少女お春の切なる願いを叶えるため、くらまし屋参上!
ハルキ文庫から刊行された、今村翔吾さんの文庫書き下ろし時代小説、『春はまだか くらまし屋稼業』を紹介します。
魅力的な主人公と驚愕のストーリー展開で、時代小説好きを唸らせる『くらまし屋稼業』シリーズの第2弾です。
日本橋「菖蒲屋」に奉公しているお春は、お店の土蔵にひとり閉じ込められていた。武州多摩にいる重篤の母に一目会いたいとお店を飛び出したのだが、飯田町で男たちにつかまり、連れ戻されたのだ。逃げている途中で風太という飛脚に出会い、追手に捕まる前に「田安稲荷」に、この紙を埋めれば必ず逃がしてくれる、と告げられるが……。
――おっ母……。
武州多摩で病に苦しんでいる母に届けと、お春は何度も心の内で呼びかけている。母は病の身であった。畑仕事に出られないが、それでも今すぐ死ぬというほどではなかった。その母が安心して療養出来るように、お春は江戸に奉公に出ることを決めたのだ。(『春はまだか くらまし屋稼業』P.17より)
お春は、多摩の実家から、母があとひと月も生きられない、今生の別れになるかもしれないから、一度お暇を頂いて顔を見せてほしいという文を受け取り、母に会いに行こうとしますが、「菖蒲屋」の主人留吉は許しませんでした。
お春は最後の手段として、着のみ着のまま店から逃げ出しますが、飯田町で連れ戻されてお店の土蔵に監禁されました。
両親と二つ下の弟の四人家族で、父はしがない小作人です。父母が昼から夜まで休むことなく働いても、一度不作となればたちまち息詰まるほど暮らしは貧しく、お春は二年前の八つのときに、身売り同然に菖蒲屋に奉公に上がったのでした。
――旦那様は私の働きぶりを認めて下さっているのだ。
奉公して初めのうちはそう思った。しかし半年も経つとそれが間違いであったことに気付いた。留吉の自分を見る目が他の奉公人と、
――違う。
のである。決定的になったのは、女将のお芳が習い事の仲間と待乳山参詣に出掛けた時である。留吉は話があると呼びつけて自室に招き入れると、急に袖を引いて押し倒してきたのである。(『春はまだか くらまし屋稼業』P.22より)
お春は訳がわからず動転しますが、留吉の意図するところを理解して、声を上げて番頭が駆けつけて危うく難を逃れます。
しかし、留吉はお春が金を盗もうとしたと言い触らし、他の奉公人からは酷い苛めに遭うようになりました。中でも、女将のお芳は真相に気付いているかのように、般若のような目で睨みつけてきます。
そんな地獄のような日々を半年ほど送っていた時、菖蒲屋にある異変が起こりました。
近くに「畷屋」という呉服屋が新たに出来ました。大坂を拠点に、京、伊勢松坂、名古屋と次々に支店を出して成功を収めて、満を持して江戸へ乗り込んできたのです。
ある日、使いに出たお春は、畷屋の主人、亀之助に声を掛けられます。留吉の正体を暴くために、お春を引き抜きたいと持ち掛けられます。
高価な反物を置いて顧客と繋がりが強い菖蒲屋の牙城を崩せずに、江戸で苦戦する畷屋は、菖蒲屋の信用を失墜させようと目論んでいました。
留吉は手を振りかぶってお春の頬をぶった。顔がぐわんと動き、徐々に痛みが湧き上がって来て涙が零れる。
「ともかく、二度と店の外に出るな。分かったな!」
留吉はそう言い残すと、激しい跫音を残して去っていった。
――誰か……助けて。
お春が心の中とはいえ、弱音を吐いたのはこれが初めてのことであった。(『春はまだか くらまし屋稼業』P.32より)
お春は外で畷屋の亀之助と話をしたことを咎められ、一切の外出を禁じられました。使いに出せないことで、他の奉公人たちにしわ寄せがいき、苛めもまた酷さを増していきました。
