について考え始めていきます……。
平成から令和へと時代が変わる時期に、明治から大正へ変わる時代の物語を読むことは、今の日本に生きる我々にとっても、いろいろな気付きを与える、興味深い体験です。
明治神宮が彦根藩井伊家下屋敷跡に造営され、明治天皇と昭憲皇太后を祀っていることは知っておりましたが、本書を読むまで深い杜が人工林であることを知りませんでした。
●書誌データ
『落陽』
著者:朝井まかて
カバーデザイン:多田和博+フィールドワーク
カバー画:星襄一(八千代市市民ギャラリー所蔵)
発行:祥伝社・祥伝社文庫
ISBN:978-4-396-34515-0
初版第1刷発行:2019年4月20日
単行本は2016年7月祥伝社から刊行されました
目次
(青年)
第一章 特種(スクープ)
第二章 異例の夏
第三章 奉悼
第四章 神宮林
(郷愁)
第五章 東京の落胆
第六章 国見
第七章 落陽
解説 門井慶喜
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『落陽』(朝井まかて・祥伝社文庫)