奈良県独立を目指して、明治政府と闘った男の秘話
新潮社より刊行された、植松三十里(うえまつみどり)さんの長編近代小説、『大和維新(やまといしん)』を紹介します。
本書は、堺県議のち大阪府議を務めながら私財を投じて故郷・奈良県の独立(再設置)運動に尽くした、「奈良県の父」今村勤三の生涯を描いた長編小説です。
本書を読むまで、日本にとって古くから重要な地であった奈良県が、明治時代に消滅していた時期があったことを知って驚きました。
「勤、大和の誇り忘れるべからず」
師は十三歳の今村勤三にそう書き遺し、天誅組と共に散った。やがて明治。維新を先駆けたはずの奈良県は廃藩置県を経たのち、奈良県、そして大阪府へと吸収された。災害復興は後回し、税制面でも冷遇される。議員となった勤三は師の無念と民の怒りを受け、大和の再独立のために立ち上がる。
「あれは、わしが十三の時やった。最初は天誅組やのうて、皇軍御先鋒隊てゆうてたんやけどな」
そしてまた憲吉に視線を戻した。
「なあ、憲吉、わしの自慢話を聞かんか。わしが、なんで大和のために生きてきたか。きっと、おまえのためになるで」
(『大和維新』P.21より)
物語の冒頭で、六十七歳の今村勤三は造形作家の富本憲吉と、須磨浦の結核療養所(サナトリウム)に入院している勤三の四男・荒男を見舞います。荒男と憲吉は幼馴染みで郡山中学でも同級の友人同士です。
勤三は、芸術家として有り余る才能を持て余して進むべき道を見失い、精神的放浪とうそぶく憲吉に、長い話を始めます。
ことの始まりは、明治維新の五年前、文久三年八月十七日。
奈良盆地のただ中にある安堵村で庄屋を務める今村家に、皇軍御先鋒隊の到着と河内・観心寺での旗揚げの予定が伝えられます。
勤三は、家から程近い法隆寺境内の苫屋を住まいとする尊皇攘夷論者の伴林光平に、読み書きから漢籍の素読、木刀や槍の構え方まで、教えを受けて育ちました。その伴林も加わるという御先鋒隊に、伯父で医者の今村文吾と薬と軍資金を届けます。
山門から御先鋒隊が続々と入ってくる気配がして、馬の蹄の音が石段の手前で止まる。誰かが下馬して言った。
「待たせたな。顔を上げえ」
文吾が上半身を起こすのを真似て、勤三も顔を上げた。
馬のかたわらには、ひと目で並ではないと知れる若者が立っており、みずから名乗った。
「皇軍御先鋒隊の大将、中山忠光だ」
錦の陣羽織姿で、きわめて顔立ちが整い、全身から光でも放っているかのような、特別な雰囲気が漂っていた。(『大和維新』P.27より)
中山忠光と天誅組の光と影を描いた、著者の長編時代小説『志士の峠』を想起させる、颯爽とした忠光の登場シーンです。
本書を読むと、皇軍御先鋒隊(天誅組)がなぜ大和を目指し、それが新時代の魁となるのか、その歴史的な意義が分かってきます。
ところが、挙兵後すぐに京で八月十八日の政変が起こり、幕府方が軍勢を繰り出して御所を押さえ、急進・過激攘夷派である三条実美ら一部公家および長州藩を京から追放します。帝の大和行幸も延期され、五条代官所に討ち入った幕皇軍御先鋒隊は天誅組と名を改めて、尊皇意識が高い十津川郷に向かいます。
なんだろうと拾い上げた。それは薄汚れた懐紙だった。開いてみると、消し炭で文字が書かれていた。
「勤、大和の誇り忘れるべからず」
勤三は紙片を握って、夢中で離れから飛び出した。下駄をはく間ももどかしく、裸足で門に駆け寄った。
墨汁の文字ではないものの、筆跡でわかる。伴林に間違いない。(『大和維新』P.42より)
幕府方の大藩の討伐軍に追われる天誅組は、十津川郷からさらに山奥に移り、分裂して、あちこちで捕まり始めています。そんな中で、逃亡中の伴林が勤三に「勤、大和の誇り忘れるべからず」の紙片を渡すために、今村家に立ち寄ります。
伴林は、その2日後に奈良奉行所の役人に捕縛されて京に連行されて罪人として処刑されます。十三歳の勤三は、恩師の言葉を胸に泣きながら、自分は生涯、大和の誇りを忘れまいとただ強く心に誓いました。
(前略)明治九年四月に届いた公式文書に、勤三は目を見張った。
