風変わりな長屋の住人たちが繰り広げる、小粋な新感覚人情活劇
講談社文庫より刊行された、知野みさき(ちのみさき)さんの文庫書き下ろし時代小説、『江戸は浅草』を紹介します。
本書は、「上絵師 律の似面絵師」シリーズで注目される、知野みさきさんの新しい文庫書き下ろしシリーズです。
雷門で掏摸に遭い路頭に迷っていた真一郎は、六軒長屋の大家・久兵衛に用心棒兼遣い走りとして拾われる。向かいは真夜中に面を打つ謎の美女・多香、隣は女のヒモで洒落者の笛師・大介。長屋で気ままに暮らす住人たちが、町の騒動に立ち向かう。
鬼だった。
闇に溶け込んだ墨色の着物から、白い手と足首だけを覗かせた鬼女である。
小振りの龕灯に照らされた角が揺らぎ、赤い唇がぬらりと光る。
鳥肌立ったまま身動き一つできずにいたが、これまで狐狸妖怪の類は目にしたことがない真一郎だった。
(『江戸は浅草』P.8より)
物語の冒頭で、真一郎は一夜の宿代わりに無断で泊まった寺の本堂で不思議な体験をします……。
本書の主人公、元矢師の真一郎は、儲からぬ矢師をやめて、あれこれ違う仕事に手を出してみたものの、その日暮らしの江戸に見切りをつけて、生まれ故郷の常陸に寄ってから上方に行こうとしていました。
ところが、行きがけに寄った浅草寺で母子連れの掏摸に財布をすられて一文無しに。江戸を出るべきか一旦留まるべきか悩んだ挙句、宿には泊まれぬゆえ、浅草のはずれにある大福寺で一夜を明かすことになりました。
翌朝、真一郎は、寺の住職の孫福とその友人で両替商の隠居・久兵衛に見つかり、昨夜の顛末を話すことに。そして久兵衛からは、宿と駄賃仕事を世話してもらうことになりました。
「俺は親父の仕事が――矢師の仕事が好きでしたよ」
だからこそ真一郎は真吉が死すまで、絵に描いたような貧乏暮らしに甘んじて、父親と一緒に矢を造り続けた。
「もちろん、いくら作ったところで売れなきゃ金にならねぇんで、暮らしのために片手間にできる仕事はなんでもやりました。親父が死んでから矢作りはすっぱりやめて、内職から人足、振り売り、売り子、客寄せと、これまた一通りはやってみましたが、まあ何をやっても大して変わらねぇといいやすか……だったら身体の利くうちに、上方に行ってみようかと。身寄りのねぇ独り身なんで、身軽なもんですや」(『江戸は浅草』P.21より)
久兵衛の用心棒兼雑用係として真一郎が連れて行かれた先は、六軒町にある、久兵衛が大家であり家主をつとめる六軒長屋でした。
この長屋の住人たちもひと癖もふた癖もある個性派ぞろいです。しかも、いずれも手に職をもつ職人や芸人ばかり。
多香は面打師。日中は矢場で矢取り女として働き、夜中に大福寺で面を打つ、出自不明の美女です。真一郎が大福寺で遭遇したのも多香でした。
大介は笛師。小柄で童顔の洒落者で、あまり仕事をせずに、女たちに甘えてヒモのように暮らしています。
鈴は盲目の胡弓弾き。全盲ではありませんが、うっすらとしか見えません。男が苦手な二十歳になる娘です。
守蔵は錠前師兼鍵師で四十七歳。錠前や鍵だけでなく、からくり箱なども手掛ける職人
本書の巻頭に、「本作品に登場する浅草・六軒長屋の面々」がイラストで紹介されています。ドラマ(時代劇)化するなら、こんなキャスティングがいいかなと妄想しながら、読み進められます。
「ほんじゃてめぇは、おみきとは駒形堂の手前で別れたってのかい?」
「へぇ……」
又平という岡っ引きに問い詰められて、真一郎は頷いた。
(中略)「別れたと見せかけて、後を追ってったんじゃねぇのかい?」
「だったら初めからついて行きまさ」
「そうか? 浜田で仲違いでもしたんじゃねぇのか? そんで、おみきに袖にされたのを恨みに思い、後を追って、ずぶりと一突き――」
「勘弁してくだせぇ。俺じゃあねぇです」(『江戸は浅草』「第一話 六軒長屋」P.49より)
真一郎は、お多香と同じ楊弓場で働くおみきに誘われて、出会い茶屋「浜田」でひと時を過ごしますが、その後、おみきは何者かに殺されてしまいます。
岡っ引きの又平に下手人と疑われた真一郎は、長屋の面々の協力を得て、おみき殺しの下手人探しを始めます……。