そんな時に多摩の実家から菖蒲屋に、母の容態の急変を報せが届きました。奉公に出されたとあっても、このような事態ならば数日の暇が貰えるのが普通でしたが、留吉はお春に故郷に帰ることを許さなかった。
お春は、「おっ母に一目会いたい」という目的が果たせれば、後にどんな苛烈な仕置きが待っていても耐えるつもりで、店を逃げ出します。
「少ししか時は稼げねえ。多摩までは到底無理だ。この先ずっと行ったところ、蟋蟀橋を渡り、飯田町中坂通に田安稲荷という社がある」
「蟋蟀橋……飯田町中坂通、田安稲荷」
「そうだ。迷ったら訊け」
風太はそう言うと、先ほどの血で文字を書いた紙を握らせた。
「その稲荷に石造りの狐が二つある。玉を咥えているほうの狐の裏にこれを埋めろ」
「埋める……それで何が起こるの!?」
「捕まっても必ず会いに来てくれる! 信じろ!」(『春はまだか くらまし屋稼業』P.44より)
多摩までの道が分からないお春は、神田鍛冶町で飛脚の風太に道を聞きました。お春から病床の母に会いに帰るという事情を聞いた風太は同情して、途中まで一緒に道案内をすることなります。
しかし、お春に追手がかかっていることを知ると、風太は追手を足止めしている間に、くらまし屋につなぎを付ける方法をお春に伝えました。
「しわくちゃになって埋まっていた。それを俺が伸ばして畳んだ」
平九郎は受け取ってゆっくりと開く。
「これは……」
「そう。血で書かれているんだ」
紙には赤い文字が殴り書きされてある。すでに乾いており、一部は黒ずんでいた。血で書かれたものに間違いない。
「悪戯か?」(『春はまだか くらまし屋稼業』P.56より)
「あやめや 春」とだけ書かれた血文字の依頼文は、くらまし屋の堤平九郎、七瀬、赤也の手に渡ります。三人は、くらまし屋七箇条に沿って、依頼内容を本人から確認するために、依頼人探しから始めます……。
いかにして厳重に監禁されている菖蒲屋の土蔵から、お春を晦ますことができるのか。
「炙り屋さ」
背筋に悪寒を感じて振り返った。畷屋がその者に依頼したとすれば、今すぐに後ろから斬りかかってきてもおかしくないのだ。お春も何事かと驚いている。
「お春、すまない。それにしても……迅十郎とは厄介だな」(中略)
事実、一度刃を交えたことがあったが、今まで類も見ないほど過酷な勤めとなった。しかも平九郎が役目を終えた後、迅十郎も役目を果たしたと聞いている。そういう意味では痛み分けというところか。
「あれは勝てるとは言い切れない」(『春はまだか くらまし屋稼業』P.255より)
さらに、依頼を受けたくらまし屋の前に、強力な敵、炙り屋の万木迅十郎が現れます。
炙り屋とは、金さえ払えばどんなものでも「炙り出す」ことから、その名で呼ばれている裏稼業の者。炙るのは身を隠した人の場合も、その者の秘密の場合もあり、人である場合は、晦ますことを生業とする平九郎らと真っ向からぶつかることになります。
敵役、炙り屋迅十郎のキャラクターも立っていて、その存在感にコーフンが高まっていきます。ページを繰る手に力が入ります。
小さなヒロインお春の存在が、厳しい冬の後にやってくる季節の春のように、物語にじんわりとした微かなぬくもりを与えてくれます。
◎書誌データ
『春はまだか くらまし屋稼業』
出版:角川春樹事務所・ハルキ文庫
著者:今村翔吾
装幀:芦澤泰偉
装画:おおさわゆう
第1刷発行:2018年8月18日
640円+税
301ページ
文庫書き下ろし
●目次
序章
第一章 幼い逃亡者
第二章 血文字
第三章 掟破り
第四章 土竜
第五章 春が来た
終章
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『春はまだか くらまし屋稼業』(今村翔吾・ハルキ文庫)(第2作)
『くらまし屋稼業』(今村翔吾・ハルキ文庫)(第1作)