若き日の遠山金四郎が、花魁の死の真相に挑む時代ミステリー
小学館文庫から刊行された、永井紗耶子(ながいさやこ)さんの時代ミステリー小説、『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中(からくりしんじゅう)』を紹介します。
十九歳の遠山金四郎は、前夜話を交わした吉原の花魁・雛菊が斬られて亡くなっているのを発見する。旧知の狂歌師大田南畝、浮世絵師の歌川国貞とともに、彼女の殺害の真相を探り始めると、雛菊は男たちに心中を持ちかけていたことを知る。なぜ心中を望むようになったのか――。
金四郎は、いつしか雛菊の心の闇に踏み込んでいく。そして、彼女に関わった男たちもいろいろなものを抱えていることに気づき、世の中の非情さと己の無力さを知るのだった。
著者の永井紗耶子さんは、2010年、本作で第十一回小学館文庫小説賞を受賞し、『恋の手本となりにけり』で単行本デビュー。2014年、文庫化に際し、『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』と改題しています。
女の目ははっきりと見開かれ、その眦には涙のあとが残っており、右目の端に涙黒子が点、とついていた。
その女を最初に見つけてしまったのは、黒い羽織の男芸者のなりをした若い男である。
男の名を金四郎という。(『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』P.6より)
狂歌師大田南畝に連れられて吉原に登楼した、十九歳になったばかりの遠山金四郎は、吉原の外、日本堤の向こうの田んぼで、女が死んでいるのを発見します。
金四郎は旗本遠山家の息子ながら、思うところあって家を飛び出し、木挽町の長屋に住まいしながら、歌舞伎の森田座に笛方の見習いとして潜り込んでいます。もっとも、笛で稼げるわけもなく、裏方の手伝いや雑用をこなして日銭を稼いでいました。
死体で見つかった女は花魁の雛菊で、昨夜の南畝の宴席にも連なり、金四郎とも少し話をしていました。
「吉原の遊女が、武家に殺されたんですよ」
「吉原」
堅物な景晋は、その言葉に既に顔をしかめた。南畝はそんな景晋の様子をうかがいながら、懐から扇を出すと、パタパタと扇ぐ。
「その下手人が未だ逃げおおせているのをね、金四郎が調べたいって言うんです。さすが遠山様のご子息、義勇に富んだ気質ですなあ」
金四郎はその言葉に驚き、南畝を見た。南畝は金四郎を見てにやりと笑った。
(『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』P.34より)
金四郎の父、遠山景晋(かげみち)は、旗本直参で役目でここ数年は江戸を離れて暮らしていました。南畝と景晋は同年の学問吟味を受け、身分や気質は違えど、現在でもしばしば交流を続けていました。
景晋は先代の遠山景好の実子ではなく、跡継ぎのいない景好のために養子に入りました。しかし、養子になったとたん、景好の子、景善が生まれました。養子の景晋は、景好の死後、景善を養子に迎え、その景善の養子として金四郎を届け出しました。
複雑な家族関係から屋敷を飛び出した金四郎は、江戸に戻ってきた父に、市井を知るために花魁殺しの真相を調べたいと告げます。
「これを、見てくれ」
そこには「国貞さままゐる」と記された女文字が並ぶ。そして、その最後には「ひな菊」と記されていた。人の恋文を読むのも無粋と思いつつ、金四郎はその内容に目を走らせた。
「恋の手本となりにけり」
と、記されている。金四郎は、それを恋に出して読んでみた。聞き覚えのある節回しだった。
「これ、曾根崎心中でしょう」
(『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』P.42より)
雛菊のことを知るために吉原に赴いた金四郎は、大門で旧知の絵師歌川国貞と出会います。国貞は雛菊を絵に描き、一度客になった翌日に文を貰ったといいます。
曾根崎心中は、近松門左衛門の浄瑠璃の名作で、心中を助長するとして上演禁止になりましたが、読み本としても出回り、多くの人たちに知られていました。
心中を表す文の意味は? 雛菊は、本気で心中するつもりだったのか? しかし、誰と? 謎は深まります。
「あの子はね、死にたかったんだよ」
金四郎と国貞は、うつむくお勝の先の言葉を待った。お勝は、軽く目頭を拭った。
「私みたいな醜女はまだいい。こうして下女でもしていれば、年は暮れていく。貧しい陸奥の家で餓え死ぬよりは、まだましだ。でも、美しい女たちは、何人もの男と寝ながら、女同士で争って、地位をとりにいく。そして、二十五の年季が明けたところで、幸せになれるってもんじゃない。逃げ場所なんて、浄土しかないってもんだ」(『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』P.55より)
金四郎と国貞は、吉原の引手茶屋で下女働きをしているお勝から、雛菊の哀しい境遇と、死にたがっていた事情を聞きました。そして、馴染みの客が、武家の若い男であることを知りました……。
本書は、金四郎が探索役で、遊女殺しの謎を追っていく時代ミステリーです。その過程で、吉原の遊女ばかりでなく、客として通う男たちにも心の闇があることを知ります。
「誰が悪いわけでもないとは言わねえ。だが、誰かひとりだけというわけでもねえ。どうすることもできずに絡まっていったものが、確かにあったのさ」
金四郎は、南畝を睨む。
「そんな絡繰りは狂っています。絡んだものがあるというのなら、解いてしまえばいいでしょう」
駄々をこねる子供のように、金四郎は南畝に詰め寄った。南畝は、真っ直ぐ金四郎を見つめ返すと、静かな声で言う。
「確かに、この町の絡繰りはどこかで狂っているのかもしれねえ。でもな、大方の人が、何とかこの絡繰りの中でうまく渡って生きている。それを解けばまた、誰かが新しい絡繰りの中で絡まっていくだろう。それでも変えるって言うのなら、それこそお前がお偉い役人にでもならなきゃ、どうすることもできやしねえ」(『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』P.304より)
事件が明らかになったとき、金四郎は自身を取り巻く社会の理不尽さに割り切れない思いを抱きます。そんな金四郎に、人生の達人、南畝は静かに諭します。
本書は時代ミステリーとして楽しめるばかりでなく、のちの名奉行遠山金四郎景元への雌伏の時期、若き日の葛藤と迷いの日々が描かれています。苦い中にも爽快さをもつ、良質な青春小説としても味わうことができます。
◎書誌データ
『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』
出版:小学館・小学館文庫
著者:永井紗耶子
カバーデザイン:山田満明
装画:岡田屋鉄蔵
解説:榎本秋
初版第1刷発行:2014年3月11日
619円+税
314ページ
2010年10月に刊行された単行本『恋の手本になりにけり』を改題し、加筆改稿して文庫化したもの
●目次
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
解説
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『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』(永井紗耶子・小学館文庫)