花魁を守るため、客から借金を取り立てる、始末屋登場
光文社文庫より刊行された、宮本紀子(みやもとのりこ)さんの長編時代小説、『始末屋』を紹介します。
吉原の妓楼から依頼を受けて、客から借金を取り立てる始末屋「だるま屋」。そこで働く直次郎は、大見世「丁子屋」の花魁・真鶴から名指しで依頼を受ける。真鶴の妹分である花菊の首を絞めて逃げた男を探し出し、百両を取り立ててほしいと言う。直次郎の胸に、吉原で命を落とした妹の最期が浮かびあがる――。
主人公は、吉原から程近い田町の外れにある始末屋「だるま屋」で働いている直次郎。二十二歳で江戸に出てきて三年目を迎える若者です。
始末屋とは、吉原の妓楼で無銭飲食や勘定が焦げ付いた客があると、楼主に代わり取り立てる商売です。
「だるま屋」は、主人の籐兵衛、兄貴分の伊八と直次郎の三人だけの小さな店で、七転び八起きのだるまのようにしつこい取り立てをする始末屋として吉原では通っていました。
遊んどきながら金も払わねえ奴ぁ、俺は絶対に容赦しねえ――。
ただその一念しかなかった。
直次郎は手近な着物をひょいと掴んだ。
「やめてください。商売もんだけは――」
女房は金切り声を上げた。
「金がねえんだろ」
「だからそれで勘弁しておくんなさいな」
「ばか言っちゃあいけねえ」(『始末屋』P.15より)
直次郎は、吉原京町二丁目の小見世「丸屋」の依頼を受けて、富沢町の古手屋近江屋の主・与助の女房から二両の取り立てを行います。
その情け容赦ない取り立てぶりに、「だるま屋」の主、籐兵衛の一人娘のお蝶も心配して直次郎に注意をします。
目に映ったのは、花菊の首に残る手の痕だった。
白く細い首の喉元の真ん中に、数本の指痕が左右に赤黒くはっきりと浮かんでいた。
その指痕がぼやけていった。眼の前に吉原の夜桜が現れた。
きれえ――。
背負われた妓が言った。
あたし――。
またなにか言う。けど聞こえない。
「客の仕業ざます」(『始末屋』P.57より)
その直次郎を名指しで、江戸町二丁目でも屈指の大見世「丁子屋」の最上級の花魁の真鶴から、百両の取立ての依頼がありました。
妹分の花魁花菊は、首を絞められて意識を失った上に、支払いを踏み倒されました。その時負った首の痣と声が治るまで、見世に出ることはできず、その間の医者や薬の掛り、もろもろの賄いなど、すべて花菊が負うことになります。
休んで客を取れない間は己が己の身を買う、身揚がりとして花魁の借金となります。しかも、痣が治っても声が元に戻らねば、鞍替えだと妓楼の主から言われていました。
逃げた男の妓楼の払いの五十両、花菊の当座の身揚がり代の五十両、合わせて百両を真鶴が肩代わりしました。
籐兵衛はじっと直次郎を見た。
「お前ぇが真剣な面してこの座敷に入ってきたとき、俺ぁお前ぇがここをやめると言いにきたのかと思ったよ。ああ、ついにそのときがきたかってよ」
「そんなこと」直次郎は驚いた。
「いや、お前ぇはこの始末屋稼業に倦んでいるよ。お前ぇの態度を見ていりゃわかるさ。だが話を聞くとこの無茶な取立てだ。直よ、お前ぇ、昔を思い出したんじゃねえのかい」
直次郎ははっと籐兵衛を見た。三年前に自分が縋った同じ目がそこにあった。
三年前――。
直次郎の胸がまたぎゅっと痛んだ。あのときの悔しさが蘇り、躰の中でどす黒く渦を巻く。(『始末屋』P.71より)
直次郎は浄閑寺に向かいました。浄閑寺は投げ込み寺で、二つ下の妹、しのが眠っている寺です。
直次郎は、羽州(秋田県)の貧農の生まれで、貧しい家を助けるために十五の年で売られたしのを捜すため、その故郷を捨てて江戸へ出てきました。
「しの……」
妹の手を握ると名を呼んだ。
「しの、おらだ。おらがわがるが、しの」
「…………兄ちゃ……兄ちゃか……」
深い沼のように暗いしのの眼に、小さな光が射したように見えた。
「そだ、兄ちゃだ」(『始末屋』P.75より)
直次郎は吉原中を捜しに捜して、小見世の女郎になっていたしのを見つけます。しかし、しのは、瘡毒(梅毒)に冒され、瘡ができ、紙が抜け落ち、変わり果てた姿で、火の気のない寒い行灯部屋にひとり寝かされていました。
しのが金を払わない客のために身揚がりして借金を増やした末に、病になり、亡くったことを知った直次郎は、「金を払わぬ客の取立てをする」始末屋になりました。
この無茶な取立てを「だるま屋」の兄貴分伊八は危ないと反対しますが、籐兵衛は直次郎の様子を見て受けることにしました。
しかしながら、許された時間はひと月。真鶴に新たな借金を背負わせないために、逃げた男を早く見つけ出さなければなりません。
本書の面白さの一つは、時間を限られた犯人捜しにあります。「だるま屋」には、他の債権回収の依頼もあって、真鶴の依頼に専念できないもどかしさ、同時並行して起こる事件が、強烈なサスペンスを生みだしています。
また、真鶴に惹かれる直次郎、直次郎に恋心を寄せるお蝶、そしてお蝶に思いを寄せる伊八。思い通りにならない、若者たちの恋模様も丹念に描かれていて、青春小説として読むことができます。
社会のヒエラルキーが凝縮した吉原という過酷な境遇を舞台にしながら、救いも希望もある、読み味のよい時代小説に仕上がっています。続編があれば、ぜひ、読みたい作品です。
◎書誌データ
『始末屋』
出版:光文社・光文社文庫
著者:宮本紀子
カバーデザイン:多田和博+Fieldwork
カバー写真:Getty Images + PIXTA
解説:末國善己
初版1刷発行:2018年4月20日
660円+税
329ページ
単行本は2015年9月、光文社より刊行
●目次
なし
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『始末屋』(宮本紀子・光文社文庫)