「お上には法って決まりごとがあって、猫一匹のためにそうおいそれと動けねぇんだ」
眉尻を下げた千代に、精一杯言葉を紡ぐ。
「だが、お天道さまが見ているからこそ、源助さんから俺のご主人へ話が伝わって、俺がこうして下手人――悪者――探しをすることになったんじゃあねぇだろうか? お空の決まりごとは俺には判らねぇ。でも、俺は寛太と同じことを信じてるぜ。悪さをしたら――それが本当に悪事なら、いつかきっと罰が当たると思うんだ」
綺麗ごとかと思わぬでもないが、本心であった。
(『江戸は浅草』「第二話 猫殺し」P.108より)
第二話で、真一郎は久兵衛の友人で米屋の隠居・源助の飼い猫・おちびを殺した犯人探しを久兵衛から命じられます。目撃情報を聞くために、寛太や千代ら近所の子供たちを集めて話を聞きます。ちびは子供たちにも知られていて、指南所でも話題になっていました。
その日暮らし、浮草のような生活を送っている真一郎ですが、子供相手にも真摯に対応する姿に好感を持てます。いじめや動物虐待など現代に通じるテーマも織り込まれています。
「お鈴のためにも大介の仕事のためにも、私に一つ庵があるのさ。明日からしばらくは、私がお鈴の守り役をするよ」
「お、俺は御役御免ってことかい?」
「いいや、あんたはあんたで囮になりな」
「囮?」
大介が問い返すと、多香はふふんと鼻を鳴らした。
「ああそうだ。――お鈴のなりをしてね」(『江戸は浅草』「第三話 夏の捕物」P.196より)
向島と大川を挟んで対岸の日本堤界隈で、若い娘が行きずりの男に茂みに引きずり込んで手込めにされる事件が連続して起こっていました。
両国に出稽古に出るお鈴の身を案じて、大介は守り役を買って出てあわせて犯人を取っ捕まえようと目論みますが、犯人はなかなか現れません。そこで、お多香が考えたのが、大介に女装をさせて犯人をおびき出す作戦です。さて、首尾はいかに……。
翌日迎えに来るように命じられて、七ツ過ぎに豊田家を辞去すると、真一郎はまっすぐ長屋へ戻った。
「守蔵さん、真一郎です」
「……へぇりな」
大介と多香はまだ戻っていないようだが、引き戸を閉め、声を潜めて真一郎は言った。
「やりやしょう――錠前破り」(『江戸は浅草』「第四話 錠前破り」P.264より)
本書は、一話完結の連作形式で真一郎を中心に長屋の面々が、町の騒動を協力して解決していく人情捕物スタイルで展開していきます。そして、事件を通じて、真一郎が次第に六軒長屋に馴染んでいき、人情が醸成されていきます。
また、長屋の面々の仕事や素性、過去も次第に明らかになっていく楽しみがあります。
そんな魅力が詰まった話が「第四話 錠前破り」です。
久兵衛の友人である、豊田家という大店に盗人が忍び込んだが、守蔵が作った錠前を金蔵につけていて、盗人たちはこの錠前を破ることができず、一銭も得ることなく逃げ出したという。しかし、豊田家では傷だらけになった錠前がみっともないと嫌い、上方で名高い錠前師忠也の新しい錠前に替えました。
真一郎は、盗人を撃退した守蔵の錠前を贔屓にせず、上方のものを飛びつく、豊田家やそれに同調する久兵衛を腹立たしく思い、「ぎゃふんと言わせて」やりたくなりました……。
ざっくりとしたタイトルからどんな物語になるのか、方向感覚がわからぬままに読み始めました。が、今どきの肌感覚を持ちながらも、昔のフランス映画や、古き良きハリウッド映画のように、しゃれていて小粋な大人の物語にたちまち魅了されました。
真一郎はじめ六軒長屋の面々の今後の活躍ぶりが気になる、楽しみな人情活劇シリーズが誕生しました。
◎書誌データ
『江戸は浅草』
出版:講談社、講談社文庫
著者:知野みさき
カバーデザイン:岡孝治
カバー装画:村田涼平
第1刷発行:2018年9月14日
680円+税
333ページ
本書は文庫書き下ろしです。
●目次
第一話 六軒長屋
第二話 猫殺し
第三話 夏の捕物
第四話 錠前破り
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『江戸は浅草』(知野みさき・講談社文庫)