「左の通り、廃令ならびに管轄替え、仰せ付け被り候の条、この旨、布告候こと」
続いて合併する県名が並び、その中に奈良県があったのだ。
「奈良県を廃し、堺県へ合併」
河内と和泉も一緒に堺県になるという。
廃藩置県当初、全国に三百あった藩が、そのまま県になった。だが三百もの行政区は多すぎるという理由で、その後、盛んに統廃合が行われてきた。その結果、府は東京府、京都府、大阪府の三府。県は七十二県まで絞られた。
(『大和維新』P.56より)
奈良県は郡山県や十津川郷などを含めて、大和一国で奈良県となったが、七十二県でもまだ多く、今回の合併でさらに半数まで減らされました。
「なんで合併せんとならんのやッ」
「なんでか知らん。けど奈良県が河内と和泉と一緒になって堺県やて? こんなん、絶対に認められんで」(『大和維新』P.85より)
堺はもともと和泉県にあり、その内側が河内県でどちらも面積の小さな県で、歴史をさかのぼれば同じ国だった時代もあり、どちらも大阪の文化圏で合併しても当然に思えますが、京都とのつながりが深い大和は山並みで隔てらえていて、歴史も文化も言葉も違います。
父の跡を継いで安堵村の戸長(庄屋から名を変えて村を治める役人)となった勤三は、戸長仲間の服部蓊(しげる)と、合併に反対し、「勤、大和の誇り忘れるべからず」の誇りのよりどころがなくなることに情けさなと苛立ちが募ります……。
年が明治十四年に改まり、通常議会も近い二月のことだった。勤三は久しぶりに新政府からの公式文書を受け取った。いよいよ議会が開催されるにあたって、何か注意事項でもあるのかと、ていねいに封を開いた。
だが、すぐに目を疑った。
「堺県を廃し、大阪府へ合併候う条、この旨、布告候うこと」
日付は明治十四年二月七日、布告元は太政大臣だった。(『大和維新』P.83より)
堺県の県会議員となり、大和の議員たちと奈良県独立の望みを抱き、議会で粘り強く話し合っていくつもりの勤三に新たな試練が訪れます。
勤三は、大和の議員たちと合併阻止に向けて、堺県県令の税所篤に掛け合ったり、東京に出て新政府に請願書を提出したり、東奔西走します。
しかしながら、決定は覆らず、大阪府へと吸収された大和は、災害復興で後回しにされます。次いで、税制面でも冷遇され、住民たちの怒りは沸騰します……。
『大和維新』という題名、そして表紙カバーの帯に付けられた「新政府に独立運動を仕掛けた男 今村勤三」のキャッチフレーズ。
最初は何とも大げさなと感じていましたが、読み進めるにしたがって、廃止された県を再設置することの困難さがわかり、勤三の命と誇りを懸けた独立運動に強い感動を覚えていきました。
独立運動の中で、さまざまな人々に会って粘り強く交渉し、松方正義、伊藤博文、山県有朋ら、新政府の元勲たちとも対峙します。読みどころの一つです。
著者はこれまで、歴史の上で大きな事績を残しながらも、今の時代に埋もれてしまった人に光を当て、人と人のつながりが織り成す人間ドラマを数多く描いてきました。
本書は、そんな著者の特徴が色濃く反映された作品の一つであり、明治という時代に親しめる一冊です。
冒頭に登場する勤三の四男今村荒男と富本憲吉は、世代を超えて切磋琢磨する大和の男たちとして描かれています。
天誅組と共に散った師の書き遺した「大和の誇り」が、勤三を通じて、世代を超えた男たちに伝わっているように思われます。
◎書誌データ
『大和維新』
出版:新潮社
著者:植松三十里
装幀:新潮社装幀室
装画:蓬田やすひろ
企画協力:奈良県安堵町
発行:2018年9月20日
880円+税
250ページ
本書は書き下ろしです。
●目次
1 サナトリウム
2 天誅組挙兵
3 大和行幸ふたたび
4 堺と大和
5 大和独立へ
6 海を渡る
7 達成の時
8 法隆寺から
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『大和維新』(植松三十里・新潮社)
『志士の峠』(植松三十里・中公文庫)